第38話 “課長”志摩耕作の爆弾提言
普段から勉強会を重ねているせいか、それとも教師チームが広海たちを舐めてかかっていたせいか、ディベートは生徒チームのペースで進んだ。水筒のコーヒーを一口含む広海。喫茶「じゃまあいいか」のマスター、渋川恭一が淹れてくれたものだ。馴染んだ味と香りは気分を落ち着かせてくれる。力強いサポートだ。感謝しなければ、広海は思った。
「それでは、議員定数の削減と一票の格差問題をどう考えていますか」
今度は志摩耕作が問題提起する。ケガでディベートに参加できなくなった幹太に代わってメンバーに加わったエースだ。広海たちにとっては千人力だ。耕作の問いに伊豆野が答える。
「どちらも国会で解決しなければならない大きな問題です。定数の削減については政府も約束していますよね。一票の格差については、この夏の国会で成立した10増10減案の成立で最高裁の示した3倍の範囲に収まりました。でも、完全に解決したとは思っていません。個人的には『3倍以内』というのも絶対的な許容範囲ではなく過渡期的な判断だと思います。格差は縮まったとは言っても、全く平等というのとはやっぱり違いますから」
教頭が憲法判断について、政府や与党とは違ったそれなりの見識と意見を持っていたのは予想外だった。
「おっしゃる通りです。で、先生は何かアイデアはお持ちですか」
耕作の切り返しに、伊豆野が一瞬黙り込む。
「百点満点の解決策があれば、もうとっくに採用しているんじゃないですか。どれも一長一短、帯に短し襷に長しだから、すったもんだしているわけで」
妙案がない教頭を耕作が追い詰めていく。
「帯に短し襷に長しですか。それって主語は誰ですか。国会議員のセンセーですよね。『プランAだとあっちのセンセーの帯に足りない』でも『プランBだとこっちのセンセーの襷には長過ぎる』って。つまり、国会議員同士で利害関係の調整ができないということ。主語を国民に変えれば、自然と問題を解く方法は見えてくると思います」
耕作は伊豆野の喩えを使って国会議員の定数是正が進まない理由を聴衆にも分かりやすく説明する。伊豆野の言葉を待たずに続けた。
「ボクは解決策を思いつきました。現実にすぐ実行できるかと言われれば無理でしょう。でも、国と地方が抱えているいくつかの問題点はクリアになると確信しています」
「そんな魔法のような策があるとは思えませんが…」
耕作にどんな妙案があるというのか。広海や愛香も、そして護倫も聞いてはいない。恐らく「じゃまあいいか」での勉強会でも話していないはずだ。どうせ張ったりだろう、と伊豆野は思ったが、広海たち「チーム剣橋」のメンバーは誰一人疑ってはいなかった。耕作があると言うなら確かにあるのだ。
「では説明します。まず、国会議員とか地方議員とかの区別をなくします。個人的には議員に序列があると考えていませんが、便宜上ピラミッドをイメージして下さい。水平方向に三分割して、底辺に近い方から区市町村会議員のセンセー、その上に都道府県議員のセンセー、最上位に国会議員のセンセーを配置します」
そのピラミッド型の説明なら、現在の議員の関係と何ら変わりがないではないか。会場のみんなが思った。相変わらず耕作は、議員を“センセー”と呼ぶ。学校の先生と明確に区別している。意識的に。カタカナの“センセー”を使う場合には、尊敬の念を込めていない、込める必要もないと耕作は切り捨てる。
「で、僕たちが選挙で選ぶのは、それぞれの居住地の市区町村会議員です。地域を代表するのにふさわしい方を選びましょう。都道府県議員は、それぞれの区市町村会議員の中から選びます。選び方は議員同士の互選の方が効率的ですが、有権者の選挙というのもアリです。国会議員ですが、こちらは都道府県議員の方々の中から選出します。選び方は同じく互選または選挙で」
会場にどよめきが起きる。耕作の提案は誰もの想像を超えていたからだ。
「それでは、地方議員と国会議員が重複することになりませんか」
耕作の案に伊豆野が当たり前過ぎる質問をする。
「重複しますね、確かに。何か困ることがありますか、教頭先生」
今のはカタカナの“センセー”ではなく、漢字の“先生”だ。政治家を呼ぶ時とは明らかに違う。耕作の問いに伊豆野は答えない。耕作の説明を待っている。お手並み拝見ということか。
