影の子遭遇戦《魔法暦88年》(2)
太陽の光は山の
私は右手に火属性の魔法弾を放出する手袋、左手に魔法弾を吸収する手袋を身につけて魔法士の集団に加わった。足元が暗く心もとない。支援役の5名は自分と先輩の研究生だが、初めての実戦である点は変わらないようだ。
2名の魔法研究士がたいまつに火を点け、村の入り口へ皆を誘導した。移動に用いた馬は、虫の気配すらない現地の馬屋に繋いである。集団は村の奥を正面にして前方の精鋭部隊10名が横5縦2列に並んだ。その後方に横5名の「支援する」魔法士が続く。多くが魔法研究生で構成されるメンバーだが、魔法弾の戦闘能力で魔法研究士たちに後れをとることはないだろう。
全員が微動だにせず、じっと息をひそめる。薄暗い視界の中をたいまつの明かりが時折、揺れて瞬いた。まばらだった風の音が徐々に小さくなり、辺りは静寂に包まれた……。
半刻も経たなかった。魔法士たちが見つめる遠く先の地面が突然、盛り上がった。隆起した土は人間の形状に変わる。おそらく初めて目の当たりにする「影の子」だ。足と腕、頭らしき部位が認められるので、人の形と推測される。闇に覆われた得体の知れない人影は2足歩行なのか4足歩行なのかわからない前傾姿勢のまま、ゆっくり近づいてきた。
「誰かいるのか!」
たいまつを持った魔法研究士が
距離を半分ほど詰めてきた人影は、腕を身体の前へだらんと下げた格好で時折よろめきながら歩いていた。手の先から泥のような液体を垂らしている。わずかに残る太陽の
顔に目や耳はない。人に似ているのは輪郭だけだ。黒い泥水をまとった解析不能な何かだった。手先だけでなく体中から黒い泥を垂れ流しつつ、一歩一歩こちらへ近づいてくる。
「攻撃開始っ!」
指揮を任されたデスティンが声をあげつつ胸の前へ右腕を上げ、自ら火属性の魔法弾を放った。手のひらの刻印が赤く光る。こぶし大の火球がうなりを上げて泥人形に向かって飛び掛かった。
ごうっ、と燃える音が響き、泥に覆われた黒い人影は火球に吹き飛ばされ後方へ倒れた。一同が魔法弾の威力に安堵するのも束の間、人影はのけぞった姿勢で跳ね起きた。元の体勢に戻り、身体の半分を炎に包まれながら魔法士の集団めがけて身構え、せきを切ったように駆け出した。
ティータの手のひらから炎の塊が放たれた。黒い人影は2発目の魔法弾を浴びて全身を炎上させた。動きが止まる。今度は
「油断するなよ……」
最前列にいる先輩のレッドベースが私まで届く声で周囲に注意を促した。彼を含む魔法研究生の何名かは4年前にも影の子と戦っている。
村の空き家の間から2つの人影が現れた。同時に先ほどと近い位置の地面が盛り上がって新たな泥人形が立ち上がる。3体は至極ゆっくりではあったが魔法士たち目指して近寄ってきた。
立て続けに火球が発射される。ごうっ、ごうっ……。1発、2発、4発……水平に滑空する火属性の魔法弾は、闇の中に鮮やかな残像を描いて3体の「影の子」を燃やし粉砕した。
最前列5名のうち2人が陣形を離れ、支援する私たちの背後にまわった。ねちょり……という音と共に背後からも黒い人影が現れた。
後方に向かって火の塊が放たれる。音がした方角から接近してきた人影は、炎に巻かれて地面に倒れた。数体が崩れ落ちるのを契機に、魔法弾と影の子による激しい戦闘が始まった。
前衛2列目の魔法士から発射された魔法弾が新たに右前方にうごめいていた影をつらぬく。2体の人影から同時に炎が噴き上がった。間髪入れずレッドベースが正確に頭をふたつ吹き飛ばす。同時に複数の敵を葬った殊勲者にささやかだが周囲から感嘆の声が上がった。
