第31話 選挙権の引き下げで投票率は下がる
「いよいよ選挙権年齢が18歳からになるのね」
いよいよというのは決意なのか、期待なのか-。口に出した小笠原広海自身、その副詞を使ったニュアンスは曖昧だった。
ある日の昼休みの教室。
「選挙権もらったのにイマイチ実感沸かないのは、なんでだろう~」
清水央司(ひろし)の感想は、多くの高校生の声を代弁していた。
「オウジは政治に関心ないからじゃない」
秋田千穂の刺がある直球ストレート。ジャージ姿の央司は否定しない。しかし、「チーム剣橋」で勉強会をするようになって俄然、関心が高まったのも事実だった。
「そりゃさ、政治に関心あるかって聞かれたら、なかったよ。少なくてもこれまではさ。でも今回の安保関連法案で一変したね。これで関心持たなかったらウソだね。もう筋金入りの無関心」
「実際に初めて投票するのは多分、来年夏に予定される参議院議員選挙からだけどね」
と吉野さくら。衆議院のように解散や総辞職がないので、参議院選挙はスケジュールがはっきりしている。ひとりひとりの議員の任期は6年だが、3年ごとに半数が改選される仕組みだ。参議院が「良識の府」と呼ばれる意味合いの一つがここにある。全ての議員が一斉に改選になると、可能性だけで言えば総入れ替えだってあり得る。改選議員を半数ずつずらすことで、考え方の安定性を担保するのが理由だ。
「お祭り騒ぎだろうね、きっと。『選挙年齢引き下げ効果』とかなんて言葉も一人歩きしてさ、『選挙年齢18歳記念ナントカ』とかのイベントも出てきそうだね。流行語大賞にも選ばれるかもしれないし」
お祭り騒ぎを煽るのは決まってマスコミ、主にテレビだ。新聞が特集しても影響は知れている。テレビや雑誌がこぞって大々的に取り上げるから、騒ぎが増幅される。「啓蒙」という名前で。広海が言うのはそのことだ。
「一大イベントだよね。プロ野球の優勝記念セールみたいな」
「イベント、好きだからね、日本人は」
クラス一のお祭り男の央司とは違い、あまり世の中の流れに左右されるタイプではないさくらには、「ブーム」という言葉は似合わない。
「投票率も上がるんだろうな」
評論家ぶった護倫の予想。容易に想像できるだけに、みんな無反応だ。
「最初はね。イベントも好きだけど、新しいモノはもっと好きだからね、日本人は」
と央司。
「でも、すぐに元の木阿弥よ、きっと。いい? 過去の投票率を年代別に見ると、20代の投票率が一番低いんだって。なのに18歳と19歳の有権者だけグッと上がるなんて誰が言ってるワケ? そりゃ最初は選挙公報とかの啓蒙活動も力入れるし、これまで選挙に行かなかった上の世代の人も『オトナの責任見せるか』なんて張り切っちゃったりしてさ、最初の参院選の全体の投票率が上がるのは簡単に予想できるわ。今回の安保法制をめぐる盛り上がりもあるし。でも所詮は付け焼刃。喉もと過ぎればナントカって。喩えがビミョーにしっくりこないけど。選挙権を18歳にすることで、矛盾したり整合性がとれないことだってきっと出てくると思うの。ほんの1年やそこいらでフォローしきれないでしょ」
新しモノ大好きの央司と違い、広海も納得するさくらの冷静な分析だ。
「ボロが出るってワケね。でも仮にほころびが見えても、政府はどうせ『想定外』って言うだけだろうし」
「だって、動機が不純だもん、選挙権の引き下げそもそものの」
と護倫。選挙年齢引き下げの舞台裏についても下調べは出来ている。
「世界の標準が18歳以上だから、なんて導入の理由が完全に後ヅケじゃん? 最初は憲法改正の国民投票だけ18歳以上にするつもりだったんだ、絶対。でも、それじゃ筋が通らないって指摘を受けて、衆参両議院の選挙や都道府県知事と議会の選挙と最高裁の裁判官の国民投票なんかも、投票権のある公職選挙法の改正っていう流れになった」
「短絡的だよね。オレたち高校生に読まれているようじゃなぁ」
央司は選挙年齢の引き下げの理由なんて深く考えているわけではない。
