勇者の僕と魔王の君は、今日も同じ空を見上げる

@dansyu24

恋のカタチ



 その国には、人々から勇者と敬われる男が居た。


 かつて、今は滅亡の一途を辿った王国の騎士として剣を振るい、魔に染められていく世界に光を見出だし、挫けぬ信念とその剣をもって世界を救済した者が居た。


 その男は誰もが絶望にうちひしがれる中、唯一その膝を折らずに魔王と呼ばれる悪の象徴と向かい合った。

 そして、その首を断ち切った。


 その男は胸に嵐を秘めている如く勇猛だった。

 その男は心に波紋一つ無い湖面を抱いている如く冷静だった。

 その男は荒んでしまっていた世界で、誰よりも優しく、誰よりも強い意志の持ち主だった。


 人々はそんな男を、一時は怖れた。

 普通の人々とは違う、知も武も心でさえも優れている彼が、劣ってしまっている自分を、諦めてしまっている自分を責めているようで、怖れた。


 けれど、それでも男は諦めなかった。

 その歩みを止めることも、その剣を地に突き立てることも、彼は一度としてしようとしなかった。


 そんな後ろ姿に、男を恐れていた人々は呆然とした。

 なぜ、折れないのかと。なぜ、その眼は光を捉えていられるのかと。

 自分達はとうの昔に、そのあまりの儚さに見失ってしまったというのに。


 そうして、人々は気付いた。

 それはきっと、自分達が目を瞑ってしまっていただけなのだと。

 その儚さに見失ったのではなく、その眩しさに目を瞑ってしまっただけなのだと。


 男は一人、まるで届きそうにない栄光の光に、手を伸ばし続けていたのだと。


 それに気が付いた人々は、もう男を怖れなかった。

 その大きな後ろ姿を追って、自分達も立ち上がる決意を固めた。


 そうして、一人の男と人々の希望の力によって、世界を覆っていた暗雲は晴れていった。

 滅びかけていた世界は人々の力によって再興され、再び光を取り戻した。


 人々は、空を見上げた。

 そこには人々の希望を体現したような、晴れ晴れとした美しい青空が広がっていた。


 人々は歓喜した。

 濁りの無い白色の雲の隙間から差し込む光に、最大限の感謝を捧げた。


 しかし、勇者と呼ばれる男は一人、そんな空を見上げて、物憂げな笑みを浮かべていた。



 ――以来、男は世界の再興を手伝う旅に出た。

 時に魔王の残党を屠り、時に未だ救われていない人々に手を差し伸べ、世界を救うことにその生涯を尽くした。


 ある日、何の報酬も名声も求めない男の献身的な姿に、無邪気な少年が問うた。

 どうして、男は勇者であり続けるのか。どうすれば、貴方のような強い人になれるのか、と。


 決まっている。


 その傍らに居た少年の兄は言った。

 それはきっと、人々の笑顔が好きだからだと。


 いや、違うわ。


 その傍らに居た少年の母親は言った。

 それはきっと、大切な者を守るためだと。


 そのどれでも無いさ。


 その傍らに居た少年の父親は言った。

 それはきっと、強くありたいという男の意地であると。


 けれど、勇者はその答えの一切に首を横に振った。

 続けて、少年に問うた。


 君は、私のようになりたいのか、と。


 めいいっぱいの尊敬を満面の笑みに乗せて、少年は頷いた。


 勇者はそれを見ると腰を落とし、ゴツゴツとした大きな手で少年の頭を撫でた。

 そして、勇者は言った。


 私のようにはなっていけない。大切な者を守れなかった、笑顔を守れなかった、自分の意地さえも通せなかった、哀れな男の末路が自分であると。


 勇者の言葉の意味が分からず、少年は首を傾げた。

 そんな少年に、すまないと一言詫びると、勇者は立ち去ろうと立ち上がる。


 そして去り際、少年の問いへの答えを置いていった。


