おまもり
カント
本編
一目見て分かった。これも『本物』である、と。
●
応接室に入った先で私を出迎えていたのは、上等なスーツに身を包んだ、四十代程の紳士だった。その頬はこけ、瞳は魚のように丸く、顎は大きく出っ張っている。だが、綺麗に整えられた眉と口髭、そしてハキハキとした口調と仕草で私に握手を求めるその姿には、確かに、市井の人々とは一線を画す品性と知性が感じられた。
「ようこそ、ミスター。名を尋ねても?」
私は「それには及ばない」と応えた。そう、名など名乗る必要は無い。私の用件は只一つ。眼前の男――持ち得るコネクションをフルに利用し、ようやくコンタクトを取ることに成功した、とある大企業の重役へ、私の『荷物』を売りつけることだ。
「出来れば、すぐにでも本題に入らせていただきたい。『これ』を――」
「待ちたまえ、ミスター。貴方の気持ちは存分に理解できる。しかし、立ち話で済む話でもありますまい」
そう言うと、眼前の上品な醜男は、私を傍にあるソファへ誘った。私は露骨に不快感を出したが、相手は一向に譲るつもりは無いらしい。私は観念し、若草色のハリのあるソファに腰を下ろした。
ソファは、私を吸い取るかのように柔らかかった。相手も私の正面に座る。間もなく、私と男の間の大理石製テーブルに、珈琲が二つ運ばれてきた。
「さて」
珈琲を一口啜ってから、男はようやく告げた。「問題の品は」と。
私は黙って、ジャケットの右ポケットに収めている、小さな――くたびれた濁った茶色の毛を擁する――古いお守りをテーブルに置く。
「これです。事前にお伝えした通り――」
「『兎の足』ですな。随分と年代物のようだ。手入れがされて居ないが故、草臥れているだけ、とも取れますが」
「手入れなんざ」
私は吐き捨てるように言った。兎の足――どこの土産物屋にでも置いてある、安い飾り物だ。身に着けていれば幸運を招くと言われている。
幸運――反吐が出る言葉だ。
「思い入れもある模様だ」
上品な醜男は、どこか皮肉っぽく笑った。成る程、話に聞いていた通りの男ようだ。
確かに、富豪と呼ばれる程の金を持ち合わせているのだろう。身なりも上品だ。だが、本質的に『自分は人と違う』と捉えている。自分は『一級品』なのだと。だから、それが高じて、こんなものを欲しがる。
「これのせいで」
私は告げた。
「何度も死にかけた」
「だが貴方は生きている」
「そういう呪いなんですよ。恐らく、だが、確かな話です。幸運のお守りとはよく言ったもんだ。
私は何度も死地から生きて帰った」
「事前に頂いた情報によると」
上品な醜男は懐から取り出した手帳を開き、つらつらと述べ始めた。バス、タクシー、飛行機、あらゆる乗り物に乗って事故に遭い、生還した回数、述べ七回。交通事故に遭った回数、述べ九回。雷に打たれた回数、述べ五回。隕石や雹が頭に落ちてきた回数、述べ十七回――。
「これは祖父から譲り受けたものですがね。祖父もよくそんな冗談のような事故や事件に出くわしたそうです。そして、いずれからも生き延びた」
「幸運ですな」
「不幸でしょう。これを身に着けたものは、有り得ない程の災難に常に苛まれる。そして、捨てることも出来ない。捨ててもいつの間にか手元に戻ってくる。焼いて捨てても海に沈めても土に埋めても、翌日には枕元にそっと置かれている」
「手放す方法は」
「『事実を知る別人に譲ること』――祖父から伝え聞いた話ですがね」
「厄介なものを押し付けられたものですな」
「祖父にはよくしてもらっていたのでね。事実の重みも分からず受け取ってしまった。だから、藁にもすがる想いで私はここに来たのですよ」
「分かりますぞ」
相手はウンウンと頷いた。話に聞くところによると、この男は相当な好事家らしく、このような曰くつきの品々を蒐集するという奇怪な趣味を持っているらしい。だが、私にとっては渡りに船だ。
