Ver1.2 影の子遭遇戦《魔法暦88年》

影の子遭遇戦《魔法暦88年》(1)

 大広間の集会から7日後……魔法暦88年10月10日、4年に一度の「影の日」が到来した。


 強い太陽光の下でひづめの音がけたたましく大地を鳴らす。空に目があるとしたら、レジスタ共和国南部の大草原を20頭の馬が並んで疾走している姿を眺められただろう……。魔法士の一団が騎乗していた。各員のまとった白いローブが風にたなびいた姿は錦鯉にしきごいうろこの如く壮観だったに違いない。


 馬の脚に蹴り上げられ腰の高さまで舞っていた土ぼこりが次第に膝下まで低くなる。魔法士たちは多年草が群生する平野を抜けて、針葉樹が生い茂る山間部へ入っていた。


 ――私も昼前から10キロ以上の道のりを慣れない騎乗につとめている。


 いたっ……! 蹄鉄ていてつが地面を蹴りつけるたびに腰が痛む。馬の背骨の堅い部分が尻の軟骨を突きあげるからだ。痛いっ、と思うたびに条件反射からか、身体が強張り腰を持ち上げてしまう。はたから見ると一人だけ、ひょこっ、ひょこっ、と頭を突き出しているように見える。


「あはははは」


 ティータが笑いながら馬を寄せてきた。


「ふだん乗馬の訓練をしてないから、あぶみに足をのせる感覚がつかめないのよ」


 束ねたみかん色の髪を風になびかせて、くったくなく笑う。


「ティータは上手く乗りこなしているよな。尻の筋肉をよく鍛えてるんだろうな」


 皮肉をこめて返した途端、ティータの顔がみるみる真っ赤になった。


「バカなこと言わないでよ。このバカバカ」


 げんこつをふるおうとするが、尻の痛みに耐えながら上手くかわした。


「……じゃあアキム、先に行ってるからね」


 ティータは手綱を緩めて前列のほうへ馬の速度を上げていった。


「よう、アキム」


 反対方向から声をかけられた。レッドベース先輩だ。


「おまえの騎乗は本当におもしろい。今度、教本にのせてもらえるよう、魔法研究士の先生にかけあってみよう」


 普段見せない真面目な表情を近づけてきたが、こらえ切れなくなったのか破顔すると、馬にまたがったまま身体を前傾させ吹き出した。


「余計なお世話です。先輩……」


 レッドベースも速度を上げて騎馬集団の前列へ向かっていった。道がカーブするところでは集団が三日月のように湾曲し、最前列を駆けるエキスト魔法研究士やデスティンの顔が遠く視界に入る。デスティンの顔を見るとそれとなく顔を逸らしたくなる。相手が自分を煙たがっているからと言って、こちらまで意識する必要はない。けれど、できれば関わり合いたくないという苦手意識が身体に染みついてしまっているようだ。


 馬が併走できるほどの道は山深く入り込んでも整備され、畑の間をどこまでも続いていた。休耕期だからか作物は実っておらず、乾燥した地面には無数のヒビが刻まれていた。


 目的地であるスギヤマ村に到着したのは、太陽が半分傾いた午後3時頃だった。


 住民の避難は完了している。人っ子ひとり見えない。生活の糧である牛や豚も厩舎に姿はなかった。村の規模は十世帯ほど。戸数なら首都コアの集合住宅一軒にも及ばない。スギヤマ村は、農地の所有者たちが一箇所に住居を構えただけの小さな集落だった。





 魔法士全員がスギヤマ村の入り口周辺に到着した。


「集合っ!」


 馬を杭につなぎ終えた者たちを責任者のエキストが呼び寄せる。名前を声に出しながら、ひとりひとり顔を確認した。


「影の子の襲来は夕方から夜にかけての『黄昏たそがれ』の時間帯だ。陽が落ちる前に前衛の者は段取りの確認を、後衛の者は周囲の状況を確認してほしい」


 討伐作戦に参加しているメンバーは、前衛で撃退任務にあたる魔法研究生の精鋭10名と、先日募集された後衛で支援を担当する研究生が5名、監督する魔法研究士がエキストを含めて3名。以上魔法士18名に現地の案内人が2名で合計20人だ。


「演習時のみ使用を許可している魔法具を支援役5名に支給しておく」


 魔法弾を発射する手袋を新規に2枚渡された。布地は白く、部分に黒の刻印、モノトーンのデザインは従来のものと変わらない。魔法弾を放つために必要な備品の数々を「魔法具」と呼ぶ。


