第33話 「チーム剣橋」絶体絶命

 「いやぁ、参ったわ」

 消毒液の匂いがする殺風景なベッドの上。真っ赤なTシャツに黒い短パン姿で大宮幹太は横たわっている。まるで他人事のような物言いは、見舞いに来た小笠原広海と長崎愛香を心配させまいという気遣いだ。「みんなのテンションを暗くしたくない。自分は大丈夫」って訴えているようで広海には逆に痛々しかった。涙がこみ上げてくる。

「ごめんなさい。こういう時、どんな顔をすればいいか分からないの…」

意外な広海のセリフに戸惑いを見せる幹太、

「…笑えばいいと思うよ、って俺は碇シンジか! そして、お前は綾波レイか!」

一瞬の沈黙の後、病室は爆笑に包まれた。

「ちょっとぉ。周りに迷惑でしょ。初号機パイロットのカンタ君」

きょう3回目の巡回に来た看護師の飛鳥涼子。注意しながら、話に加わる。

「何だ、思ったよりも全然元気じゃない。スポ根ドラマのヒーロー気取りで、包帯グルグル巻きにして、骨折した足は天井から吊るされているかと思ったわ」

と努めて明るく愛香。幹太も笑って聞いている。お互い本音は分かり合えている。

「お前ら、ケガ人相手によく言うなぁ。何だか身体の傷より、こっちの方がズキズキ痛むわ」

幹太はアスリートが気持ちを落ち着けるように、右の拳で自分の左胸を2回軽く叩いた。

「あら、痛み止めの注射が必要かしら。なんなら傷ついた心に巻く包帯も持って来ましょうか。残念ながらハートブレイクにつける薬は聞いたことないけど」

幹太と広海、愛香を見比べながら、看護師の飛鳥。他愛のない会話の中に、幹太のケガの具合や病室での気持ちの持ちようにも、問題がないことが伺えた。


 二日前の夜のことだった。部活の帰り。原付バイクを運転していた幹太は、転倒して左足の骨を折る大けがをした。左手の人差し指と中指の骨にもひびが入っていたが、そのくらいで済んだことが不幸中の幸いだったというべきだろう。原因の発端は自転車の無謀運転だったらしい。自宅近くの丁字路。直進する幹太の前を死角になっている左の道路から無灯火の自転車が勢いよくカーブしながら飛び出してきた。歩道がない道路だった。対向車線にはライトを点灯したオートバイが一台。幹太は咄嗟にハンドルを少しだけ右に切って自転車を交わした。対向のオートバイとはまだスペースがあるはずだった。が、予測に反して接触してしまったのだ。対向車線を走って来たのは、実はオートバイではなかった。右側のヘッドライトが切れた黒い小型のワンボックス。歩道側に見えた左側のヘッドライトを幹太が一瞬、二輪と勘違いしたのだった。幹太はワンボックスの前部と接触して滑るように転倒した。だが、後続車がなかったことが幸いした。

「で、どうなったの」

「全治三ヶ月だって。まあ、一ヵ月も経てば歩けるくらいにはなるらしい」

「そうじゃなくて、事故の方。幹ちゃんに落ち度はあったのかって聞いてるの」

広海は詳しく聞いていない事故の経緯を幹太に尋ねた。

「厳密に言えば、前方不注意もあるっちゃあるんだろうな、道路交通法的に。十対ゼロはないから。でも、自転車の小学生にはケガはなかったし、ワンボックスもボディが凹(へこ)んだだけだったらしいから」

「そういうことじゃなくて。あんたが一番割を食ったわけでしょ。一番過失の少ないあんたが一番痛い目に遭っているって理不尽極まりないじゃない」

愛香が広海に代わって、横から口を挟む。

「まあ、いいじゃん。小学生の家族もワンボックスの運転手も見舞いに来てくれてさ、申し訳なさそうに謝って行ったから。まあ、確かにバイクは壊れるし、身体もこの通りだし。こういうのを踏んだり蹴ったりっていうのな」