「だから、出てくるわよ。いろんな矛盾がね」
「何だか楽しそうね。まるで矛盾が出てくるのを期待しているみたい」
さくらを揶揄(からか)う千穂の頭の中に一瞬、困惑する政治家の顔が浮かんだが、すぐに消えた。そんなことでマジ困惑する政治家なんていないことに気がついたからだ。
「失礼ね。そんなに性格悪くないつもりなんだけど」
さくらが笑った。
その日の放課後は昼休みの延長戦になった。
2016年夏の参院選挙は投票率は上がるだろうと推測されている。選挙権年齢の引き下げ効果や、安保関連法案成立の経緯や憲法解釈の是非をめぐる賛否が関心を集めたこともあって、投票率のバロメーターになる前回選挙と比べれば相対的には上がるだろう。しかし、問題がないわけではない。
「この間、一票の格差の話していたけど、選挙年齢を引き下げると一票の格差ってもっと問題になるんじゃね?」
と護倫。
せっかくの問題提起も、高校生らしい若者言葉のせいでどうにも緊張感がない。
「どうして? ねぇ、どうしてよ?」
さくらの好奇心が疼く。一票の格差をめぐっては、この夏のロングラン国会で最大多数の自民党が格好の悪い歩み寄りをして10増10減案を成立させたばかりだ。さらに問題になるとは、どういうことだろう。
「いいかい、一票の格差って基本、人口が過密な都市部と過疎の地方の間で起こる問題だよね。高校生と地元で就職する高卒者はともかく、大学に進学する18歳、19歳を考えると、地方から都市部の大学に進学する人って結構いるよね」
一時は郊外にキャンパスを移転する大学も増えたが、まだまだ圧倒的多数の大学が都市部に集中している。特に最近は少子化の影響もあり、一度移転したものの、再び都市部にキャンパスを戻す動きも加速した。
「首都圏と大阪、京都あたりの関西圏かな。特に学生が集中するのは」
「そうね。直近の参院選で最高で4.77倍だったわよね。格差の一番大きいところ。参院選でも深刻な格差がでてくるのかしら」
広海にも千穂にも、そしてさくらにも護倫の言わんとするところがイマイチ、ピンと来ない。
「全国にいる18歳、19歳の数には当然、地域差があるわけだよね。18年前の出生率だって都市部と地方によっても偏りがあったわけだし、それぞれ違うからね。仮に一票の格差が是正されて一応、憲法違反の水準がクリアされたとしても、それはそれで別な問題が起きる」
ごく当たり前の護倫の前置きに、広海がかぶせる。
「進学や就職のために地方からどっと都市部に移り住む特殊な年齢層でもあるわけよね、18歳、19歳って。そして、その数は転勤とかに比べたら相当多い」
「それで、それで?」
さくらが先を急ぐ。
「けどさ、都市部に引っ越して来る人がみんな住所変更していると思う?」
護倫の第1ヒント。
「そうね、ウチの従姉妹なんかもう20歳過ぎてるけど、まだしていないわよ、確か」
と千穂。央司も思い当たった。
「オレんとこも、そうだわ」
「選挙権って。3ヶ月以上だったかな、一定の期間以上その地に住んで初めて権利が得られる決まりじゃん」
第2ヒントを出す護倫。が、誰も答えがひらめく様子がないので、分かりやすく種明かしを続ける。
「そもそも住所変更していない人は、実際に住んでいる所では選挙権がない。投票出来るのは住民票が登録されている本籍地や実家のあるところ。かといって、お盆や正月にでも選挙がない限り、わざわざ選挙のために里帰りなんかしない。だから投票しない、っていうか物理的に投票できないって話」
「20歳以上でも住所変更している学生は多くないと思うけど、都市部に出てきている18、19歳が住所変更していない比率は、きっともっと高いから投票自体行かないってことね。往復の交通費だってバカにならないし」
千穂も央司も18歳選挙権の先行きを思い描いた。
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