その後も歩み寄る泥人形の群れには、最前列と2列目との協力による魔法弾の時間差攻撃が牙をむいた。1分間の補充時間を必要とする魔法弾は2名が交互に放てば30秒の空白で済む。
飛び交う火球の群れ――。瞬く間に10体近い人影が現れては炎に包まれ消えていった。
戦闘を見守っていたエキストが
「行方不明者の数から予測して……20ちょっとか……」
炎に包まれ倒れこんだ泥人形はぴくりともしなかった。再び静寂が辺りを包む。
「おい、左から来てるぞっ!」
誰かが叫んだ。
気が付かなかったのか、一瞬とはいえ油断という悪魔に魅入られてしまったのか、私たちは影の子が近づいているのを感知できなかった。
わずか数メートルのところで最前列のひとりが火の魔法弾を放つ。たちまち炎上する泥人形。しかし、1発で崩れることなく、真っ黒な顔を向けて4つ脚の体勢から飛びかかってきた。次に放たれた魔法弾がわずかに逸れ、黒い泥の塊がこちらの集団の中に飛び込んだ。
仲間のひとりが倒れこむ。デスティンが素早い動作で反応すると、紛れ込んだ異形の物体を蹴り飛ばした。黒い人型の塊が身体から液体を撒き散らしつつ吹き飛んだ。銀髪の魔法士は一歩前に進んで火炎弾を叩き込んだ。
「ぐわぁ! ……う……あ……」
倒れた魔法士は悲鳴の後に言葉にならない
恐怖が音を介して伝染した瞬間だった。さらなる人影が左方向から2体、近くまで押し寄せてきた。魔法士の隊列は乱れ、一歩後退する者たちの中、負傷者はひとり敵の侵攻に無防備な体勢で取り残された。
「影の子はお願い! 彼は私が助ける……!」
ティータは大声で叫び、右手にはめた手袋をぬがせて口にくわえ、ローブの内側から新たな手袋を取り出して身につけた。
彼女に黒い泥人形が襲い掛かる。
前衛部隊の数名が
轟音が鼓膜を震わせ、直接泥人形の頭を手でつかむような至近距離で火の塊が標的へ吸い込まれる。物理的な感覚ではないが炎を噴き出した手ごたえが右腕に残った。赤い火花を撒き散らして吹き飛ぶ異形の頭部。同時に泥人形の身体は力を失ってくずおれた。もう一体も別の魔法弾を受け、視界の端で燃え盛りながら倒れたのを確認する。
「大丈夫か?」
私はティータを振り返った。彼女は地面に仰向けになった魔法士の上に乗りかぶさるようにして、倒れた男の左手を両手で握っていた。土で茶色くすすけたローブに光が宿りはじめる。柔らかい緑色の輝きがうっすら光を放ってふたりを包んだ。
「炎を消す。下がってくれ、氷の属性を使うぞ」
デスティンは右腕の手袋をはずし、懐から出した別の手袋にはめかえてティータと倒れた男めがけて手のひらを構えた。手袋から火球の代わりに吹雪を思わせる白い気体が噴出する。
みかん色の髪に凍った粒が付着した。魔法士のローブから出火し、彼女まで巻き込もうとする炎は瞬時に勢力を弱め消え失せた。地面に倒れ伏す魔法士にへばりついていた黒い泥は身体から離れ、彼が負っていた火傷も徐々に消えていく。
ティータは息を切らしながら立ち上がった。
「彼はもう大丈夫よ。土の魔法弾が全身に行きわたったわ」
何事もなかったかのように平然と立つ彼女だが足元がおぼつかない。デスティンは右腕の手袋を別のものに取り替えた。左腕を彼女の背中にまわして抱き寄せ、新しい手袋をつけた右手で華奢な左手を握った。
銀髪の魔法士から発する緑色の光。幼なじみの少女とて数箇所に火傷を負っていたが、淡い光に包まれて少しずつ負傷部分が元通りになっていった。
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