最弱の魔法(4)

 「魔法」という言葉はレジスタ共和国でなくとも存在する。特別な言葉を唱えれば目の前に火炎や爆風が発生し、使用する者次第では森林を焼き払うほどの威力らしい。魔法研究所を訪れるまでは、どこかの本で読んだそんな強大無比な「力」を想像していた。


 実際はどうだろうか? 確かに原理を説明するのは難しい異能の力である。外部から伝授されなければ、この国に存在することはなかっただろう。しかし、集団を圧倒するほどの威力があるかと聞かれれば断じて違う。唱える呪文もなければ数十年にわたる修行も必要ないが、人間ひとりが武装した範疇はんちゅうを超えはしない。


 魔法士は特殊な手袋を装着して意識を集中すると、手のひらから約1分間に1発、明るい光の塊「魔法弾」を放つことができる。魔法研究所の研究生となるためには入学採用試験の折、10発の光の弾を撃ってみせることが合格条件だ。個人が魔法弾を撃つことのできる回数は、体内に宿る魔法弾の素と同義で「魔法力」と呼ばれる。


 この力は、鍛えて伸ばせる余地があるのと同時に個人差があった。指導を受けて最後の試験を終えた後、10発の魔法弾を撃つ前に「魔法力」が尽きた受験者は体力の疲弊と精神的なショックでうなだれ、不合格の通知を携えて研究所を去った。


 現役の魔法研究生に対して魔法力を測るのは、どれだけ魔法弾の数を増やすために鍛錬しているかテストする意味合いなのだろう。私の場合は入学から半年、かつて記録した18発以上放つことができれば怠けていなかったことの証明となる。


 魔法研究所の外側から正門扉を向いて左手方向、旧王城の南西には物見櫓ものみやぐらとして使われていた2階建ての建築物が残っている。私が魔法研究所を出て右へ曲がり、東西に伸びる外壁内側の敷地を西へ進むと、ほどなく魔法士の集団に出くわした。城と物見櫓にはさまれ、四方を壁に囲まれた一角はかつて兵の訓練場だったらしい。現在は「魔法弾」を放つ演習場である。


 城と反対側、物見櫓ものみやぐら側に沿って魔法弾の目標となる背丈ほどの木のくいが10本、3メートルずつ間隔を空けて並び立っている。衝撃と火から耐えられるように湿った布を巻きつけた仮想敵だ。30名ほどの魔法士たちが木の杭と反対方向、20メートル離れた研究所側に整列して順番を待っていた。


 最前列にいる複数名は早速魔法弾を放っていた。私はローブの内側に縫い付けられたポケットから魔法弾発射用の白い手袋を1枚取り出し、右の拳にかぶせた。手袋の布地は手のひら側の表と裏に、魔法士体内の力を魔法弾に変えて放つ「刻印」が黒色で刺繍ししゅうされている。表側には大きな2重の円と模様が描かれ、地肌と接する裏側には米粒程度の円が内部を3分割する線と共に描かれている。


「15発! 次の者は準備せよ!」


 試験官2名の声がこだまする。魔法力の測定は淡々と進み、誰も18発以上記録することができないまま出番が回ってきた。私は名前を申告して地面につけられた目印の場所まで進んだ。右腕を胸の前にまっすぐ伸ばして手のひらを広げる。左手で右手首の付け根を軽く握って支え、仮想敵が肩から手のひらを一直線につないだ延長線上となるように照準を固定する。


 体内のエネルギーが右腕の先端に集まるイメージを思い浮かべる。1秒も経たぬうちに、手のひらに描かれた黒色の刻印がまばゆい白色の光彩を放ち始めた。


 ぶうんっ、と光がかすかに音を鳴らす。手袋で覆われた手のひらの先が明滅し、こぶし大の光球が木の杭目掛けて飛び出した。空気を切り裂き目標に衝突する。光球は杭を軽く振動させ、無数の欠片かけらとなって消滅した。この「魔法弾」と呼ばれる光球は手より5センチメートルほど離れた場所から発生する。ゆえに発射した側で反発力は感じない。


 再び頭の中にイメージをふくらませる。すぐに次弾を撃ち出すことはできない。1分経過してようやく右腕の先に感じるわずかな熱気とともに、刻印から新たな光があふれ出す。


 ぶうんっ……、ぶうんっ……と、1発目から数えて合計18分間、手のひらは光球を撃ち続けた。19発目を撃った後に額から大量の汗が噴き出し、猛烈な疲労感に襲われる。魔法力が尽きたときに起こる現象だ。からくも19発の魔法弾を撃ち終え、途中から期待混じりに見つめていた魔法士の観衆から、「おおっ……」というどよめきが起こる。