「左手の魔法具はおまえたちに使用させない予定だが、有事の際には前衛メンバーあるいは魔法研究士の指示にしたがってほしい」


 右手の刻印は演習時にも何度か渡されたものであり、左手の刻印には別の場所で見覚えがあった。先に左手側を説明させてもらうと、手のひらの表にあるのは魔法弾を放出する刻印と対になる「魔法弾を吸収する」刻印だ。大きな円をふち六芒星ろくぼうせいが描かれた図形は、魔法研究所が保管する「役に立つ」教科書に記載されている。裏は刻印がなく無地である。


 一方、右の手袋は魔法弾を放出する。刻印は、表側に2重の円を模様で飾った魔法弾放出の図柄、加えて円内部に文字と四角形が足されている。ひっくり返すと確認できるのだが、裏面は米粒程度の微小な円と、円の中心から時計盤の12時、4時、8時の3方向へ直線を引いた小さな図形が描かれている。異国の文字で「人」を意味するらしい簡易な印は体内から魔法力を吸い出す機能があるようだ。裏面については改めて述べたが、普段持っている魔法具と同様だ。


 過去の演習通りなら、手のひらのについた黒色の刻印は魔法弾を発射するときに赤く輝き、火の属性を付加ふかする。文字と四角形を加えることで無害であるはずの魔法弾が燃え盛る火球と化すのだ。攻撃力が高く身の丈5メートルほどの木を燃やし尽くす。問題は扱いが難しい。漠然と力が右腕に集まるところを想像するだけでなく、炎が燃え盛る様子を明瞭にイメージしなければ撃ち出すことはできない。魔法士が1ヶ月以上訓練を重ねて使いこなすに至る現状の切り札だ。


「火属性の魔法弾を放出する魔法具は、本日の成果次第で魔法研究生全員に常時、配布する。おまえたちも扱えて当然だが、軽率な行動が魔法研究の妨げになることを忘れるな」


 権威的な口調で言葉を残し、エキストは前衛部隊の方へと歩いて行った。


 私たち「支援する」魔法士への説明は簡単に済ませたようだ。あくまで現場の手伝いという意味合いで連れて来たのだろう。今すべき任務も村の中を散策する程度だ。


 日が沈むまではまだ時間がある。「影の子」を直接目にした経験はない。下調べする時間を与えられたことは、むしろ幸運といえる。もともと協調する姿勢を見せつつも独自の考えで行動するつもりでいたため、生真面目に周辺を確認するかのように村落の中を物色できる。


 人為的な儀式の痕跡こんせきはないか、理解不能な現象を引き起こす仕掛けはないか……、あらかじめ抱いていた疑問を解決させる好機だ。


 集合場所から右斜め前方にたたずむ空き家へ足を踏み入れた。10月という季節の印象以上にひんやりした空気に包まれている。土間から家の中をすべて見渡せる簡易な内装。生活臭がかすかに残る民家は今夜、村が「影の子」との戦いの舞台になることなど微塵にも感じさせない。


「証拠に残るようなものがあれば、すでに報告に上がっているかな」


 ひとりごちながら主人のいない住居へ無断侵入したことに多少なりとも罪悪感を覚え、誰もいない場所に向かって軽く頭を下げてから民家の外へ出た。


 デスティンやティータが所属する前衛メンバーは移動せず、綿密な打ち合わせを続けていた。魔法研究の成果が問われる一戦に緊張感が高まっている。一方で自分の周りは、ほんのり暖かい秋の日差しが戦闘の可能性など嘘であるかのように、のどかな雰囲気を投げかけてくる。


 蚊帳かやの外になってしまったな……柄にもなく反省する。ティータに連れられて春に魔法研究所を訪れて以来、私は国立図書館で読むことのできる書籍に埋もれながらレジスタ共和国の運命を救う方法はないか模索してきた。


 立ちはだかる問題に正面から取り組むことだけが最善の方法ではないはずだ。事実、魔法研究に還元すべきいくつかのアイディアは頭に芽生えつつあった。何か機会があれば……。披露する契機きっかけさえあれば現状を変えられるのに……。


 ふと気がつくと、散策の手を止めた私の背後遠くからエキスト魔法研究士が険しい表情で睨みつけていたのがわかった。やれやれ、また目をつけられてしまったようだ。どうも高圧的で神経質な教官とは相性が悪い。


 陽は徐々に沈みはじめ、空に赤い波が押し寄せてきた。同じ風景なのにも関わらず、普段目にしている穏やかな赤色ではなく血を連想させるような気味の悪い色に感じるのは、不安や緊張といったネガティブな心境が影響しているからだろう。


 影の子が活動するという黄昏たそがれの時刻がやってきた――。

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