第21話 父島でオリ・パラを考える

「ようこそ、私のホームタウンへ」

翌朝と言っても、もう昼近い午前11時30分。おがさわら丸は定刻通り、小笠原諸島最大の島、父島の二見港に碇を下ろした。空は快晴。

白いタンクトップに着古したブルーのデニムの短パン、黄色いビーサンを履いた小笠原広海が船着場で4人を出迎える。そこに毅然とした応援団長のイメージはない。どう見てもロコ(地元)ガールだ。何日も離れていたわけでもないのに、長崎愛香と秋田千穂は広海とハグ。船から降りてくる乗客に首からレイでも掛けたら、ここはハワイか、って錯覚しそうなロケーションだ。調子に乗った清水央司がハグしようと身体を乗り出した瞬間、広海は寸前で交わして、アカンベー。仕方なく央司はひとりエアー・ハグ。おまじないを『船』の字に書き直した効果があったのか、央司は船酔いからもすっかり回復していた。広海たちの島生活の舞台は広海の両親の営むペンションではなく、近くのコンドミニアムに変更された。自宅のペンションだと、他の客の手前もあって4人とも伸び伸び出来ないだろう、という広海の母・洋子の気遣いだった。コンドミニアムには、洗濯機も電子オーブンレンジも炊飯器だって揃っている。自炊に自信があるわけではないが、『三人寄れば文殊の知恵』だ。5人もいるのだから何とかなるだろう。

「英語では、コンドーね」

開放感の中にも教養がのぞく。千穂が授業では習わないネイティブ・イングリッシュの豆知識を披露する。

「もちろん、正確にはコンドミニアムだけど、カジュアルな会話表現ではコンドーの方が一般的らしいわ。一回使ってみたかったのよね」

千穂は広海に軽くウインクしてみせた。

「じゃあさ、近藤さんが、ハワイでコンドミニアム借りる時には『コンドー、コンド、コンドー、カリタイ イン・ハワイ』って言うのかな」

100パーセント船酔いから解放され、央司節も全開だ。

「言うわけないでしょ。英語と日本語がごちゃ混ぜじゃない」

央司は元気な方がイジリ甲斐がある。愛香は思った。


 初めての父島で初めてのコンドミニアム生活。気分が高揚しないわけがない。「チーム剣橋」のメンバー5人は初日、2日目と島生活を満喫した。島寿司もごちそうになった。醤油漬けにした白身魚を辛子をつけて握った郷土料理だ。小笠原諸島ならではのウミガメ料理やパパイヤキムチも近くのレストランで恐る恐る初体験。予想以上に美味しかった。野生のイルカと一緒になって泳ぐドルフィンスイムも、そこそこ楽しんだ。そこそこというのは、ガイドブックに載っているように自由気ままにイルカと遊ぶことは出来なかったという意味である。何せ相手は大自然の一部なのだから、人間の思った通りになるなんて考える方が傲慢というものだ。4人が目を疑ったのは広海の姿。小さい頃から接しているだけあって、イルカと戯れるように泳ぐ姿は、学校で見る広海とはまるで別人だった。イルカにも受け入れられ、まるで自然と一体化したような姿が4人には眩しかった。ノムさん風に「広海、海の子、イルカの子」と喩えた央司に誰もツッコミを入れなかった。広海たちが「チーム剣橋」の勉強会を開いたのは、到着から3日目だった。


「今度の東京オリンピックってコンパクトな開催がウリだったんじゃないの」

と愛香。連日報じられたテレビの影響もある。最初のテーマは新国立競技場建設問題にした。デザインの賛否と二転三転どころか五転も六転もした総工費の乱高下。不明確な責任の所在とリーダーシップの欠如、国に対する東京都の不信感。様々な要素を孕(はら)んで社会問題にも発展した。海外の著名な建築家がデザインした建設案は総理が突然、白紙撤回したことで、既に解体・撤去された旧国立競技場同様に構想は“更地”に戻ってしまった。

