ささやかな黄金時代(5)

 私は実験失敗の落胆から、地面を眺めるようにうつむいていた。闇の底に沈んでいたかもしれない顔をティータがのぞき込んだ。


「落ち込まないで……アキムは本当にすごい発見をしたと思ってるわ。半年で魔法研究の内容はずいぶんと変わったもの。きつく言う人もいるけれど、本当はみんな感謝してるのよ」


 視線を彼女に向ける。街灯の反射だろうか、微笑ほほえみをたたえた目鼻立ちが鮮やかに浮かび上がり、輪郭が光り輝いて見えた。後ろで束ねたみかん色の髪が風に揺れ、清涼感ある柑橘系の香りが鼻腔をくすぐる。目を閉じれば故郷で毎年楽しみにしていた収穫期の映像がよみがえってくるようだ。


「さ、早く片づけようよ。引きずっていても良いことなんてないでしょ」


 ティータと一緒に研究所の裏庭を片付けるため、城壁を迂回うかいして先ほどいた実験場所まで戻った。ランプや魔法具を回収し、火属性による燃えカスが残っていないか周辺を見渡した。彼女も忙しい身だ。長く引き止めておくことはできない。けれど、なぜだか今日は別れるのが名残惜しかった。


「今日はもう、研究室に戻らなくていいのか?」


 遠まわしだが、彼女の予定をたずねた。


「もう、挨拶を済ませて帰るところだったから、誰も気に留めてないと思う」


 みかん色の髪が風にそよいでいた。


「少し、話をしないか?」


「え……?」


 彼女の返答が少しくぐもった。沈黙が包む中、つややかな肌にほんのり困惑の表情を浮かべたが、すぐに普段の顔色に戻って返答した。


「特任魔法研究生アキムさん直々のお話とはなんでありましょうか?」


 おどけてみせる顔の視線は私を逸れて横を向いていた。


「これからのこと、話しておきたいんだ……」





 雲ひとつない夜空は星の光にあまねく満ちていた。仰向けの姿勢で草もまばらな地べたに転がる私の隣にはティータがいた。彼女の顔がこちらを向いた。


「先に謝っておくけど……特任魔法研究生のこと、からかったのは反省してる……ごめんなさい」


 研究所のだだっ広い裏庭に横たわりながらティータがささやいた。ミヤザワ村で生活しているときは、ふたり並んで仰向けに寝そべり、夜空を眺めていたものだ。


「ばかだな、謝るようなことじゃないだろう?」


「アキムが周囲から向けられる視線の変化に困ってるのは、よくわかってるつもり……でも一度だけ言ってみたかったの」


 星を見ながら両腕を枕に寝転がっている私を見てくすくすと笑う。


「けれど……アキムなら影の王を倒す方法も考えちゃうかもしれないわね」


 君を助けるため、とっさにやったことが周囲の評価を変えて道をひらいた……などとは言えなかった。


「わたし、誇らしく思う……よくできた弟だと思ってるわ」


 ……ん?


「おれが弟とはどういうことだよ!」


 上半身を起こして彼女の一言に反論の意思を向けた。


「え~? もし私たちが兄弟だったら誰がどう見ても姉と弟じゃない」


「おれの方が頭ひとつ背が高い。村の畑仕事を手伝うようになったのも先だぞ!」


「……そんな細かいことにこだわるから、弟なの!」


 明るい声が心地よく響く。私は半身を起こした状態でふうっ、と大きく息を吐き出した。


「おれはティータを妹のような存在だと思っていたんだけどな」


 今度はティータが真っ赤になって反論した。


「それは失礼よ! いつも心配させるだけの兄だなんて聞いたことがないわ」


 彼女は、自分がいかに精神的に大人びているかをまくしたてるように話しはじめた。こうなると止まらない。私は再び地べたに背中を預け天上を仰いだ。


「……でも、アキムに感謝してる」


 嵐はおさまったかな、と視線を向けたらティータの顔が目と鼻の先まで近づいていた。


「魔法研究生の採用試験のとき、人数が多すぎるから突然ふるいにかけるって話になって、最初に体力測定があったじゃない? 私の前を走って風よけになってくれてたのは今でも覚えてる……あのときはアキムの背中がすごく大きく見えた」


 ――1年近く前のことになる。ティータを足切り程度の試験で落とさせるわけにはいかず、私はスピードを合わせながら彼女の前を進んで時間内に完走した。


「ずっと、見守ってくれてるんだよね」


 彼女の吐息が耳の近くで聞こえた。ティータの仕草をなまめかしく感じるのは初めてだった。


「おれは……正直、レジスタ共和国の窮地というのは実感がわかないんだ。けれどティータ、君だけは守る。相手が影の王だろうと、君を傷つけるやつは許さない」


 キザな台詞だ……と我ながら恥ずかしく思った。彼女も笑っているのだろうか……暗がりの中では表情まではわからない。


 冷えた風が一筋、自分と彼女の間を通り過ぎた。ティータの吐息がかすかに震えていた。魔法士のローブを着ている私は、腕を伸ばして彼女の首の後ろへまわりこませ、華奢きゃしゃな身体をそっと抱き寄せた。

 

 幼なじみも抵抗する素振りは見せなかった。頬に彼女の呼吸を感じた。周りの空気よりはるかに暖かく、湿り気が含まれていた。彼女の体温が服を通して身体に伝わってくる。


 突然、頬に彼女の一部が触れた。手ではなかった……吐息と同じ位置にあるそれは唇に違いなかった。なぜだか身体が金縛りにあったように動かなくなった。読書をしているときや魔法研究について悩んでいるときは高速回転していた頭脳も、まったく役に立たない。彼女の身体を両手で遠ざけ、声に出して何か言おうと思ったが、顔を見据えたまま黙り込んでしまった。


「もうっ!」


 ティータがあきれたという声を出した。


「ミヤザワ村の英才も、ほんとどうしようもないくらい意気地いくじがないんだから!」


 語気を荒げた彼女から、同時にくすっと笑う声が聞こえた。


「さあ、話ってなんなの? 私が最後まで責任もって聞いてあげる」


 何を話すべきか、完全に忘れてしまった。宿舎の食事はどうだとか、故郷は寂しくならないかだとか、とりとめのない話を続けた。彼女は強気な調子で応対し、やがて女性用の宿舎の門限に合わせて帰っていった……。


 魔法属性の合成は時間と予算を費やした実験だっただけに、次の魔法研究会議で失敗報告を延々繰り返すことになるだろう。けれど、彼女がいれば陰鬱いんうつな気分も和らぐかもしれない。


 ティータ・ミヤザワ……。私と同じミヤザワ村の出身で、子供の頃から一緒に学び遊んだ間柄だ。昨年の4月、彼女に連れられて私は首都コアまでやってきた。昔も今も魔法士を続けているのは、故郷の幼なじみがそばで励ましてくれるからだろう。

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