最弱の魔法(3)

「魔法士の諸君は知っているだろうが、7日後をもって、前回の影の子出現から4年を迎える。『影の王』の手先である『影の子』。奴らが4年ごとに暴動を起こすのは皆が知っている通りだ。4年前と同じく事前に地表から黒い染みが発生していることから、出現場所は首都から南東方向のスギヤマ村が予想される。住民の避難は進めているが、発生する影の子らを速やかに撃退できるかどうかは諸君らの努力にかかっている。来たるべき『運命の日』に向けて魔法研究の成果が問われることを肝に銘じよ!」


 「影の子」というのは88年前、魔法暦ゼロ年に突如出現した黒い巨大球体「影の王」の分身だ。本体とは異なり人間に近い姿をしているらしい。魔法暦というのは元年が前レジスタ王国終焉の年であり、同共和国が誕生した年である。零年は元年の前年にあたる。


 国家が編纂へんさんした歴史書は語る。「影の王」は地面からい出ると、地上200メートルの位置まで急速に浮上した。レジスタ王国は空中で活動を開始した影の王によって大きく運命を狂わされる。漆黒の球体は炎を吐き悪魔の軍勢を率い、近隣の村落をことごとく壊滅させた。


 王国は正規軍を総動員して上空に浮かぶ「影の王」に対抗したが、千人単位で鍛え上げた剣技は全く届かず、最大射程を誇る弓部隊の一斉攻撃も全くの無力だった。戦闘能力の次元が違っていたのだ。近隣諸国と互角に戦い得た軍勢は一方的に蹂躙じゅうりんされ、大部分の兵を失い敗走するに至った。


 影の王が出現した場所はレジスタ王国の首都コアから東南東、十数キロの地点であり、移動する漆黒の球体が王都を攻撃圏内にとらえれば、国家の滅亡という最悪の結末が待っていた。


 突如発生した災厄は、同じく唐突に現れた人間によって救われることになる。4名のローブを着た異邦人が「影の王」の自由を奪い、封じ込めることに成功したのだ。ただし、彼らの言葉を借りるのなら撃退したのではなく、未知の技術を用いて100年後へ転送したのだという。レジスタ王国を襲った害敵は独力で排斥はいせきすることを命じ、いずれ復活する影の王への対抗策として「魔法」の力を伝授した。


 翌年、レジスタ王国は封建制に幕を下ろした。民衆の代表者たちを集めた合議によって政治を管理し、影の王出現から100年後の災厄に向かい合うことを決意して「レジスタ共和国」へ名を変えた。元号を「魔法暦」と改め、魔法暦100年10月10日「運命の日」を影の王との決戦に臨む日と定めたのだ。


 以上が「役に立つ」教科書に分類される内容だ。当時の様子を語ることのできる者は生きていないが、文献と伝承によって80年以上経った今でも歴史をひも解くことができる。





 大広間最奥部の演壇には、最高責任者であるジョースタックが屹立きつりつしている。60歳を超えた老齢でありながら高身長で背筋の整った、威厳ある風貌の老紳士だ。豊かに伸ばしたあごひげは魔法研究に携わった時間の長さと比例しているのだろうか。高齢の老魔法士はしばらく私たちを戦意高揚すべく、影の子撃退とその先にある決戦の重要性を説いた。


「……私からの話は以上だ。これより10日後に予定した影の子撃退作戦、その管理担当者から説明がある」


 ジョースタックと入れ替わりに壇上へ姿を現したのは、主任魔法研究士のエキスト。痩身で近寄り難い眼光を放つ壮年の男は、魔法研究所の現場を牽引する「魔法研究士」たちのリーダーを務める。普段は沈思黙考していることが多く、直接教えを受ける機会はほとんどない。エキストは演壇の下に集まった魔法士たちを一瞥して口を開いた。


「現在、影の子らに対して最も有効な攻撃手段は、魔法士が手のひらから撃ち出す魔法弾である。火属性を付加した魔法弾をやつらに撃ち込み、炎で燃やし尽くすことを作戦の根幹とする。影の子は、粘性のある黒い液体に包まれた人型の化け物だ。推測の域を出ないが、中身は過去に襲われた人間の死体だと報告されている。例え見知った顔があろうとも遠慮することはない。存分に戦ってもらいたい」


