第47話
サイグは足早に寂れた安宿を見つけ、そこの一室にミストを匿った。街の外れで、この宿にいる人は店主の老婆だけである。彼女はミストのことに全く気付いていない様子であったし、二人にとっては都合が良かった。
「この状況、愛の逃避行でもしているみたいだな」
荷物を部屋に置き、一息ついたサイグは、そんな冗談を口にした。
「愛、ですか。人の言葉は多彩ですね。私はそういったものを知り得ません」
しかし話しかけているのは人とは決定的に論理が違う竜である。普通の女なら笑って流す戯れ言に、竜は真面目くさった顔でそう返す。アークならばここで、
「ならば私が教えてやろう」
などと妖艶に囁いて相手をからかうのだろうな、と偏見の入った思考をサイグは巡らせたが、無論想像上の吸血鬼の行動を再現するはずもなく、渇いた笑いでその場を誤魔化した。
「さて、じゃあ俺は城の方に行ってくるから」
「はい、お気を付けて」
こうして見送られるのも、新婚夫婦か何かのようだなと思ったが、勿論口には出さず、サイグは部屋を後にする。ちなみにジルトはというと、部屋に入るや否やベッドを占領して寝息を立てだしていた。
***
霧と白亜の国の中心部に、一際白く美しい建造物がある。濃霧によって頂点が見えなくなっているそれは、この国の城である。初代の王が建てた時から変わらぬ姿で建っているというが、未だその美しさは損なわれていない。その城の正門の前に、サイグは立っていた。
「貴様何者だ。ここがこの国の王の居城であることを知っているのか?」
だが、当然、何の脈絡も無く訪れた男がすんなりその門を通らせてもらえるはずもない。門番が槍を構え、誰何の声を上げる。
「知ってるさ、先王が生きていた頃に一度来たことがある。あの爺さんの冥福を祈る言葉の一つでも届けに来ようと思ってたんだが……サイグという名の英雄、で通じるか?」
サイグの名を聞くと、兵士達はハッとしたようだった。
「かつてこの国に来たという英雄の名、だな」
「すまないが自分が自分だと証明出来るものは持っていないんだ。信じてくれると嬉しい」
「いや、あなたから感じる気配は確かに常人とは違う、嘘も言っていなさそうだ、して、英雄殿が何用か」
「さっきも言った通り冥福を祈る言葉でも……ってのは目的の半分だな、今の王に会いたい、話を通してくれるか?」
「わかった、少し待っていろ」
すんなり自分が英雄サイグであることを信じてくれたことに内心安堵しながら、サイグは城門が開くのを待った。そして十数分後、王の所へと案内されることになった。
***
今の王は、先王の息子であるらしかった。サイグも以前何度か顔を合わせており、その時は父に似て温和そうな人物だと感じたし、今こうして改めて対面しても、その印象は変わっていなかった。
「久しいな、英雄サイグよ。して、余に会いたいということであったが、何があった。そなた程の男が、旧交を温めに来たというわけでもあるまい」
「そうしたい気持ちもありますがね。何やら妙な話を聞きまして」
「妙な話、とは?」
「は、この国の守護竜を、討伐しようとしている、という話でして。あれほど守護竜信仰が盛んだったこの国が、何故そのようなことをしているのかと、疑問に思った次第でございます」
サイグの言葉に、王はあからさまに顔を顰めた。傷に消毒液を塗られた子供のような顔だった。
「それがそなたと何の関係がある」
「いえ、私もこの国が好きでしてね、そんな国の大勢が変わろうとしている時に、いてもたってもいられなくなりまして」
「そうか、ならば英雄サイグよ、かつて守護竜だったものを殺して参れ。あれは守護竜などでは断じて無い。この国を脅かす災厄の竜なのだ」
「この国の不作の原因が、守護竜であると?そんなことはないということがわからない程、あなたは愚かでは無かったはずだ」
核心を突くサイグの問いかけに、王は更に醜く顔を歪めた。その口からは、秘していた本音が吐き出される。
「わかっているさ!だがどうしようもないのだ!この不作は、今すぐにどうこうなるものではない!手をこまねいている内に、国民の不満は膨れあがるばかりだ!その不満の矛先を一時的に外部に向けて何が悪い!元より何の役にも立たなかった竜だ、この際利用してやろうというわけさ!」
サイグは己の無力を呪った。この件は、誰が悪いわけでもない。誰もが必死で、打開策を考えた結果だったのだ。不作の問題は、先王の頃からあった。それを放置したままにしていたのも先王だ。違う視点から見れば、愚王であったのだろう。今の王は、何も間違ったことは言っていない。一時的に竜に目線を向けさせることで、その間に不作の対策をしようと考えていたのだ。しかし、王の最後の言葉に、サイグの感情的な部分が爆発した。
「お前は被害者になる竜のことを何も考えていない!彼女にだって自分の意志がある!それを利用するだなどと、何様のつもりだ!!」
「ヒッ!」
英雄の覇気を正面から浴びて、王は細い悲鳴を上げた。サイグは自分の剣の柄に手をやり、思わず引き抜きそうになったが、鎖の輪が壊れる音を聞いて、我に返った。
「すまない。だが今の言い分なら、本気で守護竜を討伐するつもりは無いんだな?」
「あ、ああ。そもそも常人に竜を倒せるはずもない。この期に及んでこの国に戻れもしないだろうが……しかし英雄よ、随分と聡明になったな。最初に会った時は、愚直な若者とばかり思っていたが」
「最近会った者達が、私より余程聡明で狡猾なモノ達ばかりだったもので。失礼した。私の用はこれで終わりだ。不作が改善するよう祈っている」
そう言い残して、サイグは城を後にした。
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