第35話 ばあちゃんは、じいちゃんに従順に投票する

静まり返った剣橋高校の体育館。「棄権も権利だ」という長野護倫が教師チームの鋭い視線を浴びながら、熱弁をふるう。

「志摩は『不正や疑惑の議員に投票できない』と言いましたが、選びたい候補者がいない場合です。信条的、生理的、感覚的、いろいろな理由が挙げられますが、選挙の際にいずれの立候補者の所信表明や姿勢にも賛同しかねることだってあるわけです。どの候補者にも頑張ってほしいと思えないのに、票を入れるということは正しい投票行動ではないと思います。間違ってますか」

護倫は相手側の表情をうかがう。

「それは詭弁というものです。投票しない言い訳でしかありません」

祖母には申し訳ないなと思いながら、護倫は具体的な例を挙げてみせた。

「では、こういうのはどうでしょう。ウチの祖母は、毎回選挙に行く“皆勤賞”です。けど、投票するのは祖父の推す人。正確に言うと立候補者ではなく、自分の連れ合いを支持しているわけです。仲の良いおしどり夫婦で微笑ましい話なんで、祖母を悪く言うつもりはさらさらありませんが、選挙の広報や新聞記事などをよく読んだ上で、適当な候補が見つからずに棄権するのと、自分の判断でなく、誰かの意見に合わせて投票するのとでは、有権者の行動、動機としてはどちらにシンパシーを感じますか、みなさん」

場内後ろから拍手が起きる。護倫の実家のエピソードは、広海にも愛香にも思い当たる話だった。

「組織票だって否定される道理はありません。身近な人に支持を呼び掛けることは、選挙を勝ち抜くための作戦のひとつでもありますよね」

一瞬、言葉に詰まった教頭の伊豆野が答える。しかし、それは立候補している側の論理だ。

「別に、組織票を否定なんかしてませんよ、歓迎もしませんけど。投票率の“質”のような問題だと思うんです。候補者の主張や人柄などに賛同して票を入れるのが本来の投票のあり方ですよね。でも実際には、候補者のことをまったく知らない、関心を持っていないのに周りの影響で、知人や組織に頼まれて投票するケースも少なくない。組織票もそのひとつだってことです。でも、投票率の数字には投票の動機は反映されない。つまり単純な投票率の比較なんて実は意味がないんです。政治への関心の高さを測るためのバロメーターとしての投票率には、甚だ疑問があるというのが僕の考えです。投票率が低いからといって、イコール政治的関心が低いとか民度が低いとか決めつけるのは安倍総理の口癖と同じ“レッテル貼り”じゃないですか。大事な政治を任せる候補者がいないという失望感から棄権したパーセンテージが正しくカウントできません。そうした状況を実は、懸命な大人の皆さんは実は薄々気がついているんです。でも本音は言わない」

護倫は日頃から疑問に思っていることをストレートに口にした。広海は投票率の低さイコール関心の低さだと普通に思っていたのでちょっとビックリ。新聞やテレビのニュースでも基本、同じ論調だから深く考えず鵜呑みにしていた。

「それでは、長野君は投票率の低さは問題ではないと言うのですか」

伊豆野は護倫を論破できずにいた。

「もちろん投票率は高いに越したことはありません。教頭先生のご指摘通りです。でも内容はもっと大切です。『阿吽(あうん)の呼吸』という言葉があります。本来は「吐く息」を意味する『阿』と「吸う息」を意味する『吽(うん)』のことですが、オトナの社会、とりわけ政治の世界のことをメディアが取り上げる場合は否定的な意味で使われます。悪い意味でということですね。有権者もそんな政治家の本質、阿吽の呼吸で動いている政界の現実に気づいているから、選挙そのものに冷めている。でも、マスコミは遠慮してか、当事者から非難を警戒してか指摘を避ける。割と単純な図式で表すことができると思います。『白紙の領収書も全く問題ない』などの発言に代表される昨今の政治家のモラル意識の欠如や、信じられない失言、暴言の数々を見るにつけ選挙や政治って幻想じゃないかって疑ってしまいます。同時に、誰に投票しても結局は同じじゃないかって失望感も、ある意味理解できます。つまり投票率が上がらない原因には、政治家側のモラルハザード、道徳・倫理の欠如による責任も大きいと思うんです。政治家の罪と言っても良いかもしれません」

他校の高校生のグループだろうか。賛同の拍手が起きる。

「そういう政治家がいることは、私も認めます」

伊豆野は心持ち小声になった。

「もうひとつ、特定の政治家の多選や二世、三世などによる事実上の“世襲化”なども投票率が上がらない大きな原因のひとつと言えると思います。有権者はシラけてるんですよ。形骸化した現在の民主主義の仕組みに。まだ、有権者予備軍の僕らにだって分かります。でも、世間は全部ひっくるめてみんな、政治的無関心の一言で片付けようとする」

ここまで言って、護倫は大きく息を吸った。もしかして、これが「吽(うん)」の音だろうか。護倫は一瞬「あれ? “あうん”の“うん”ってどんな漢字だったっけ」と考えてしまった。人間の脳の構造は不思議だ。

「それなら変える努力をしなければいけません。傍観者になって、評論家みたいな言い方をしているだけでは何も変わらないのではありませんか」

伊豆野は何かに気づいたように常識人らしく言った。

「おっしゃる通りです。傍観者でいるだけでは何も変わりません。ですから“魔訶不思議”な政治の現状を訴え、教頭先生がいうところの『変える努力』をしているわけです。路上ライブや有志の勉強会で。今度の大河ドラマは戦国武将の真田幸村が主人公ですよね。諸説ありますが、“日本一の兵(つわもの)”と評された戦略家です。その幸村には力強い十人の忍者たちが仕えていたとされています、真田十勇士。ちょうどいいから、僕らのことを“剣橋十有志”とでも呼んで下さい。勇ましくはないけど、志はあります」

勢いだけの出まかせではあったが、ウマいことを言ったと護倫は自画自賛気味に思った。ニヤニヤしながら「私たち十勇士なの? じゃ、幸村は誰? 誰を支えているワケ? っていうか、そもそも十人もいたかしら」と首を捻って呟く広海の脇腹を愛香が小突いた。

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