最弱の魔法(2)

 私が根城としている国立図書館は、山に囲まれたレジスタ共和国、その首都コアの中央に魔法研究所と並び立っている。木造で質素な図書館と比べ、石造りの旧王城をリフォームして作られた魔法研究所は常に静謐せいひつで荘厳な雰囲気を生み出す。


 王城というだけあって、玄関である南側の正門せいもんには巨大で頑丈な鉄扉てっぴがはめこまれている。外界と城内とを隔てる鋼鉄の塊は、魔法研究という存在が国家の命運をになうことの重要性を示している。日中のみ開放される正門扉せいもんとびらは巨大生物が口を開けたようにも見える。魔法士たちは毎日、鉄製の門扉から許可をもらった間だけ研究所の中まで足を運ぶ。その勤勉ぶりたるや、門番の命令に従う人形だと皮肉を言いたくなるほどだ。


 私とレッドベースが巨大な正門扉をくぐると、天井8メートルもある大広間には同じ格好の魔法士が大勢集まっていた。白い布地に赤と青の直線ラインで装飾されたローブ。魔法研究所の正装であり魔法士の証だ。ローブは衣服というより外套に近く、普段着の外側から羽織る。袖は手首まで伸び、裾は股下の切れ目スリットから膝裏を通る。


 数名がレッドベースの顔を見て丁寧に会釈した。一方で私に関心を示す様子は微塵みじんもない。見知らぬ顔がひとり増えた……、そんな意思表示がうかがえる。


「わっ、アキム。今日は来てるんだ」


 周りからの無関心が嘘であるかのように、みかん色の髪を後ろに束ねた女の子が足早に近づいてきた。目の前で立ち止まり、しげしげとこちらの表情をのぞいてくる。先輩以外に興味を持ってくれる唯一の存在だ。私はやんわりとした視線に反応して言葉をかけた。


「ティータ、元気そうで良かった。何か困ったことはないか?」


 女性と会話する機会は少ないが、みかん色の髪をした幼なじみの前では自然と言葉が出る。同じ故郷を持ち、同じ年に首都へやってきた。年齢も同じ17歳だが自分の方が頭ひとつ背が高く妹のように接している。


「ご心配なく……。どちらかといえば問題なのはあなたでしょ?」


 遠慮のない言葉だ。とはいえ明朗快活で、思った事柄を素直に口にするところは彼女の美徳だろう。


「立つ瀬ないな……。一応、おれだって目標はあるんだ。無駄に時間を費やしているわけじゃあないさ」


「それならいいけど……」


 まだ言い足りないといった表情を浮かべ、襟足えりあしの先にまとめた髪を揺らしながら視線を逸らす。ティータに対して恋愛感情といったものはないが、家族のような親友のような深い繋がりを感じる。向こうも同じなのだろうか。ふと考えることがあった。彼女と視線が重なって、しばらく控えめな笑顔で互いを見つめ合った。魔法士たちの立ち並ぶ雑踏が遠のいて心地よい沈黙が辺りを包んだ。


「ティータ! 話の途中だったぞ。失礼じゃないかっ!」


 唐突に遠方から周囲を圧する声が上がった。石の床に乱暴な音を立て、歩いてくる男がひとり。魔法研究生でも指折りの優等生であるデスティンだ。


 デスティンとティータ……同期の研究生の中で最も成績の良い2人は一緒に行動している。


 やや短めの銀髪をしたデスティンは同い年の17歳で、容姿と才能をあわせ持っている。彫刻めいた端整な顔立ちは女性の魔法研究生の間でたびたび噂になるようだ。


「ティータ……単独行動は君の悪い癖だぞ」


 デスティンは眉根を寄せて言い募った。


「今日の集会の重要性は君も知っているだろう? 知り合いと会ったからといって無駄におしゃべりしている余裕はない。特にコイツのような落ちこぼれの研究生とはな……」


「そんな言い方ないじゃない! アキムが不真面目なのは認めるけど、いざって時は頼りになるんだからっ!」


 私へ向けられた皮肉だったが、ティータが口をはさんだ。


 デスティンは魔法研究生として首都で初めて会ったときから私をうとましく思っているようだ。理由はわからない。新規に魔法研究生を採用する試験の折、私と彼は坐学でも実技でも僅差だった。成績がより優秀なのは彼の方だったが、春からの半年で差がついたのは迷いなく魔法研究に専念した彼の実績だろう。デスティンは首都コアに生を受け、魔法研究士の父に育てられた筋金入りのエリートだ。

 

 ティータも研究生として成果を挙げている状況で自分だけが「役に立たない」文献を読むため図書館へ入り浸り、実力に水を開けられてしまった。


 ティータの入学採用試験の成績は実技が飛び抜けて高かった。幼いころより魔法研究士を目指していた彼女は、集中力を研ぎ澄ませるすべに長けていた。同世代で図抜けた成績を挙げている彼女をデスティンが特別視するのは、性別関係なく理由がありそうだ。


 デスティンはティータの言葉に表情を一層強張らせたが、こちらに顔を向けて急に含み笑いを浮かべた。


「アキム、君からも彼女に言ってやってくれ。魔法研究は遊びや道楽じゃないってな……」


「デスティン。悪いが俺だって遊んでいるつもりはない」


 銀髪の同僚の言葉を正面から否定した。興をそがれたのかデスティンは嘆息して不愉快そうに顔を背け、押し黙ったままティータへ視線を向けた。


「ともかくだ。集会で発表する内容を打ち合わせるから、今は僕の話を聞いてくれないか」


「……わかったわ。ごめんなさい、原因はわたしの我儘わがままだもんね」


 デスティンはティータを連れ立って広間の奥へ歩いていった。みかん色の髪を躍らせながら振り向いて目配せする仕草に思わず表情がほころんだ。手を振って合図を返す。


 横から様子を見ていた赤髪の長身魔法士が、こらえ切れないといった様子で笑った。


「ハハハ……。まあ、なんだ。青春してるよ、おまえたちは……。俺の同期にいる女をおまえに紹介してやったら、複雑な人間関係が解消されるかもしれんな」


「先輩が世話好きなのは知っていますが、今回ばかりは余計なお世話です!」


 私は周囲を圧する勢いで、きっぱり誘いを断った。好奇の視線が集まる中、ツボに入ったのか先輩の笑い声がひたすら耳を打った。ようやく収まると魔法研究所の1階は本来の静謐せいひつさを取り戻した。


 魔法研究所の高窓から差す陽光は、石造りの壁に反射して柔らかい光を瞳に映す。喧騒を逃れた私は図書館で手にしていた本の内容を思い出しながら光の暖かさに身をゆだねた。大広間はおそらく何十年と魔法士たちの声を共鳴させてきたのだろう。おごそかな内壁に残った汚れの跡は、過去に記憶した様々な逸話を語りかけてくるようだ。


 ――つい、まどろんでしまった。慌てて口から落ちそうになったよだれをき取る。半刻ほど経ったころだろうか、魔法士の数は徐々に増えて総勢100名ほどが集合していた。四方から話し声が聞こえる中、奥に設けられた演壇から励声一番れいせいいちばんが広間全体に轟いた。


「皆、静粛にしてほしい! ただいまより、魔法暦88年10月期の魔法研究所集会、および『影の子』対策準備会議を始める!」


 レッドベース先輩は眠りの世界から抜け出せないでいる男の肩をひとつ叩き、用事があることを告げて、立ち並ぶ魔法士たちの中へ急ぎ姿を消した。

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