第46話

 ミストのいた国への道のりはそう遠くは無いが、それでも徒歩なら2日ほどの日程になる。サイグは慣れた様子で旅支度を整えた。


「これでよし、と。あとは……」


 サイグは自分の愛剣を手に取ると、それの鍔と鞘を細い鎖で何十にも縛り付けた。常人にはどう足掻いても抜けなくなっただろうそれを見て、ミストは怪訝そうな顔をした。


「サイグ様?何をしてらっしゃるのでしょう」


 その質問に、サイグは簡素な言葉で答えた。


「戒め、かな」


「戒め」


 呆けた顔でオウム返しに言うミストの表情に、サイグは軽く微笑みながら、自身の言葉の意味を説明する。


「俺が剣を振るえば、人は死ぬ。首が飛んで、余波で吹き飛ばされて、地面を砕いた破片に運悪く当たって。俺はそんなことはしたくない。でも、無意識にそうしてしまうだけの力がある。剣よりは、拳の方がまだ加減が利くからな……」


「お優しいのですね」


「よしてくれ。人並みになるのに、これだけしなきゃいけないってだけだ」


 人外であるアークや、最早人の理から脱したリドルは自身の力を存分に振るうことに躊躇などしないが、人としての倫理観の上に立っているサイグはそうではない。人を傷つけるのは悪いことだし、殺すのはもっと悪いことだ。英雄として、人として振る舞うために、サイグは旅の中で度々こうした戒めを自分に課してきた。抜こうと思えば、鎖を壊して剣を抜くことも出来るだろう。しかしサイグはそれをしない。


「人として生きるというのは、難しいことなのですね」


「……やっぱりアンタは、人間じゃないんだな」


 何を当たり前のことを、と言いたげなミストを背にして、サイグは自室の扉を開けた。その瞬間、胸に飛び込んでくる人外がもう一匹。


「おっと、どうした、お前も来るつもりか」


「驚きました、竜の幼体ですか」


 最近すこし成長し、飛ぶことも自在になった竜の子、ジルトが、同族であるミストを興味深そうな瞳で見つめている。ミストもまた同じ瞳でジルトのことを観察していた。


「こいつの親を俺の知り合いが殺しちまってな。そいつに頼まれて世話をしてる。ああ、アンタが最初俺を竜だと勘違いしたのはこいつのせいか」


「はい。同族の匂いがしましたから。その直前に、自分を殺せる力のある人だとも思いましたが」


「アーク……さっき言った知り合い曰く、俺は本来竜殺しの英雄らしいからな。殺すべきだった竜を横からかっ攫われたから、竜の討伐経験は無いが。ミストが良いならコイツも連れてく、というか、懐かれてて引っぺがすのが難しくてな」


「ええ、構いません。竜は孤独な生き物ですが、同族が側にいて嫌な者はいませんから」


「なるほど、餌場争いとかも無いわけだから、仮にすぐ隣に巣穴を作られても気にしなくていいんだよな。竜ってのは本当に不思議な生き物だ」


「私にとっては人の方が余程不思議ですよ」


「そりゃそうか。違う生き物がわかり合うってのは難しいもんだな」


 サイグは何気なしに発言したが、ミストは自分の置かれている状況を思い返し、ええ、本当に、と寂しげに漏らすのだった。



***



 一人と二匹の旅路は、主にサイグの活躍によって順調に進んでいた。盗賊が出にくい地形であるとか、現地で食物を採取しやすい場所であるとかの知識を多く持つサイグは、野歩きにおいてこの上なく役立つ存在だった。もしこの場にアークがいたのなら、珍しくサイグを素直に褒めただろう。

 そんなこんなで、目指すべき国は目前であった。霧と白亜の国、と呼ばれている通り、真っ白な建築物と、それを覆う霧が目を引く。


「何も変わってないように見えるのにな……」


 いつか訪れた日と変わらぬ外観に、サイグはそう述べたが、無論変わらないものなどこの世には存在しない。霧と白亜の国が変容したことは、隣にいるミストの存在が何よりの証明だ。


「ミスト、流石にまだ今の顔は割れてないとは思うけど、国の中ではなるべく顔を隠して、外を出歩かないように」


「わかっています。私も、ずっと見守ってきた国で騒動は起こしたくありません」


「ごめんな、帰ってくるつもりなんて無かっただろうに」


 今更だと自覚しながらも、サイグは自身の身勝手さを謝罪した。自分が感情に身を任せる性質の人間であるというのはわかっているし、それが悪い面を持ち合わせていることも知っているが、それを改められる程、サイグは単純な人間ではなかった。


「いえ。その気になれば、私は国を滅ぼすことも出来ました。私がここから逃げ出したのは、ひとえにあの国の人々を傷つけたくなかったからです。群衆というのは無自覚に無慈悲で、醜悪だということは理解しています。彼らに罪はありません。ですから、どうかあの人達を許してあげてください。私はまだ、ただ一つの傷も負っていませんから」


 その言葉に、サイグの頭にはいくつもの反論が浮かぶ。無自覚だから許されるのか、と。傷を負ってからでは遅いのだ、と。しかしそれらを口にすることはなかった。これはミストの問題で、彼女は自分でそれに結論をつけているからだ。いくらサイグが義憤に駆られようと、彼女が許すというなら、それで構わないのである。


「本当に優しいのは、アンタだと俺は思うよ……」


 ミストに聞こえないようにそう呟きながら、サイグは霧の中へと歩を進めていった。

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