 エキストは私たちの顔を観察しながら一呼吸置いた。


「影の子による被害は対象との接触から発生する。怪力をともなう一撃で身動きできなくなった者は身体の一部を流し込まれる。黒い液体がまとわりついたら最後、意志をもった液体に全身を覆われ呑み込まれてしまう。4年前に出た被害者は10名だったが、仲間を助けようと近づいた魔法士が最後の犠牲者だった。過去に得た苦い教訓から魔法力に秀でた者たちを選抜し、少数精鋭で部隊を編成する。前線の指揮はデスティンに一任する」


 デスティン――因縁いんねん浅からぬ銀髪の魔法士が壇上に姿を現し、エキストの指示に合わせて大広間を震わせた。


「若輩者ではありますが、大役を預かり身命を賭して全うする所存です! 少数精鋭部隊のメンバーはすでに選考済みですが、彼らを支援する魔法士を新規に募集します。我こそはと思う『魔法力』の高い有志は後ほど名乗り出ていただきたい!」


 周囲からどよめきが起こった。今年度研究生に加わった新入りが指揮を執ることに戸惑う者がいるようだった。


 不穏な空気を察したのか、エキスト魔法研究士が銀髪の魔法士の横から声高こわだかに主張した。


「デスティンは魔法研究生の中で極めて優秀な成績を収めている。我らの目的はあくまで影の王打倒であり、魔法暦100年の決戦に向けて人材を育成することは最優先事項だ。他の者も彼に負けぬよう切磋琢磨して魔法研究の成果を挙げてもらいたい」


 デスティンは右手を上げて魔法士たちの一部へ合図を送った。レッドベース先輩やティータを含める数名が壇上に登場し、演壇の奥に置かれていた掲示板を用いて当日の精鋭部隊の行動について解説しはじめた。赤髪の先輩のみならず、みかん色の髪を束ねた幼なじみも前線に立つようだ。


 説明はよどみなく進行した。デスティンの作戦では、魔法士を横一列、複数並べて密集陣形を敷き、現れた「影の子」を各個撃破するらしい。味方の安全を優先する良策だ。


 説明終了後、前線を支援する魔法士の募集が告知された。適性を量る「魔法力」の測定があるらしい。私は他の希望者に混じり、挙手して自分の名前を叫んだ。壇上で片づけを始めるティータの後ろ姿を見ながら、幼なじみが命を掛けて戦うことに何とも言えぬ気色悪さを感じていた。彼女の身に危険が迫る光景を離れた場所でひとり想像するのはつらい。


 ほどなく演壇から退いた魔法研究士やデスティンたちの後に、高齢のジョースタックが再び現れて皆を鼓舞し、大広間の魔法士たちは解散した。精鋭として討伐に参加する者は大広間の出口手前の右から始まる幅広い階段を昇っていく。踊り場なしで2階へと一直線に続く石造りの階段は、選ばれし者と選ばれざる者とを容赦なく分け隔てる。教官たる魔法研究士たちに連れられて上階へ向かったティータと話す機会は得られなかった。


 一方で、研究所の外では前線を支援する魔法士の選抜を目的とした「魔法力」測定が始まる。私も用意された道へ一歩目を踏み出した。


 出口である正門扉せいもんとびらは開放されたままだ。前に立つなり外から目がくらむほどの陽光が飛び込んできた。肩越しに振り返った先に自分の影が長く伸びている。思わずため息を漏らす。魔法研究所の会議は冗漫ではないが、長時間ゆえに疲労がたまる。


 私は再び前方に向き直り、手の甲を額にあてて光をさえぎりながら外を凝視した。南の空で右に傾きかけていたはずの太陽は遥か低い位置まで移動し、正面に広がる首都コアの中心街は、陽の当たった鮮やかな部分と薄暗く陰になった部分ふたつに深い輪郭を描いて色分けされていた。

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