第29話 プレミアム商品券の罪と罰

 「オレは別に反対はしない。充実した青春を送ってほしいと思っている。熱中できるものが見つかったのなら、本気でやればいいさ。タイミングは重要だ。社会人になっても見つけられないヤツもいれば、中学生や高校生で見つけるヤツだっているだろう」


 愛香の父親・長崎金太郎。妻の成子(しげこ)から、愛香の説得を相談されていたのだが、金太郎の考えは茂子のそれとは少し違っていた。

「勉強は大切だが、高校生活は大学受験のためだけにあるわけじゃない。高校球児が甲子園を目指すように、部活で全国大会を目指すのもいいだろう。大学へは進まずに高校で簿記や工業系の技術を学び、即戦力での就職を目指すことも素晴しい。中には料理人やパティシエになるために専門学校への進学を考える生徒もいる。考え方や価値観は人それぞれだから押し付けなんかできない。もちろん希望する大学に進学するために遮二無二勉強するのもいいさ。希望する大学を選ぶ動機がポイントだけどな」

「動機がポイントって、どういうこと?」

愛香が聞き返す。考えてみると父親と面と向かって話をするのって久しぶりだ。

「言葉の通りさ。大学を選ぶ基準が、ただ就職のための通過点みたいになっていなければいいがな、ってことだ。自戒の念を込めて」

「自戒の念を込めてって、パパの」

自ら就職のために大学を選んだことを告白(カミングアウト)しているのに、改めて聞き返す奴がいるかよ、と金太郎は思ったが感情は抑える。

「自分の勉強したいこと、研究したいことができる大学を選ぶことが出来ればベストだってこと。就職に有利だからって理由だけの大学選びは、寂しいぞ。もちろん個人の自由だから無理強いはできない。ただ、今振り返ってみると、偏差値だけの大学選びは、日本の教育が抱える最大の問題かもしれないと思うんだ」

これは企業側にも問題がある。建て前では「企業は人」と言う。しかし、実際のところ、やはり学歴上は有名大学の方が有利なのは確かである。金太郎は勤務先の銀行で採用担当も経験した。書類選考の段階から含め、学歴を確認する時に大学名に先入観が入るのは否めない。

「それって、良い高校に入るために良い中学行って、有名大学に進学するために優秀な高校や予備校に通って、一流企業に就職するために少しでも偏差値の高い大学を選ぶっていうこと?」

愛香は、自分たち姉妹が経験してきたことを思い浮かべる。

「まあ、平たく言えばそういうことだな。世間一般では一流企業や高級官僚がひとつのゴールになる。いわゆる“勝ち組”。本当の意味で“勝ち組”かどうか別にして」

金太郎は持論の一端を娘に披瀝する。

「何よ、女子高生相手に理想論かざして。やめてよ、変な知恵だけ刷り込むのは」

成子は夫にやんわり釘を刺す。

「そう言えば愛香、政治に関心があるんだってな。母さんから聞いたよ」

金太郎は、成子の言葉できょうの本題を思い出した。

「関心っていうか、今の政治、おかしなところがたくさんあるでしょ。みんなで話し合っているうちに、だんだん腹立つーって」

愛香は同級生との活動をかいつまんで話した。

「今の総理の名前は?」

「安倍さん、安倍晋三さん」

「じゃあ、都知事は?」

「舛添さん、舛添要一さん。やめてよ、そういう人を試すような質問」

「ごめん、ごめん。最近テレビを見てると、こんな常識的なことも知らない若者が多いから、もしかしてと思ってな」

金太郎は娘に謝った。

「そうか、ムカつくーか。無関心でいるよりは大事なことだな。安保関連法案とか、新しい国立競技場の建設問題もな」

「腹立つーよ。でも、広海が言ってたわ。『私たち“政治的無関心”じゃないの。“政治的未関心”なだけ』ってね」

愛香は正直、父親と議論するつもりはない。さらりと躱(かわ)そうとした。

「なるほど。無関心じゃなくて“未関心”か。広海ちゃんらしいな。じゃあ、父さんから課題を出そう。プレミアム商品券をどう思う。知っているだろ」

娘の関心と力量を推し量ろうというつもりか。

「どうしたの? さっきから。パパが詰将棋以外で娘を試すなんて。もちろん知ってるわよ。全国各地の自治体が販売している商品券よね、地域限定の。人気があって、たいてい発売から間もなく売り切れになるって」