 私が勇者であり続けるのは、いつか現れる魔王を倒すためである、と。




 □□□




 いつ頃からだっただろうか。

 一介の王国の騎士だった自分を、人々が勇者なとと崇め始めたのは。


 少なくとも、まだ王国が存在していたあの頃の話では無い。あの頃はまだ、本当に自分はただの騎士だった。

 時折侵攻してくる魔物を追い払い、普段は日々鍛練に明け暮れていた。そんな様子を見て、勇者などと崇められるはずもない。


 ならば、敵の将の一人である《地の魔人》を破った時だっただろうか。

 強大な敵を前にして散っていった仲間の屍を踏み越え、運良く生き残っていた自分が胸部の核を貫いて終わった、あの戦い。

 ただ運が良かっただけの自分に見合った名声で無いことは重々承知しているが、あの一戦から僕の人生がねじ曲がったのは確かだ。


 そう、あの日から、僕は何もかもを失った。

 勇者などと崇められ始めて二年が経とうとしていたある日、僕は突如王国に捕らえられた。


 罪状は、王女誘拐及びに殺害。それにより下された判決は、死刑。


 当然、身に覚えなど無かった。それもそのはずだ、それはただの冤罪だったのだから。

 かつて王女の御付きの騎士として仕えていて、それでいてそれなりの名声を得ていた僕を殺すことを目的とした、魔族達の陰謀だった。


 そもそも僕の仕えていた王国は、人間を根絶やしにする最後の布石として魔王自身が創り出した国だった。

 魔王の一族は代々その血族・・・・に王国を統治させ、僕のような希望を担った存在を意図的に作り出し、それを人々の前で処刑する。

 そうして完全な絶望を世界に思い知らせる。

 そんな計画だったらしい。


 そんな話を、死刑を待っていた僕はどこからともなく現れた不思議な魔法使いに知らされた。


 当然、信じられなかった。けれど、その全てとは言わないまでも、一部は真実であることをその時の僕の状況が証明していた。


 その魔法使いの言葉を全て鵜呑みにしたわけではなかったが、僕は魔法使いの手を借りて逃げることを決めた。


 僕は本当のところ、王国に忠誠を誓い、その王国に裁かれるならば構わないと思っていた。けれど、魔法使いの言葉が本当であるならば、自分はまだ生きなければならないと悟った。


 その使命を全うするべく、僕は生きた。


 ある日は剣豪の村に行って、血の滲む修行を積んだ。

 ある日は鍛冶師の里に行って、決して折れぬ剣を打った。

 ある日はエルフの国に行って、決して挫けぬ意志を確かめた。


 そうした研鑽の日々を生き抜いて、僕は今日この場に立っている。


 思えば、褒められた生涯では無かった。

 振り返って広がる光景は、多くの犠牲を伴い、多くの血で染まり、多くの屍を積み上げてできた、そんな道だった。


 けれど、確信はあった。

 この道は、きっと他の誰かが歩むためにあるものだと。


 僕は、誰よりも前を歩かなければならなかった。

 故に、王国より逃げ出したあの日から、僕は誰の屍も跨いだことは無かった。少なくとも、そうして生きてきた。


 元より、道など無かったのだ。

 あるのはただの汚泥だけ。足が取られ、何度も立ち止まりそうになる道を歩き、僕が歩いた場所が道になっただけ。

 僕の意志を次いだ者達の屍が、道となっただけだった。


 そう考えると、嘲笑にも似た笑みが浮かぶ。

 誰一人の屍も跨いでいないとは言ったけれど、それは結局背後に連なる屍から目を逸らしているだけなのだろう。


 事実、今もそうだ。

 僕の眼前に広がるのは、見慣れた光景。僕の仕えていた王国、今や魔王の根城と化した王国の、王座の間。


 そこへ繋がる道には、あの日僕を助けた魔法使いが今も溢れかえるほどの魔物と戦っている。きっとこうしている間にも彼の魔力は枯渇に近付き、劣勢を強いられているに違いない。