「いいですか、議員は公務員です、特別公務員。どんな小さな行政単位でも、民に奉仕する公務員です。これはボクが言っているのではありません。法律で決められています。世界を見渡すと議員はボランティアの性格が強い国も少なくありません。特に地方議員の場合はそうです。もちろん日本でも基本的な考え方は同じはずですよね。法律に書かれた『奉仕』という文言の意味は『無償で仕えること』ですから。でも僕も鬼ではありません。無償というのはあんまりなので、“完ボラ”までは求めません。すみません、完全ボランティアのことです」
会場の後ろの方で笑い声が聞こえる。耕作が意識して使った、らしくない若者言葉的なに言い方に観客の緊張が一瞬ほぐれる。
「議員の兼務は簡単なことではないとは思います。でも、自分の町を良くしたい、日本のために働きたいというのが議員という仕事の最大のモチベーションだと思うので、ここは頑張っていただきましょう」
最前列で起きた拍手が再びウェーブになる。
「そんなことは非現実的です」
真っ向から否定する教頭の言葉を冷静に受け止める。想定済みの意見だ。耕作には余裕さえ窺える。
「現在の常識で考えればそうですね。既得権を持つ現職のセンセーだって受け入れるとは思えないし。でもみなさん、少しだけ考えてもらえませんか。それぞれの地方議会は一年中開かれているわけではありません。調整すれば不可能ではないと思います。では、具体的なメリットを考えてみましょう。まず、選挙が簡素化されますから、選挙にかかる費用が削減できます。当然、日本全国で議員のセンセーの総数が減るわけですので、国会議員のみならず定数の削減が実現します。定数の削減で議員の給与も削減になるから、これだけでメリットは3つです。ここでは都道府県議会議員と国会議員については互選をベースに考えます。4つめのメリットは一票の格差。地方議員の定数は現在も人口規模などによって定数が違いますので、地域ごとの一票の格差はあまり問題になりません。5つ目のメリットは区市町村から都道府県へ、都道府県から国政レベルへと法案や政策の一貫性が保ちやすいこと。また、仮に国会議員を兼務するセンセーが辞職を余儀なくされても補欠選挙なども必要ありません。同じ地区から別の議員を互選で選出すれば済みますよね」
耕作の案は合理性がある、と広海は思った。敵に回さなくて良かった、と護倫は思う。議員になる人は大変だ、と愛香は思った。伊豆野も愛香と同じタイプだった。
「デメリットもあるよね。議員を兼務したら、疲労困憊してしてしまうんじゃないか。スーパーマンじゃないんだから」
そんな倉吉の無責任な心配も耕作には想定内だ。
「確かに、兼務の大変さから何期も何期も続けることは難しいと思います。ですが、それもメリットと考えましょう。多選の問題も解決され、自然と世代交代も進みやすくなります。一人の議員がふたつ、みっつくらい大きな仕事ができれば、それで十分です。これが6つ目のメリット。」
議員ではないが、アメリカの大統領も任期は最大で2期8年だ。支持率が低迷するオバマ大統領も、2016年は2期目の最終年だ。多選や権力の集中を避けるためのルールで厳格に守られている。ロシアも基本は同じだが、権力に固執するプーチン大統領が、大統領と首相を繰り返す掟破りの“ウラ技”を使って結果的に大統領の座に居座っている。そう言えば、日本国内でも自民党が総裁任期を2期から3期に延長できることを決めた。一政党の規則と言えばそれまでだが、大きな問題だ。一般に、党をまとめるのは幹事長とされているが、自民党では事実上、総裁イコール総理だ。総裁任期の延長は同一政権の長期政権化を容認した格好だ。自民党内はもちろん、野党やマスコミも含め十分で慎重な議論を尽くさないまま成立させてしまった“罪”は重いと思う。
「地方議員と国会議員を兼務するということは、地域の抱える課題を的確に把握し国政に生かす意味でも民意の反映が可能だし、今注目されている地方創生のような政策にもプラスですよね。それに実際、地方議員や市町村長の経験者で国会議員に転身を狙う人も少なくないですよね。地方議員をしながら国政の勉強もできるから、議員のレベルアップにもつながると思います」
予想もしなかった耕作のプランに静まり返った会場の空気を、伊豆野が切り裂いた。
「そんなことは現実的に無理です。とても考えられません」
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