「確かブエノスアイレスの最終プレゼンで、競技会場などの主だった施設を選手村から8キロ圏内に建設する言ってたはずよね」

千穂が招致活動の記憶を辿(たど)る。

「サッカーの東北開催とか一部競技の地方開催は、震災復興の名目などで織り込み済みだったけどね」

と央司。オリンピック招致は東日本大震災の直後だったこともあって、五論の高揚感を全国で共有して元気になろうというムードがあった。

「それがさ、バスケットボールやゴルフは埼玉、ヨットは神奈川とか、どんどん広がっている。まぁ、東京近郊ばかりだけどね」

幹太と千穂に共通しているのは、関係団体の一貫性のなさだ。。

「メイン会場の建設からして大モメでしょ。当初は千三百億円くらいでできるはずだったのに、デザインを忠実に再現したら三千億円はかかるって話になった」

「天井に開放的なアーチの付いたやつね。映画のスター・ウォーズ風の近未来的な。完成予想図とかよく見たもん。ネットでも騒がれたこともあって、膨らんだ予算はどんどん訂正されて一旦は二千五百二十億円に落ち着いたみたいだったけど。そうそうたるメンバーを集めた東京五輪有識者会議で決めたんだよね」

広海の頭に浮かんでいるのは、五輪組織委員会の森喜朗(よしろう)会長が「生牡蠣のドロッとしたみたいの」と評したイラストだった。

「もう、皮肉屋なんだから。白紙撤回されているのよ、とっくにというか今更って感じはするけどね。ところで、天井の形って競技する選手の成績やパフォーマンスにどのくらい関係するのかしら」

分かっていながら、千穂は意地悪だ。

「皮肉屋はチーちゃんじゃない。本当に性格悪いわね。分かりきってるでしょ、そんなこと」

「何だ。じゃあ、やっぱりデザイン変更すればいいだけの話じゃんね」

他愛のない広海と千穂のやりとりだが、このデザインをめぐって一体どれだけの時間を無駄に費やしたのだろう。白紙に戻っただけで、時間も経費も新たに必要となるのだから国民としては憤懣やるかたない。再びデザイン選考に関係する役人や政治家たちがいるならば、無給でやるべきだと広海は思う。

「結局、日本スポーツ振興センター(JSC)もオリンピック組織委員会も文部科学省も煮え切らないから、総理が自ら白紙撤回するしかなくなったわけだよね。でも、責任を取る取らないはもちろん、誰一人として謝った人がいない。しかも、問題点が整理されたわけじゃないし、解決もしていない」

幹太は納得したわけではない。どうにか怒りを胸に収めると、千穂の推測を聞いた。

「設計者のザハ・ハリドさんは、ロンドンオリンピックの水泳会場のデザインも担当したらしいの。何でも“建築界のノーベル賞”って言われるブリッカー賞の受賞者なんだってさ。どうせ日本の組織委員会は、ネーム・ヴァリューと実績に乗っかっただけでしょうけどね。権威に弱いから。自分たちの責任は棚に上げて“おんぶに抱っこに、肩車”ね」

「JSCと文部科学省が乗っかったわけね。過去のオリンピック会場を設計した実績も大きいし。誰かに反対された時に、反論する主張の根拠にもなるし、説得力は抜群だからね、実績。自分たちは権威を振り回すくせに、もっと大きな権威にはめちゃ弱いの、役人も政治家も」

愛香が千穂に乗っかって付け足した。

「権威に弱い日本人を象徴しているような話だね」

と幹太。見て来たような物言いをする。

「そのブリッカー賞のネーム・バリューに二千五百二十億円ってこと?」

一口に二千五百二十億円と言っても、広海にはその巨額な金額がイメージできているわけではない。

「デザインは公募制で、審査の段階では二千億円を上回るデザイン案は除外したって選考委員会は言ってたけど」

ふだんは私見を入れない千穂だが、明らかに疑っている。

「責任を回避して言い訳したくなる気持ちは分かるけど、見苦しいよね。実際に除外されてないから、こんな話になっているわけで。まあ、日本の省庁の予算には一度仕分けされてもさ、気がついたらなんだかんだ理由つけて復活する“ゾンビ予算”みたいのも少なくないから絶対とは言えないし。大バッシングを受けて『今度は千五百五十億円以内で』って言ってるみたいだけど『はい、そうですか』って信じるわけにはいかないよな」

どうやら幹太を説得するのは難しそうだ。原因は幹太の性格ではなく、政府や官庁の対応がその場しのぎで一貫性がないからだった。

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