 けれど、それを忘れてしまいそうな程に、この王座の間には不思議な時が流れていた。


 勇者である僕の前に立つのは、魔王。

 僕を捕らえた頃の魔王は以前僕が斬り、今前に居るのはその娘である次代の魔王だ。


 とは言え、その圧力は並大抵のものではない。

 僕が倒した時は老いにより弱っていたとは言え、今の魔王は先代の魔王よりも遥かに強い。


 けれど、やるしかない。


 勇者と魔王。

 その二人が向かい合うのは、もはや宿命。

 こうして向かい合うことを他ならぬ両者が望んでいたし、望まずともいずれはこうなる運命だった。


「よく来たな、勇者よ。邪魔者も居らぬ。こうして貴様と向かい合えることを、我は嬉しく思うぞ」


 奇偶だった。


 少なくとも、僕はこの日この時を迎えるために、あの日王国から逃げ延びたのだ。こうして、あの悪しき魔の王と向かい合うために。


「貴様を逃がしたあの日から、貴様の事を考えぬ日は無かった。分不相応な希望を背負わされたその矮小な身体で、いつ我の元へ姿を現すか心待ちにしていた」


 それは僕にも言えることだった。

 悪の象徴として君臨する存在は、一体何を求めているのだろう。一体何を想ってこの地を支配しようとしているのだろう、と。

 そう考えない日は無かった。


「故に、嬉しい。嬉しいのだ! 勇者よ! 先ほどから黙っているが、貴様は違うのか?」

「……僕も、嬉しい。……でも、それ以上に、悲しい」

「……悲しい、だと?」


 眉間を歪める魔王に、僕は言った。


「たとえ相手が魔王であれ、命を奪うのは悲しいことだ。だから、ここで貴方を斬らなければならないことが、悲しい」


 全て、事実だった。

 それでいて分かっていた。


 和解なんて甘ったれた考えは、もう叶わない。

 既に臨界は超えてしまった。

 魔族は人を殺しすぎたし、僕も魔族を殺しすぎた。


 もうもはや、どちらが先に手を出しただとか、どちらかが許せば許し合えるだとか、そんな域には居ない。

 憎しみのままに人を殺し、憎しみのままに魔族を殺してきた。

 そんな愚かな行為の末路が、今のこの場所なのだ。


 故に、悲しかった。

 どんな方便を用いようと、僕が魔王を斬るか、魔王が僕を斬るしか、終わりが訪れないという事実が。


 そんな僕の思惑を察してか、魔王は僕に告げた。


「勇者よ。貴様と我は光と闇。陽と陰。相反する者。故に、どちらかが消えねば、争いは終わらぬ」


 分かっている。


「我は一族のため、ここで死ぬわけにはいかぬ」


 分かっている。


「何より、我は貴様が憎い」

「……分かっている」


 分かっているとも。その憎しみをぶつけられるために、僕はここに来たのだから。今日この日まで生き延びて来たのだから。


「ならば、剣を構えよ。我らが交わすべきものは言葉にあらず。語るべきことは、剣をもって語れ」


 その言葉を機に、魔王からおびただしいほどの魔力の奔流が溢れ出す。そこから生まれる圧力は先ほどとは比べものにならない。立っているだけで、堅牢なはずの王座の間の床にヒビが入った。


 臨戦態勢に入った魔王を見て、ようやく僕も剣を構えた。


 不要な思考が消える。


 今まで幾度を魔族を斬り捨ててきた、この剣と業。

 けれど、なぜかこの時だけは。


 ――剣を握る手の震えが抑えられなかった。


 ■■■


 壮絶な戦いだった。

 持てる力を全て出し切った、一撃一撃が必殺になりうる紙一重の攻防。

 けれど、そんな戦いにも必ず終わりは訪れる。


「……見事だ」


 僕の剣が、魔王の身体に吸い込まれる。

 この生涯何度も繰り返してきた、ただの袈裟斬り。

 洗練されたその動きに淀みは無く、そして慈悲も無く。


 今までに無く深く魔王の身体を切り裂いたその一撃は、その戦いに終止符を打った。


 終わった。

 終わったのだ。

 ……終わって、しまったのだ。


 僕は崩れ落ちた魔王を見て、この戦いに敬意を払ってそのそばまで足を運んだ。

 腰を落として、身体を持ち上げる。触れた手で、感じた。魔王にはもう、ほとんど気力は残されていないのだと。


 無意識に、僕は魔王の手を取った。

 先ほどまで僕と剣を交わしていたとは思えない、美しい白い手だった。


「勇者よ」


 うっすらと重い目蓋を持ち上げて、魔王は必死に口を動かす。


「貴様と我は光と闇、確かにそう言ったな?」


 僕は頷く。


「なればこそ、光ある限り闇はある。……覚えて、おくがいい」


 その言葉を最後に、魔王は力尽きた。


 まだ、手は僅かに温かい。それはきっと、僕が強く握り締めたせいだろう。


 僕は魔王の身体を抱き上げて、王座に座らせた。

 あわよくば、安らかに眠れるようにと。


「なればこそ、この命の尽きるまで、僕は光であり続けましょう」




 □□□




 ねぇ、貴方に聞きたいことがあるんだけど?


 何でしょうか?


 貴方は、私が貴方の事を嫌いになったとしても、私に仕えていてくれる?


 ……いつになく、人の悪い問答ですね。……ですが、答えましょう。

 たとえ貴方様に嫌われたとしても、僕は貴方様にお仕えしますとも。それが、騎士の勤めですから。


 なぁんだ、つまらないわ。もっと面白いことを言ってちょうだい。


 ……困ったお人だ。ならば、約束致しましょう。


 ……約束?


 ええ、何でも構いません。貴方様が決めてください。その約束を、僕はこの生涯を賭して守り抜きましょう。


 良いわね、それ! なら、約束してちょうだい! 貴方は、私が辛い時はいつでも、私のそばに居てね!


 いつでも、ですか。なるほど、分かりました。神様、いえ貴方様の名において、僕はその約束を守ると誓いましょう。


 絶対だからね?


 絶対ですとも。


 ――たとえ、貴方様がどこに居ようとも。

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