 地方創生のプレイベント的に、各地でプレミアム商品券が花盛りのムードを呈している。例えば一万円で一万三千円分買い物ができるとか、一万五千円分の宿泊券として利用出来るとか特典は様々。百貨店などの会員優待がおおよそ一割程度なのに対し、使用できる地域を限定する分、お得感をアップさせた商品券だ。しかし、各地で金太郎飴のように発行されるプレミアム商品券には、地方経済の活性化のプラスの側面だけでなくマイナスの側面がある。かつて政府が景気浮揚の経済対策として実施した地域振興券は、所得や家族構成など一定の条件を満たした国民に一人二万円ずつ配布された。しかし、プレミアム商品券は、優遇を受けるために現金支出を伴う。つまり、一つめの罪は、一時的に出費を伴うということ。二つめの罪は、数量が限定されていること。額面と実売価格の差額分は、それぞれプレミアム商品券を発行する自治体が負担するわけだから、財源はもちろん税金である。しかしプレミアムの恩恵は、希望者が漏れなく受けることは出来ない。三つめの罪は、該当地域での使用を考えていない第三者が購入し、ネット・オークションなどで転売するケースが目立つこと。一万五千円分買い物できる商品券を、売り出し価格の一万円で買って、一万二千円で売れれば、二千円の利益が生まれる。現金で利ざやを稼ぐことができるのだ。しかも、“税金泥棒”とも言えるこうした悪質な転売行為については罰則がない。券面に「転売禁止」を謳ってはいるものの、実際に抑止力はない。禁止の文言を載せさえすれば責任回避できると考えている役所のスタンスも甘過ぎる。事なかれ主義の典型と言えるだろう。あろうことか、本来は市民に提供されるべき品を職権を使って大量に購入していた首長も現れる体たらくぶりも発覚した。

「まあ、北陸新幹線・かがやきの指定席券のように、発売から数秒で完売ということはないだろうがね。買いたい人が買えないというのには問題があると思わんか。ネット・オークションで転売できる政策なんて愚の骨頂だ。何しろ、プレミアム分の財源は税金なんだからな」

金太郎の鼻息が荒い。

「そうね。税金で提供している特典が先着順で、しかも数量限定っていうのは確かに問題があると思うわ。子育て支援や所得格差の是正も目的とした地域振興券とは性格が違うものね。転売目的の購入も地方創生にはつながらないし。それに、中小や零細の小売店にとっての効果はそれほど期待できない。利便性を考えれば商品券の使える店舗は多い方がいいわけだけど、そうなると商店街の小さなお店よりも大規模店の方が断然恩恵を受けることになってしまうわ。矛盾した結果が容易に想像できちゃう」

愛香は、父親が指摘しなかった問題点も挙げた。

「じゃあ、何か対策は」

テレビのクイズ番組の司会者のように畳みかける金太郎。

「そんな急に言われても…」

「商品券方式をやめて、キャッシュバック方式にすれば解決するんじゃないか。地域振興のためのプレミアム商品券だ。まずは、それぞれの地域に訪れてもらい、できれば地元の商店街でショッピングしてもらう。支払いは現金でもクレジット・カードでも構わない。そして、購入額に応じて、プレミアム商品券と同額の割合でキャッシュバックすればいいんじゃないか。キャッシュバックでなくても良い。一万円で一万五千円のものが購入できれば、考え方は同じだ。差額分は後日、自治体が負担すればいい。プレミアム商品券だって、後で自治体で換金するわけだから」

ここまでイメージができれば、答えは導きやすい。

「メリット①先着順で購入者が限定されるプレミアム商品券とは違うから、希望者がもれなく特典を受けることができるわね。メリット②プレミアム商品券は印刷、配送、販売の手間と費用がかかるけど、キャッシュバック方式の場合は、それらのコストがカットできる。メリット③転売のリスクを心配する必要がないこと。利用者が事前にチケットの入手なしに直接支払うわけだから、間に第三者が介在できないもんね。でも残念ながら最後に挙げた中小、零細の小売店対策は解消することが出来ないなぁ」

愛香は答えを列挙したものの、不十分さが気に入らない。

「さすがに少しは政治に関心を持っていると言うだけのことはある。“未関心”と言うのは謙遜が過ぎるんじゃないか」

金太郎は満足そうに笑う。

「で、愛香が解決できないと言った小さな小売店対策こそ、本来は政治家の出番ということになる。行政の行き届かないところをチェックして、場合によってはリードする役割だ」

「あなた、焼けぼっくいに火をつけるような真似、よしてよね。愛香には受験が迫っているんですから」

父娘のやり取りに割り込んだ成子は心配を隠さない。

「いいじゃないか。たまには家族でこういう議論したって。愛香も17歳だ。一歩(かずほ)だって間もなく選挙権を持つようになるんだし。いつまでも総理大臣の名前も知らない若者では困るだろう」

「だから、知ってるってば。失礼ね。全く」

「プレミアム商品券はブームで浸透している。発売、即完売の人気を“好評”と勘違いするからなんだけど、いつか必ず問題は表面化する。税金の恩恵を享受できるのは限られた人間だけなんだから。中小、零細店舗対策もな。プレミアム商品券で『シャッター商店街』が復活した話なんか聞いたことがない。手っ取り早く景気対策になりそうだから深く考えることもなく、横並びでやっているだけさ。『赤信号、みんなで渡れば怖くない』って典型だな」

「何それ」

17歳の愛香に、たけしのネタは古過ぎた。

「あら? 映画監督のたけしさん知ってるでしょ?」

助け舟のつもりで、成子。

「それは正確じゃない。ツービートのビートたけしのギャグだ」

金太郎は生真面目な性格だ。彼にとって北野たけしとビートたけしは別人だ。

「同じでしょ。昭和の流行語。コマネチっ、もね」

成子から、まさかの決めポーズが飛び出した。

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