第2話 文章について
ネットに小説に投稿するにあたって、文章をどうするかが問題でした。
数年前に書いた「歴史改変戦記」のオリジナル版は文字がびっしり並んでいて黒い。
ラノベというものを私は読んだことがありませんでした。アニメは好きなので、アニメ化された作品から推し量るくらいだったのです。
ネットに小説の人気小説をいくつか読んでみました。
会話が多い。改行を多用してすっきりと読みやすい。文体も軽く、これがライトというものなのかと納得しました。
私も、改行を増やし、説明の足りない部分を補強し、ルビを打っていきました。
少しはラノベっぽくなったけど、どうしても密度が要求される表現があり、ここだけは黒いままになる。これをいかに軽く見せるかが問題でした。
それから、ラノベっぽいエピソードも追加しました。戦闘シーンとか戸部典子が騒ぐシーンとか、物語にドライブ感が出るようにしました。
でも、最終的にラノベにはならなかったように思います。
若い頃、いくつか小説を書いたことがあります。
純文学っていうやつです。物語などない私小説に近いものです。物語のない小説? そんなのあるの? と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
例えば、夏目漱石の「草枕」なんかはエッセイのような小説で物語はありません。物語はなくても、文章の力でぐいぐいと読ませる迫力があります。
芥川賞作家の笙野 頼子の「増殖商店街」は、まるで日記みたいな小説で、表現の面白さだけでげらげら笑ってしまう。この作家は純文学の極北みたいな人だからかなり難しいけど。
文章を味わう、ということは小説を読む醍醐味のひとつです。
文章というものはそういうものだという先入観が私にはありました。
物語を語るために必要なもの、それは文章力だと誰もが言います。
ラノベの文章力は最低限でいい、という人もいる。
文章よりも物語の面白さのほうが優先されるというわけだ。
ほんとうにそうなのだろうか?
私は書いていて、文章が踊りだすように思う瞬間があります。こういうときはいい文章になっています。どう書いてもさっぱり踊りださない時もあります。こういうときは分かり易さを優先します。
文豪といわれる大作家が書いた小説は初めから最後まで文章が踊っています。だから文豪なのです。
文章修行には方法がちゃんとあります。
もし、中高生なら古典文学の冒頭部分だけでいい、暗唱しましょう。
「枕草子」や「方丈記」、「奥の細道」や「平家物語」、この冒頭部はカッコいい文章です。
暗唱した文章というのは、無意識のうちに書くときに滲み出るものなのです。
中高生の頃に覚えたものは生涯記憶に残りますから、一生ものの教養になります。
国語の勉強にもなるし、一挙両得です。
文章修行で最も効果的なのは、いい文章、いい小説を筆写することです。(ラノベはおオススメできませんよ)それもパソコンでなく手書きでやるべきです。原稿用紙を使うともっといいです。四百字詰の原稿用紙にどのくらい入るのかがよくわかります。
私も若い頃に筆写をやったことがあります。この後で自分の文章を書くと筆写した作家の二次創作みたいな文章になって笑ってしまった。
高木一優の創作ノート 高木一優 @itiyu71
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