 以前より1発増えたようだ。けれど、幼なじみのティータは入学採用試験の折、周囲の人間が撃ち終わってからも合計27発となる魔法弾を撃ち続けた。彼女は特別な人間というわけではない。幼い頃より集中力を高める訓練を重ね、試験まで準備してきた蓄積が実を結んだのだ。付き合いで魔法研究生になってしまった男が力んだところで追いつくはずもない。


 その後も続いた測定は、19発どころか18発に達する者もなく終了した。


「支援する役割を担う魔法士の選抜結果は後日連絡する」


 試験官は解散する旨を言い残して正門扉の方角へ消えた。演習場に残された魔法士たちも散開して首都の自宅や宿舎へ帰っていった。


 大きく息を吐き出した。見上げた空から夜のとばりが下り始めていた。地平線に身を隠そうとしている太陽は赤と濃紺のうこんの入り混じった風景を視界に広げる。


 黄昏たそがれの時間だ……。


 首都から東の空を見上げると、地平線寄りの中央右側に黒い円の輪郭を望むことができる。「影の王」の痕跡こんせきと呼ばれている。88年前に出現した影の王は4名の異邦人の力で当時から100年先の未来へ転送された。突拍子もない話が信じられているのは、毎日欠かすことなく東の夕闇にまぎれて宿敵の姿が現れるからだ。


 形状は完全な球体である。直径100メートルの巨体から黒い月や第3の天体と形容する者もいる。未来へ送られ現実には存在しないはずの「影の王」は過去わずかでも活動していた強大な力の残り香か、あるいは「魔法」の伝道師である異邦人の用いた技術に漏れがあったのか、黄昏の時間に半透明の姿を現す。その光景は夕暮れに最も面積を広げ存在感の増す「影」を連想させる。


 本体から実害はないが、分身である「影の子」が4年に一度災厄をもたらすのが現状だ。影の王の輪郭は太陽の光が完全に無くなると消える。毎日視界に球体の姿を留める行為は魔法士たちの日課であり、いずれ決戦を挑む相手とのわずかばかりの邂逅かいこうであった。


 魔法研究所も国立図書館も原則、夜は閉鎖される。私は宿舎に戻るほかなくなり、空腹を感じながら帰路についた。歩いて15分ほどかかる魔法研究生宿舎まで向かうべく、外壁の隙間をくぐり抜けて研究所の敷地を出る。薄暗い道沿いをしばらく歩いているうちに、ふと頭上を仰ぐと満面の星空が世界を覆っていた。


 まだ闇が浅いとはいえ、上空には無数の星々が瞬いている。肉眼で確認する限り、星は天の北極を中心に1日で1周する。今日も明日も星は同じ運動を繰り返す。本には年周運動という言葉があり、多少なりとも位置が変わるものらしいが未だ確認できない。さしあたって現実に存在しない理屈を信じる理由はないだろう。


 私は宿舎にたどり着くが早いか真っ先に胃袋を満たし、自室に戻った後は図書館から持ち出した一冊を取り出して読書にふけった。毎日変わらぬ生活パターンだ。


 「魔法力」は眠りに入って起きたころに回復する。魔法弾を放った個数の差に関係なく10時間を経過すると全快する。原理を説明できない以上、「なぜ」や「どうして」はなかった。1日単位で回復する「魔法弾」という仕組みが伝道師たちの遺した「魔法」という存在だ。


 「魔法弾」は無害な光の塊だが炎をまとわせるなど運用次第で武器となる。距離を隔てた敵にも有効であることから、空中に浮かぶ相手にも攻撃可能だ。


 しかし、威力の点でははなはだ心もとない。天体にたとえられる「影の王」に対し、こぶし大の魔法弾を当てたところで効果があるとは思えない。自分だけでなく多くの魔法士が疑問に感じているだろう。魔法研究を進めるジョースタック研究所長やエキスト主任魔法研究士はどう考えているのだろうか? 果たして未来を見据えたアイディアはあるのだろうか? 


 研究の最新情報が魔法研究生まで下りてこないのは、「魔法」という出自しゅつじのわからない存在以上に不安を抱かせる。「勉強せよ」と言われて素直に従うことができなくても責められる言われはない。ああ嫌だ……。今日もつまらないことで時間をつぶしてしまった。近頃、頭の中に答えの出ない疑問を反芻はんすうさせて眠りにつくのが習慣となっていた。

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