Ver4.1 主任魔法研究士

主任魔法研究士(1)

 魔法暦94年11月、影の王に敗北してから1ヶ月が過ぎ、ようやく退院できるまで回復する者が増え始めた。幸運にも負傷者に残された影の子の染みが問題を起こすことはなかったようだ。治療時に害は伴わないと判断した病院施設の態度は目に見えて軟化した。


 魔法研究所に残った患者が次々に病院へ移送された。再び魔法研究所本来の役割を開始するとの連絡が紙片を通じて魔法士たちに伝えられた。私が様子をうかがいに行った目の前で病室の設備が運び出され、代わりに外部で保管していた魔法研究関連の道具が搬入される。手際の良さは魔法研究所に有能な責任者が帰還したことを告げていた。


 同時に毎日入り浸っていた国立図書館に魔法士とおぼしき者が急に増えた。11月20日に当日、魔法研究所大広間にて新期人事の報告および魔法定例集会が開催されると連絡を受けた。


 いよいよ再始動か……。私は宿舎が預かっていた新品のローブに着替えて魔法研究所1階へ向かった。荘厳そうごんな石造りの壁に囲まれ、奥に演壇がある見慣れた景色。過去、ジョースタック魔法研究所長やエキスト魔法研究所長、デスティン魔法兵団長が演説した場所である。


 集まった魔法士の数は50名ほどだ。退院した者を含め数倍は残っているはずだが、影の王の殺戮さつりく能力に加えて凄惨せいさんな負傷者の様子は、魔法士たちの心をくじくのに十分すぎるほど失望感を与えていた。


 私は1階大広間にこじんまり並んだ魔法士の最前列に立ち、演壇に人が昇ってくるのを待った。魔法集会開始の時刻に寸分違わず、年老いた魔法士が豊かで威厳のある髭をたくわえて姿を現した。


「勇敢なる魔法士諸君、よく集まってくれた。新しく魔法研究所長を務めることになったジョースタックじゃ。よろしく頼む」


 簡素な挨拶は以前と変わらず余計な口上こうじょうを好まぬ彼らしい。高身長で見上げるほどの背丈だった老魔法士は、一回り小さくなったかもしれない。腰が曲がり高齢を感じさせる風貌になっていた。


「初めて顔を見る者もいるかのう。自己紹介しておくと、魔法暦70年から92年まで所長職を経験していた老骨じゃ。……といっても、若い者に負けるつもりはさらさらないので、厳しく指導される覚悟はしておくように」


 新魔法研究所長と視線が合った。心の奥底まで見透かすような眼力は衰えていないようだ。


「まず、現時点で魔法研究士として活躍する面々を紹介したい」


 壇上に複数のベテラン魔法士が姿を現した。5名……うち3名は負傷を抱えている。残る2名は聖弓魔法兵団の出征中に留守を預かっていた者だ。


 そのひとり斥候せっこうを務めていたというオースは、1年を通じて単独任務に従事しており、名前を聞いたことがあるだけで初対面だった。浅黒い肌、頬に傷のある顔は研究者からほど遠い。むしろ傭兵というたたずまいだ。


 他の者は見知った顔で特に興味をかれることはなかった。1人ずつ挨拶を済ませ演壇を降り、魔法士の列に戻っていく。


「さて、魔法研究を率いるリーダーだが……」


 ジョースタックの眼差しが大広間に集まった魔法士全体へ注がれた。


「アキム・ミヤザワ! 君に一任したいが、異存はないかね?」


 不意に呼ばれた名前が自分だと理解するまで数秒を要した。魔法研究生がリーダーを務めるとはおかしな話だ。事態を呑み込めない私に対し、老魔法士は演壇へ上がるよう手招きした。


 周囲の視線がこちらに集まる。とはいえ50名という少人数だ。緊張などせず、呼ばれるまま端に備えつけられた階段から壇上へ昇った。右脚に幾重も巻かれた包帯は先の敗戦を匂わせるだろうが、もう歩行だけなら不自然な点はない。視線全てが渦中の人物である自分を追った。ジョースタックが語りかけてきた。


「緊急に決まった人事じゃ。前主任魔法研究士だったデスティンは魔法研究所へ辞表を提出した。現状で魔法研究班を率いたことがあるのは君だけだ。反対する魔法研究士もおらん。引き受けてくれるのなら、皆の前で抱負を語って欲しい!」


 私は、壇上から目の前に立ち並ぶ魔法士たちを眺めた。デスティンもレッドベースもいなくなってしまった。今、自分以上に魔法弾の機微きびに詳しい人間はいない。自由に研究する機会を与えられるのなら、影の王を撃退する見通しはある。千載一遇の好機を逃す手はなかった。