幹太は一度、サイドテーブルの上にある果物のかごに視線をやった後、ギプスをした左足を軽く叩いた。

「もう、生まれついてのお人好しっていうのよ、そういうの」

正義感の強い広海は、自分のことのように怒りが収まらない。

「今オレ、もしかして褒められてる? さすがにそれはないわな」

ひとりノリツッコミで和ませようとする幹太を無視するように愛香。

「警察にはもっとちゃんとしてもらわないとダメよね、取り締まりとか。私も自転車に乗っていて時々見かけるよ、テールライトが片方点いていない車とか、信号で止まっているのに、ストップランプが切れている車とか。夕方かなり暗くなってきて、ほとんどの車がライト点けている時間帯なのに、無灯火の上、横断歩道で待っている歩行者の目の前を結構なスピードで素通りする車ばっかり。横断歩道で停まる気なんてさらさらないの」

「自転車だってそうよ。最近の道路交通法の改正で、自転車の危険運転についても罰則規定が盛り込まれるようになったけど。実際はどうなのかしら。雨の日の傘さし運転や“ながら携帯”とか、イヤホンで音楽聴いている人なんか減っているように見えないし。歩道でうるさくベル鳴らしながら我が物顔で走行された時なんか、アッタマ来るわよ。お前が自転車降りるか、歩行者を避けろって」

広海が思い出したようにまくしたてると、すかさず幹太がツッコミを入れる。

「言ったのか」

「言わないわよ」

確かに、警察の取り締まりにも問題があるように思えてならない。取り締まりの多くは、スピード違反や飲酒運転、駐車違反にシートベルトの着用義務違反、一時停止義務違反などだ。報道機関を通じて情報を提供している公開交通取り締まりの場合も、スピード違反や飲酒運転防止がほとんど。飲酒運転やスピード違反の危険運転は論外だが、同様に整備不良は大きな問題だ。

高齢ドライバーによる重大事故が相次ぐと、免許証の自主返納を求める主張が幅を利かす。解決策は急務ではあるが、ハンドルを放せない事情だって様々だ。もう少し血の通った対策が講じられるべきだろう。むしろ、情状酌量の余地のない危険運転対策は更に急務のはずである。

シートベルトの効用は、事故が起きた場合のドライバーや同乗者のリスクの軽減だ。身体に大きなダメージを与える事故でも一命を取りとめる事例は多く、正に命綱ということができる。しかし、シートベルトは言わば運転者の自己責任。十分な整備は周囲への責任。どちらの責任がより大きいか。優先順位優先順位は明らかだろう。整備不良は、対向車や後続車、周囲の歩行者や全ての道路利用者の安全上で迷惑になるばかりか、重大事故のリスクが高いファクターだからだ。事故防止のために、薄暮時の早め点灯や日中での二輪車のヘッドライトの点灯などを呼びかけることはよくあるものの、運転前の始業点検などの呼び掛けはほとんど聞かない。整備不良の確信犯に対しては無理でも、愛車の不具合に気がついていないドライバー対策には十分効果があると思うのだが。自転車の危険運転についても道交法の改正がどれほど抑止力になっているのか疑問が残る。改正直後は新聞もテレビも特集を組んだが、マスコミ報道も人の噂と大差ない。結局は最初だけで、大きな事故が起きないと扱われる機会は減る。次に特集されるのは「道交法改正から一年」のタイミングか重大事故があった時。神戸では2006年、自転車で坂道を下ってきた小学生が62歳の歩行者をはね、小学生の親が九千五百万円の損害賠償を命じられる事例もあったのだから、他人事ではいられない。

 幹太の骨折はけがをした本人は当然痛いが、「チーム剣橋」にとっても大きな痛手だ。学園祭に間に合わない。10月の学園祭で、伊豆野教頭率いる教師チームとの公開討論会が決まっている。観衆による投票を行うことになっていて、勝てば学校側は広海たち「チーム剣橋」の勉強会を認める。負ければ広海たちは政治についての勉強会を止めて、受験勉強に専念する約束だ。もちろん路上ライブも出来なくなる。事実上「チーム剣橋」の解散ということだ。本来、学校行事で教師と生徒がそんな勝負をすること自体いかがなものかと思うが、広海と幹太が、文化祭を盛り上げるアトラクション的なゲームとして、教頭に持ち掛けたのだから仕方がない。「チーム剣橋」にとって予想もしていなかった最大のピンチだ。エースの幹太なしで教頭たちを論破できるのか。広海は不安になった。




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