彷徨う

@Amanex

第1話

青年は死に場所を探していた。

黒く大きな渦が全てを飲んでしまったような激情は、もうない。ただその嵐が過ぎ去った後に残った固くてひんやりとした感情だった。


万一にも邪魔されない静かな場所を求めていたら、この森についた。いや、樹海と呼ぶ方が適切かもしれない。なにしろ、森と呼ぶにはあまりあるほど鬱蒼としているのだった。


死ぬのは怖くなかった。ただ自分の死体が誰にも発見されずに朽ちていく姿を想像すると、他人事のように気の毒な気がした。死んでしまえば意識と体は離れて、いわば他人のようになってしまうのだろう。それは寂しい。そう思っているのは青年の意識なのか体なのか、青年にはわからなかった。少しでも迷いめいたものを感じたらポケットの中にある一丁の拳銃に手を添えた。ひんやりとしたそれはひんやりとした砂の様な感情をもたらした。


奥へ、奥へ。いったいどのぐらい歩いただろう。そもそも地図も何も持たないので、果たして森の奥へと向かっているのかも疑問であったが、それは気持ちの持ち様、この際自分が満足できればそれでよかった。

いつのまにかあたりに靄が立ち込めていた。体にまとわりつく様なぬるい靄だ。幾重にも重なった靄のせいで今が夜なのか昼なのかの判断もできなかった。「どうせ死ぬなら昼がいい」それが青年の最後の望みだった。望みと言うにはそれほど執着も無かったが、青年は夜が嫌いだった。夜とは何もかもが異様で狂気が見え隠れしている。


そろそろこの場所に決めようと思いながら歩みを進める最中、そよりと風が頰を撫でた。そういえばこの森には風がなかった。そのそよ風はこうこうと耳元で音を立てる程度に強まった。それが冷たく爽やかな風であったなら、青年も気に留めたかもしれない、が、風は依然としてぬくる、爽やかというよりまとわりつく様な靄がそのまま流れている様な馴れ馴れしささえ感じさせたため、青年が反応する様なものでもなかった。


「いよいよか」

初め、青年は自分がいつのまにか口にしてしまった言葉だと思った。しかし、そうではなかった。耳元に吹く風の音が人の声の様に唸っているのだった。もしかすると、本当に喋っているのかもしれない。

「驚くことはない。俺のことはなんだと思ってくれても構わない。森の魔物でも、おばけでも、君の心の声でも。そんな事はどうでもいいのだろう?」

たしかにそうだ。辺りに人の気配はなった、いやもしかしたらいたのかもしれない。近くで息を潜めていたのかもしれない。でも、もうそれを気にするほどのこころの余熱もなかった。


久方ぶりの他者の声は立ち込めた靄のように馴れ馴れしかった。

「君はここで死にたいんだろう?みんなそうさ、ここはこころが生きている人間は入ろうとも思わないらしい。寂しいものだよ。訪ねてくる人は皆そこで動かなくなるんだ、まあそもそも、俺を目当てで来てるわけじゃないけどね」

以前、気配のない靄の中から声がする。それは右手にポケットから取り出した拳銃を持った青年の事などお構いなしに話し続けている。

「君もまた、その1人なのだろう?何かに疲れ、または失望し、生きて行くことが嫌になったのだろう?ここに来る人はね、死ぬまでの経緯をあまり話してくれないんだ、いやね、俺も他人の不幸を聞いて面白がってるわけじゃないんだ、ただ、何もない日々で、人と話したいだけなんだよ。でもダメらしい。だからね、俺はそいつの様子からどんな事があったか想像してるんだ。君は、そうだな。まだ若いし、余程のことがあったかくだらない事かの2択だね。顔も悪くない。わかった、女だろう?恋愛に敗れたり、愛を失ったんだろう?なるほどね、でも皮肉だね?人は愛とは人生を〈彩る〉ものなんだと言う、つまり生きることの本質じゃあないと言ってるも同然なんだ、なのにその飾りをなくしてしまっただけで人は自ら死んでしまう。皮肉じゃあないのか? おっとそうだね、君は何も言ってない、もしかして違うことなのかもしれない。でも仕事にしても友情にしても、それは君の生きることの本質なのかい?飾りのために死ぬのかい?何を失っても、糧は見いだせるんじゃないのかい? なにも無理やり死ぬことをやめさせたいわけじゃない。ひどいようだが俺と君は今会ったばかりで、友達でもないからだ。だがね、死ぬ事がそんなに楽しいこととも思えないのでね?」

ようやく開いた口を動かし、青年は言う

「ここに来た奴はみんなどうなった。」

暫くの間考える様な間があり、その声はカラカラと笑いながら辺りの靄を引き連れて消えていった。


白んでいた辺りが靄が晴れるのに合わせて黒くなっていく。

「あんまりだ。」

その語尾を待たず、青年はこめかみに付けた拳銃の引き金を引いた。

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