第18話 桂、愛香、一歩 将棋三姉妹
「あんた、まさかそれで
あきれた口調で問い詰めるのは長女の
「強気な指し手が身上の愛香にしては珍しいわね」
二つ年下の妹の
愛香の家は、両親と三姉妹の五人家族。愛香は次女だ。桂は三つ違いの姉。国立大学の理学部に学ぶ大学2年生。一歩は二つ違いの妹で公立中学の3年生だ。
「だって、しょうがないじゃない」
「敗北宣言早過ぎっ。あんたらしくないわね、愛香。内申書を楯に取られたからって、何か打つ手があったんじゃないの」
「だって私、お姉ちゃんみたいに頭良くないし、将棋も強くないもん。内申書なんてまだ気にしなくても良い一歩とは違うんだからさ」
「あたしだって一応受験生だから、内申は関係ないことはないんだよ。まあ、あたしの場合、問題ないとは思うけどさ」
一歩は成績も良いし、生徒会の役員も務めている。世渡りも上手なので、ヘマはしないだろう。
「愛香、あんたさ、立て続けに
と姉の桂。悪手も将棋の用語で、悪い指し手のことだ。発音もイントネーションも同じだがシェイク・ハンドの握手のことではない。
「大体ね、私は頭良くないから大学生やってるの。プロ棋士だった米長邦雄さんは亡くなる前のインタビューで『兄たちは頭が悪かったから東大に進学した』って冗談で言っていたわ。かつて将棋のタイトルを総なめにしたこともある羽生 善治三冠(2017年11月現在は一冠)も大学は行ってないし。私ももう少し頭が良かったらプロ棋士になれたかもね。内申書だって絶対評価でしょ。先生だってよっぽどのことがない限り、そんなに悪く書かないはずよ。まあ、日頃から
「まさか」
「それに、大学入試って基本、ペーパーテストの一発勝負。内申書ってさ、推薦入学とか狙ってるんだったらウエイト高いと思うけど、あんた違うでしょ」
「うん…」
「愛香はさ、将棋でも名前のまんま。香ばっかり可愛がってさ、勝負どころでドーンって
一歩も姉を褒めているんだか、けなしているんだか分からない。
「将棋と実生活は違うでしょ。将棋は将棋、所詮ゲームなんだから」
と素っ気ない愛香に、一歩が反論する。
「それはちょっと聞き捨てできないセリフよね。所詮ゲームって。ゲームだから負けてもリセットできちゃうってこと。また最初からやり直せばいいやって。愛香にとって、将棋はその程度のものだったのね」
「一歩、あんたもちょっとオーバーじゃない? あんたは一体どんな気持ちで将棋指してるの? まさかプロの女流棋士になるとか」
中3の
「だってしょうがないでしょ。桂姉ちゃんがプロにならないって言うんだもん。おじいちゃんやお父さんの夢でしょ。私たちの誰かがプロ棋士になること。大学の研究が面白いからって長女が一抜けしたんだから、後は次女が目指すしかないじゃない。だから愛香にはそんな生半可な気持ちでいられたら困るわけ」
「ちょっと待って、一歩。どうして、あんたが私の将来決めるわけ。私だって自分のことは自分で決めるんだからね。大体あんただって進路はまだ決まってないでしょ。あんたが女流棋士目指したっていいわけでさ」
と愛香。棋士になることが既定路線のように語る妹の言い分をまんま受け入れるわけにはいかない
「残念でした。私はもう決まってるの」
と一歩がわざとらしくハンディ・モップを前後に動かして床を拭く動きを見せる。
「何それ。家政婦は見た? あれ、家政婦のミタだっけ?」
「まさかの専業主婦?」
姉妹の連想ゲームはなかなか答えにたどり着かない。
「発想が貧困ね。私の尊敬するお姉さま方は」
一歩が姉に敬語を使う時は、間違いなく小バカにしている証拠だ。
「正解はね、カーリング」
「カーリング?」
桂と愛香はふだんより一オクターブ高く声を揃えた。
「そう、カーリング。氷上のチェスって言われるくらい戦略的なスポーツよ。まあ、そういう意味では将棋とも関係なくもないから、親不孝ではないと思うんだけど…」
「だって、カーリングって北海道とか青森、長野のチームが強いんじゃないの。スピードスケートと同じで。東京のチームに勝機はあるの?」
と桂。一般常識としての情報は持っている。
「将棋みたいに先を読んだらつまらないじゃない。それに可能性はどのチームだってあるわ」
一歩の視線が宙に注がれる。何をイメージしているのか、姉にも分からない。
「じゃあ、メンバー揃えて北の強豪チームに挑戦状を叩きつけるわけね」
と愛香。。
「ううん。目指すのは小笠原 歩選手率いる北海道銀行フォルティウス」
一歩は二人の姉が予想を裏切る次の一手を繰り出した。
「どういうこと? いきなり日本のチャンピオンチームじゃない。それに遠いわよ北海道。そしてメンバーに入ることはもっと長い道のり」
と桂。早くも三手くらい先を読む。
「なまら寒いっしょ、札幌」
愛香が、唐突に知っている北海道弁を使ってみた。
「LS北見じゃなくて、フォルティウスを選んだのはいわば運命ね。司令塔のスキップを務める小笠原選手は、
「
桂と愛香が一歩に促されるように、再び声を揃えた。
「ピンポーン。今まで黙っていたけど、テレビで見た時からもう他人とは思えなくてさ。歩に、果歩に一歩。“歩三姉妹”なんちゃって。なんかキャッツアイみたいでしょ、美人三姉妹」
「小笠原さんと小野寺さんはともかくとして、あんた自分で言う?」
「とにかく、何かの縁っていうか、赤い糸っていうか運命的な出会いっていうのかな。長崎一歩、北の大地に一歩を踏み出す決意でありマス。ちなみに、新しくチームに参加した吉村選手は、
「じゃあ、私でもいいじゃん」
言ってはみたが、愛香がカーリングをする確率は限りなくゼロに近いだろう。寒いのは苦手だ。
「というわけで、私も女流名人争奪戦線から離脱しまーす、ということで、消去法で
と一歩。本気でカーリング娘を目指すのか。自分の部屋をモップ掛けする姿すら見たことがないが、大丈夫だろうか。愛香は意味もなく考える。
「一歩、あんた人の話聞いてた? 棋士は大学進学より難しいってエピソード。それに、棋士を目指す人は小さい頃から奨励会で力をつけてプロへの階段を登るわけね、普通。愛香は奨励会にも入っていないし、実力だってプロを目指せるレベルかどうか怪しいもんだわ」
桂が二人の妹を見比べながら微笑んだ。
「ちょっと待ってよ。どうでもいいけど、揃いも揃ってさ、大学入試は無理だとか、棋力が怪しいとか。二人とも思いやりの欠片もないワケ? 」
「そんなにカリカリしないでよ。政治家を目指すのもカーリングでオリンピック目指すのも自由よ。私だってどうなるかなんて決まったわけじゃないし。おじいちゃんだって棋士になる難しさなんて百も二百も承知よ。三人の孫がみんな、将棋の相手が出来るだけで満足なんだから安心なさい。迷惑を掛けない範囲で自由に考えていいのよ」
長女らしく桂が言った。
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