第48話

 「戻った」


 宿の部屋に戻ると、サイグはそれだけそっけなく吐き捨てるように言った。


「お帰りなさい……機嫌が悪そうですが」


「竜でもそういうことはわかるのか……いや、失言だな、差別するような意図は無い」


「お気になさらず。実際、人の感情の機微は難しくて、今のもほとんどあてずっぽうです」


 膝の上に乗せたジルトの頭を撫でながら、ミストは柔和に笑う。


「ミスト、やっぱりお前はこの国にはいられないみたいだ」


「そうですか。やはり私は討伐されるべき存在だと」


「ああ……でもなミスト、今回のことは誰も悪くない。だからお願いだ、誰も恨まないでやってくれ」


 サイグの言葉に、ミストはきょとんとしたが、やがて頷いた。


「ええ、そもそも、私は怒っていませんし、進んで人に危害を加えようとも思っていませんよ」


「なら良かった。それで、これからどうするかだが」


「なるべく遠いところへ。この国の近くはもううろつけないでしょう、この間の人達に顔も覚えられているかもしれません」


「なるべく遠く、か……」


 遠く、と言われて思い浮かぶのは、かつて自分が目指した、世界の果ての淵だ。しかし、あの場所への道は今はわからないし、あの前のめりな吸血鬼が来た道を引き返すことはしたがらないだろう。戻ることがあるなら、彼の吸血鬼の目的が達されてからだ。


「多分、俺と、俺の……」


「?」


 仲間、と言いそうになって、サイグは踏みとどまった。アークのことは決して好いていないし、信頼関係によって成り立っている集まりでは無いように思う。そう逡巡してから、サイグは次のように言い換えた。


「協力者と一緒にいれば、色んなところに行けると思う。途中で安住の地が見つかればそこで別れればいいし、最後までついてきてくれるなら、誰もいない静かなところに案内出来るはずだ」


「……わかりました、信じましょう、竜の香りのする人よ」


「ありがとう。とりあえず、元いた街に帰ろう。そろそろあのいけすかない吸血鬼も戻ってくる頃だろうしな」


 そうして二人は荷物をまとめ、カールのいる街へと出発した。

 白亜の街は遠くなっていく。果たして、今の王は国を良く導いて、豊かにすることが出来るだろうか。そうサイグは思ったが、自分がそんなことを心配しても意味が無いと、早々に忘れ去ろうとした。



***



 サイグ達がカールの家に戻って、数時間の後に、家の戸を叩く音が聞こえてきた。


「多分アーク達だろうけど、サイグ君、念のため君が行ってくれ。敵だったらすぐに知らせるんだよ」


 カールの言葉は理に適っている。彼(女)のことはあまり好きではないが、あからさまに悪意的な態度を取らない点はアークよりは付き合いやすい。あるいは、アークは付き合いやすくするためにああいう態度を取っているのかもしれないが、サイグには逆効果である。

 サイグはドアノブを手に取り、捻り、開ける。幸い扉の隙間から攻撃が飛んでくることはなかった。


「久しぶりだなサイグ、変わり無い……わけではないようだな」


 しかし、扉から入ってきたのは見慣れない男だった。短い銀髪と紅玉の瞳、怜悧な風貌。人外の美しさであることに間違い無いが、しかしサイグはこれだけ美しい男を今まで見たことが無かった。


「なんだ、呆けた顔をして」


 再び声をかけられて、ようやくサイグは我に返った。


「あ、ああ悪い。カールの客か?最近ちょっとデリケートでな、身分を明かしてもらえると助かるんだが?」


「……お前、何を言って……ああ、なるほど」


「?どうした」


 男の一つ一つの仕草を切り取り、彫刻に、絵画にしたいと願う芸術家は後を絶たないだろう。無論その全てが自信の才覚の無さに絶望してその道を究めることをやめようとするだろうが。


「いや、お前、本当に察しが悪いなと思っただけだ」


「なっ、初対面の奴にそこまで言われる筋合いは無いぞ!」


「……誰と誰が初対面だ」


 そう言うと、如何なる魔術か、男の髪が床に触れそうな程長く伸びる。まだしも男性的だった雰囲気が、一気に中性的になり、サイグの前には、見慣れた憎たらしい顔が現れていた。


「おまっ、アーク!?」


「アッハハハハハ!!!!!」


 腹を抱えて大笑したのは、アークの陰に隠れていたリドルだ。自分がさっきまで何を考えていたのか思い出し、サイグは赤面する。


「シェイプシフター。吸血鬼はどれもその資質を持っている。体をコウモリに変える、なんてありふれた伝承だろう?勉強になったな」


 肩をポン、と叩かれ、サイグは行き場の無い羞恥を溜め息に乗せて吐き出した。

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血と永遠 まつこ @kousei

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