「それで」
「ははは、一刻も早く手放したいと見える。良いでしょう。もとより、そのつもりでお招きしたのです」
買いましょう、と相手は言った。言葉が出た瞬間、私は思わず叫びそうになったが、何とか堪えた。
「謝礼は、事前にお伝えした通りで良いですかな?」
「ええ、勿論、勿論。私からすると手放せる上に金まで貰える。有り得ない程に幸運な取引です」
「そうなると、やはりこのお守りは、貴方にとって幸運のお守りだったと言えるのでは?」
「まさか」
私は鼻で笑った。そうだ、何が幸運だ。今回の話は、これまでの不幸の帳尻合わせが来たというだけだ。このお守りを手にしてから、私は何度も何度も死にかけたのだ。苦痛を味わったのだ。
成る程、兎の足――足を切り取られた兎からすると、これの所持者は呪う対象以外の何者でも無いだろう。そして、世の中の多くのお守りには、こんな呪いは含まれていない。私は貧乏くじを引いたのだ。だが、そのくじの効果もこれで終わり。終わりなのだ。
「改めて、尋ねますぞ」
ほくそ笑んでいる私に、男は言った。
「貴方は、私に、このお守りを?」
「ゆず」
ドン、と、大きな音が響いた。私には何が起きたのか分からなかった。ただ、体がぐらりと揺れ、眼前の大理石のテーブルに倒れ込んだことは、何となく理解できた。
●
「運んでおいてくれ」
年代物のフリントロックピストルの銃口から昇る煙を見つめながら、私は傍に控えていた手伝いの者達に告げた。彼らは顔色一つ変えず、テーブルに倒れたままピクリとも動かなくなった、哀れな男を運んでいく。やがて応接室の扉は閉まり、部屋には私と、大理石のテーブルに広がる血だまり、割れた珈琲カップ、そして――『幸運のお守り』だけが残る。
「把握していると思うが」
私は告げた。『幸運のお守り』に向けて。
「君の所有者は消えた。あの男は私に所有権を譲る途中で死亡したからね。君は自由だ。……だが、残念なことに、君にはもう、自由にどこかへ行く為の体が無い」
ならば、と告げ、私は優しく『兎の足』を持ち上げた。それから、応接室から続く隣の部屋へ向かう。
部屋の中は乾燥していて、薄暗く、しかし足元にだけ灯を灯してある。奥のテーブルには無数の『兎の足』達が、専用のケースに収められていて、整然と並んでいた。
「せめて、ここで安らかに、同胞と共に眠りを」
私は空いているケースを一つ取り出し、あの男の持ってきた『兎の足』をそっと置いた。――そう、あの男は正しく、そして間違っても居た。
これらの品は、極稀に市場に出回る『曰くつき』だ。所謂、所持者を呪う性質を持つのだろう。所持者はこれを持っている限り、生殺しのように何度も何度も殺されかける。それは、足を切り落とされた生物の怨念、と片づけるのが妥当かも知れない。
ならばこそ、扱い方には慎重さと敬虔さが求められるのだ。誰かの所持者であるという事実から解放してやり、無念を弔ってやる。それを怠ったが故、あの男は最期まで幸福を得られなかった。
「それでは」
私は部屋を後にする際、一礼して、静かにドアを閉めた。そう、あの男にとって、あれらは間違いなく不幸をもたらすものだっただろう。
だが、対処策を知っている私にとっては。
私は応接室を見回した。年代物の大きな執務机、真っ赤なカーペット、若草色のソファ、壁に掛けた馴染みの絵画。全てが幼い頃に得ることを夢見たものだ。私は死者への弔いによって、これらの富を得た。だからやはり、あれらのお守りは――。
「――いや」
やめておこう。これは死者への侮辱に他ならない。だが――私は確信する。
この謙虚さを忘れない限り、私の富は続くだろう。
おまもり カント @drawingwriting
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