一応おしまいです。


 一音出す度に寒気が増して、一小節が終わる度に、蛞蝓なめくじはぬるりと這う場所を移動して、ぐちゃぐちゃと内臓は、遊ばれているような気分になる。


 やめりゃいいじゃんって思うじゃないですか。適当に切り上げて。でも、そういう異常な事態の真っ只中にいる人間って、そういう冷静さが欠けてしまうんだと思うんです。混乱してしまって。少なくとも当時の私は、そうした落ち着きは失っていました。というか寧ろ、怒ってて。


 気色悪いとも強く思っていましたけれど、それと同じぐらい、気に食わなかったんですよ。音は出す人の性格が出る。なら、私がそういうのは嫌いな奴だろうって事も分かってるだろうと、彼女に腹が立ったんです。


 正確なリズム感覚と、前に出ないが堅実な仕事をするのがリズム隊。それを担う人間とはバンドマンでも真面目な人で、然も私を「○○高の部長さん」と呼び止められたという事は、何度か私とこうしたイベントに参加していて覚えているからで、その度に私のベースを、聴いてきてるよなって。


 一音一音が粒立っててはっきりしてて、正確性が他の人よりしっかりしている、イライラとしてると音が尖って、落ち込んでると覇気が消える、同期にもよく分かりやすいって言われて、学内では昔から、技術力のある生意気な後輩と言われていた、私の音を。同期の間でも、参加したライブやイベント本数がある方の私なら、他の奴より会う機会も多かったんだし、尚更。お前と同じく軽音部には珍しい、優等生みたいな格好もしてるんだからって。


 大体、呼び止めた時に「はじめまして」とか初対面らしい挨拶が無かった時点で、ある程度私という人間を知っていた証じゃないですか。


 ふうん。この野郎。って、めちゃくちゃ腹が立って、めちゃくちゃ気色悪くもあったんですけれど、乗ってしまったんですね。

 絶対にこっちからは降りないからなと、ほんの数分の事なんですけれど、彼女が手を止めるまで、私も止めませんでした。


 ドラマーがいたのかは、やっぱり思い出せません。春の事なのか、冬の事だったのかも。そもそも本当に、あったんですかねこんな事って、言いたいぐらい。


 どこかで彼女が音を止めて、私もそこで止めました。


「…………」


 睨んでいたと思います。私が、降りないからなとムキになった瞬間、音が尖って激しくなったのは自分でも分かっていましたし、それは当然、彼女にも伝わっていました。その証拠に彼女も、私が激しくなるのとほぼ同時に、ギターの音を変えたんですよ。ふうん。そう。乗るんだ? って、余計粘着質で、性格の悪い感じに。

 そこでまた私はカチンと来て……。というか、確信して、まあ彼女が止めるまで、付き合ったんです。お前やっぱり、私で遊びやがったなって。


 いちいち言語化しなくてももう、お互いが何を考えているのかは分かっていましたし、怒りで半分意識は逸れてましたけれど、やっぱり異常な気味の悪さをしっかりと感じていて、すぐに言葉を発する事は、出来なかったんですけれど。


 私が最初から、生真面目で、負けず嫌いで、熱くなりやすく、言い換えれば挑発に乗りやすい人間であると分かった上でからかってきたと言うならば、私だって最初から、気付けていた筈なんです。こんな、人間が出せる悪意や不気味を超えたような何かが乗ったような音、聞き逃す訳が無いんですから。対バン中に、一度でも鳴っていたならば。


 でも気付けていなかったのは、何でなのか。


 注意深く思い返してみても、こんな嫌らしい音、一度だって鳴ってません。幾ら記憶を辿ろうと、この女の顔だって知りもせず。愛想がいいからつい流してしまっていましたけれど、私はこいつの事なんて全く印象に残っていないのに、何で私が帰ろうとしたら、ああも名残惜しそうに呼び止めたんですかね。そもそも何でこいつは私を誘って、こんな気味の悪い思いをさせたのか。

 “よかった。ちょっと音、合わせてみない? ドラムは誰か捕まえて”って、一体何が「よかった」んですかね。ベーシストなんて、今も私達の周りにうじゃうじゃいるのに、何でその中でも、私だったのか。


 大体、何で身一つで話しかけられた時から既に私はこの女を、ギタリストだって、分かってたんでしょう。どこの誰かさえ、当時から分かってなかったのに。



 記憶はここで、終わります。あの後私達、何か言葉を交わしたんでしょうか。今更話す事なんてあるもんかって、挨拶も無しに荷物を纏めて、さっさと帰る自分の姿が思い浮かぶんですけれど。

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