第34話 現職と新人、選挙の不公平が政治離れを生む
剣橋高校の学園祭。教師対生徒のディベートは始まったばかり。
「では何故ですか。ボイコットのような対応は」
『白票を投じる』。広海たちの判断に、教頭の伊豆野が問い詰める。
「意思表示しないで『政治に関心がない』とか『権利の放棄だ』と批判されるのは本位じゃないからです。時の政府や政治全般、新しい候補者にも満足できないから、棄権ではなく白票。要は“シカト”です。抗議の意味を込めて。投票率にはカウントされるから、有権者として政治参加することにはなりますよね。有効投票にはなりませんが、仮に当選者の得票数より白票の方が多かったら、マスコミも政党も何か考えるでしょ、普通」
「チーム剣橋」が考える白票の意味について、思ったよりスラスラと説明できた。もっとも、広海の考えではなく、幹太の考えだ。日頃から耳にしているので、まんまトレースできた自信はあった。
「どうしてもっと積極的になれないのですかね」
ひとつため息をつくと、伊豆野は残念そうに呟いた。是が非でも候補者の名前を書かせたいらしい。
「分りやすい例を挙げれば、賄賂を受けたり法を守らなかったりした現職の候補者や議員経験者、公約を守らなかったり平気で嘘をつく候補者がいた場合は、推す気になんかなれません。国会議員の怪しい政治献金とか、地方議員で言えば政務活動費の使い方とか。不正をして一度辞職した議員が“禊ぎ”とか言ってすぐまた立候補したりもしますよね。コンプライアンスなんていう言葉が一般的になっている中で、政治の世界には法律的にも道徳的にも緩くて、おかしいことが多過ぎるように思います」
「おかしいと言えば、議員同士で互いに“先生”って呼び合ったりするの、気色悪くないですか。議場でもテレビ番組でも。“〇〇議員”でいいじゃないですか。マスコミの記者や番組の司会者まで“先生”の敬称で持ち上げるのもいかがなものかと思います。テレビで見かけますよね、そういうシーン。なんか背中がこそばゆくて違和感満載。一体どういう世界なんだろうって」
「違和感の原因は、議員同士の場合は、本音を隠してじゃれあっているようにしか見えないからよ。一般的には“先生”って呼んだ瞬間、主従とか上下とか少なくとも対等な人間関係でなくなってしまうでしょ」
「だから、僕らは学校の先生やお医者さんなどと区別する意味で政治家のことは、カタカナの“センセー”で呼んでいます。“センセイ”ではなく“センセー”です長音符の。ニュアンスの違いはみなさんで考えて下さい」
会場にウェーブのような拍手が響く。護倫が続ける。
「そういう“センセー”たちに当選した後で不正が発覚したり、不倫や問題発言なんかで議員辞職なんてことになったら、票を投じた有権者のひとりとして責任も感じるし、人間性を見抜けなかった恥ずかしさに耐えられません」
生徒たちの意見に少し間をおいた伊豆野。口から出たのは、攻め込む言葉ではなかった。
「まあ、そういうケースがないとは言いません。マスコミまで媚びるような呼び方をするのは私もよしとはしません。でもみなさんが白紙投票することを、先生は残念に思います」
黙っていた耕作が、聞いている生徒にも分るように説明する。
「誤解のないように確認しますが、最初から棄権すると宣言しているわけではありません。可能性の問題であり、考え方は人それぞれということです。例えば僕の場合、あまりに多選、よく言えば経験が豊富過ぎるのは候補者選びの中でマイナス材料になるかもしれません。才能という点だけで言えば、政治経験のない人の中にも優秀な人材は少なくないと思うんですよ。でも新人候補は才能があっても当選しにくい。何故でしょう。まず、お金がない。選挙資金のことです。国会議員、特に現職の場合は政治献金や政党交付金、法外とも指摘される高額な歳費から選挙資金を賄うことが出来ますが、新人候補者は実際には税金で賄われているそうした資金がないので、圧倒的なハンディキャップがあります。公平性が保たれていないんです、現職と新人では。それに、一定以上の票を獲得できれば戻ってくるとは言え、立候補するには三百万円とか六百万円とかの供託金も収めなければならないし。しして、地盤と言われる後援者。これだって現職が有利なのは子供にだって分る。不正をした元職だって応援してくれるほどの強い絆で結ばれていますよね。地元の県議会議員や市区町村議会議員も選挙運動の有力な応援団になるわけだし。たとえ実績のある現職だとしても、十年以上も務めているなら、そろそろお役御免でいいかなというのが率直な意見です」
「いるじゃないですか。地方都市の市長で何期も何期も続けている人。1期4年だから、4期務めれば16年。これって有権者の責任もあるけど、後継者も育たないと思うんです」
「そういう批判があるのは分かります。でも初めての選挙で、そんな消極的で本当にいいの?」
英語担任の町田が持ち出してきたのは、正義感か、それとも丁寧な物言いの脅しか。広海は迷ったが、“課長”の答えは明快だった。
「初めてだろうが2回目だろうが、関係ないッスよ。初めての投票権もセレモニーじゃないんです、少なくても僕たちにとっては。大切な一票だからこそ、よく考えて使いたいだけです。自分が無理無理投票した候補者が当選したとしましょう。後で不正が発覚しても、屁理屈こねて議員の椅子にしがみつく。そんな醜態見せられた日には、情けないのを通り越して、自己嫌悪の嵐ですよ。政治離れだ、投票率が低いって騒ぐのは世間やマスコミくらいじゃないですか。投票に臨む姿勢は来年も、再来年もきっと同じ。地に足を付けて、と考えています」
「選挙の度に投票率の高さ、低さが問題になります。そしてマスコミも投票総参加を呼び掛けます。これってどうなんでしょう」
耕作に背中を押してもらった護倫が持論の選挙論を展開する。元県議の祖父と長年繰り返してきた議論なので、口は滑らかだ。
「どうなんでしょうというのはどういう意味ですか。有権者という言葉の通り、投票は国民の権利であり、民意を直接表明できる数少ない機会です。有権者が投票するのは政治に参加することです。投票に行かない、つまり棄権するということは権利を放棄すると同時に責任も放棄する行為ですよ」
町田は高校の教諭らしく応じる。だが、その主張は護倫の想定内だ。
「一般論としてはおっしゃる通りです。授業でも習いました。順序は逆さまになりますが、先ず投票総参加に対する疑問です。投票は間接民主主義の中で、一般人が直接、政治に参加できる貴重な機会ではあります。それは十分承知しています。ですから、『棄権することなく貴重な一票を投じましょう』という建て前は理解できます。ですが、投票は権利ではあっても義務ではありません。棄権する自由も十分に尊重されるべきではありませんか。いかがでしょう」
「確かに選挙で投票するのは権利であって、厳密にいえば義務ではないかもしれません。しかし、社会人の役割として、有権者が投票によって意思を表示することは必要だとは思いませんか」
町田は常識的な反論で問い返す。
「社会人としての役割ですか。市民として地域社会に直接的、間接的に貢献することは必要でしょう。でも、社会人としての役割イコール投票とは思いません。もちろん、政治的無関心による棄権はよくありません。僕が権利としての『棄権』というのは、よくよく考えて熟慮の上の止むを得ない棄権のことです」
護倫の主張はいよいよ核心に向かうが、町田には護倫の真意が分らない。
「『止むを得ない棄権』とはどういう意味ですか。投票に行かないことに、止むを得ない事情なんてあるのですか」
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