「待ち受ける『運命の日』にて影の王を倒す算段はあります。全魔法士の宿敵を打倒するため、先頭に立って魔法研究を引き継ぎましょう」


 ジョースタックが笑顔を浮かべた。覚悟を決めたからには気の利いた台詞のひとつも吐かなければならないだろう。器用ではないが、皆を激励しようと恐る恐る言葉をつないだ。


「10月10日の敗戦で我々が犯した過ちは、組織した聖弓魔法兵団に柔軟な仕組みがなかったこと、魔法士が影の王について知っている事柄があまりに少なかったことにあります。影の王には不可解な謎があります。魔法攻撃に対して異常な耐久力を持っているのはそのひとつ。ただし弱点も必ずあるはずです。謎をひとつひとつ解き明かし……」


 最前列にいた魔法士のひとりが退屈そうな顔をして、ぼそりとつぶやいた。


「茶番の段取りぐらいしておけよ……」


 思わずはっとした。不満が文句と結びついて漏れたのだ。正面に肩を並べる魔法士たちの方が唐突な人事に疑いを隠せないのだろう。向けられる視線の多くは好意よりも不信感だった。


「……よろしいでしょうか?」


 先ほど壇上にいた魔法研究士のひとりが口をはさんだ。ジョースタックは首を縦に振った。


「私は影の王との対決の折、聖弓魔法兵団で戦いました。参加したのは第5部隊の供給役です」


 身体にはえぬ負傷の跡が残っていた。ローブのそでから見える包帯が痛々しい。


「アキム魔法士はV字型に展開した魔法兵団で、私がいた左翼側の部隊とは反対となる右翼側の先端、第16部隊の砲台役を務めていました。第7部隊による大砲弓バリスタが事故を起こした後、彼を中心とした第16部隊は影の子らに対して見事なほど奮戦していました」


 なぜか彼の話が遠い昔のように感じた。どこかで記憶を遠ざけようとする自分がいる。


「……特に第13、第14部隊が影の王の攻撃で壊滅し、第12、第15部隊までもが混乱によって崩壊し始めたとき、第16部隊は四方を敵に囲まれながら単独で戦い続けました。奮戦も空しく第16部隊は彼を残して全滅しましたが、第8部隊から第11部隊までの右翼側に生存者を残すことができたのは、彼らが命を燃やして捻出した時間のおかげです。アキム魔法士ならば充分に皆を率いることができるでしょう」


 ――全滅? 第16部隊が? 


 公開された負傷者の情報は名前のみで、部隊別の生存者の詳細までは魔法研究生に知らされていない。本日解禁される魔法研究所の資料を調べることで悲劇の日の情報を得る予定だったが、意図しないところから実情を突きつけられた。


 応援してくれた魔法研究士は壇上を眺めつつ、唐突に強張こわばった表情を浮かべた。瞳に映ったのは群れを失った怒りに全身を震わせる狼の姿か……。私は手を上げて助け舟を出してくれた礼を伝えると大きく息を吸い込んだ。一切の遠慮は無用。感情に身を委ねた。


「改めて聞いて欲しい! 影の王は魔法兵400名以上の命を奪った。本日、研究所に来た魔法士たちは心が折れなかった勇敢な者たちだ。しかし、現在の有様では再び死地へ向かうことになるだろう! 死にもの狂いで対策を講じなければ待っているのは滅亡だ。運命の分かれ道は今後6年間に整える準備の出来次第にある。1日を無駄にする者、従来の発想に囚われる者は研究所から即刻、立ち去ってもらう。魔法研究は全員の時間を犠牲にして押し進める。耐え抜く意思のある者だけ残ってくれ!」


 魔法士たちは息を呑んで私の顔を見つめた。激しい感情は怒気をはらみ、獣の咆哮ほうこうが如くいわの壁に反響した。先ほど愚痴をこぼした魔法士は毒気を抜かれてしまったのか、案山子かかしとなって立ちすくんでいた。


 怒りで振動した大広間が元の静謐せいひつさを取り戻すと所信しょしん表明は拍手をもって迎えられた。皆、緊張した面持ちで新しいリーダーに見入っているようだ。獣のように怒る人間が認められるかはわからない。良好な関係を築けるかどうかは互いの努力次第だ。私は一礼して演壇隅の階段へ向かった。途中で絶えず微笑みを浮かべていた老魔法士の前をすれ違った。


「高名な先生とはいえ、奮起させるために仕組んでいたことなら覚悟して頂きたい」


 警告の言葉を放った。ジョースタックは真剣なまなざしで答えた。


「仕込みなどありゃせんよ。君を応援した魔法士を見てみるがいい。狼を見つけた羊飼いみたいな顔をしておる」


 言葉通り、包帯を巻いた魔法士は顔全体に冷や汗を浮かべて、まばたきひとつせずに壇上を見つめていた。


 再び魔法士の列に戻ったとき、避けるように周りから気配が消えた。


「アキムには、暫定ざんてい魔法研究士としてしばらく活動してもらう。結果を出すまで正式な魔法研究士に任命するわけにはいかん。慣例に従い厳しく評価するつもりだ。とはいえ、魔法研究所の新たな主任魔法士が誕生した。皆、彼の指し示す青写真に従って懸命に励んでほしい」


 ジョースタック魔法研究所長は老獪ろうかいな話術で場をつなぎ会議を締めくくった。

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