第17話 親子ゲンカで愛香が離脱?

 ネットでも話題のキラキラネーム。キラキラネームというのは、最近の子供たちにつけられた難読名前のことでだ。「光宙」と書いて「ぴかちゅう」、「七音」と書いて「どれみ」と読む例もある。2013年生まれの赤ちゃんで最も多かったのは男の子が「悠真」と書いて「ゆうま」、「はるま」など。女の子は「結菜」と書いて「ゆいな」「ゆうな」などの名前だという。音の響きや読み方を優先して後で漢字を当てはめるスタイルが多い。なるほどとうなずけるものから、これは正直ムリでしょとツッコミたくなるものまで様々。親の愛情や思い入れたっぷりということなのだろうが、クイズやとんちのように頭をひねってもなかなか読むことができないものも少なくない。命名は基本的に個人の自由ではあるが、いじめにもつながるなどの理由から、賛否両論がある。

長崎 愛香あいかの家族の場合、キラキラネームというわけではないが、祖父の龍男たつおの影響で世間一般とは違う“法則”があった。龍男が大の将棋好きというのが原因である。「龍男」の命名の理由ははっきりしない。曽祖父は将棋をしない人だったし、龍男が辰年生まれでないことは明らかだったが。そして、龍男は自分の名前を気に入っていた。何しろ大好きな将棋の大駒、飛車が相手の陣地に攻め込んで更に強力となった「龍王」の字をもらっているのだから。龍男は自分の長男、つまり愛香の父親を金太郎と命名した。長崎家の長男だから太郎。そして、将棋の開始時は玉の両隣りに陣取り、攻防のカギを握ることが多い重要な駒「金」を充てた。昔話の金太郎のように強くなったほしいという願いが込められていたわけではない。次男には銀二と名づけた。「銀」が金と同様、重要な駒であることはいうまでもない。そして、金太郎に子供が生まれると、龍男は自分のことのように喜んだ。愛香の姉、長女をけいと命名したのは龍男だ。女でなく男だったら桂でなく、駒のまんま「桂馬」の予定だった。次女の愛香はもちろん「香車」にちなんでいる。龍男は「かおり」一文字にするつもりだったが、金太郎が娘かわいさに「愛香」と届け出たというのが真実らしい。そして龍男に「あゆみ」と命名された三女は、またも出生届の際に金太郎によって正に一文字書き足され「一歩かずほ」となった。「歩がない将棋は負け将棋」という有名な格言もあり、龍男は「一歩」には納得した。

ちなみに愛香の母、金太郎の妻はというと成子しげこ。もちろん龍男と直接血のつながりがあるわけではないので、将棋とは無縁の名前だ。だが、縁談がまとまった時、龍男はこの上なく上機嫌だったという。将棋では、歩兵や香車、桂馬、銀将の駒が敵陣に入って「金将」の駒と同格に強くなることを「成り金」と呼ぶからだ。


 剣橋つぎはし高校から愛香の行動を巡って長崎家に連絡があったのは二日前のことだった。電話で連絡してきたのは副担任。受けたのは母親の成子だ。話の内容は「愛香には勉学に専念してほしい。最近、授業にも集中できず、クラスメートと課外活動に力が入り過ぎているきらいがある。まだ2年生とはいえ、保護者としても十分に留意して見守ってほしい」ということだった。伊豆野の命を受けての連絡だったことは明らかで、広海や幹太との分断作戦、言わば切り崩しだ。一連の経緯を知らない成子は話の内容を真正面から受け止めた。

「愛香、あなた最近勉強は順調なの」

ダイニングで夕食の支度をしていた成子が、冷蔵庫の牛乳を取りに来た愛香を呼び止める。

「何、急に。別に特に変わりないわよ。順調かと言われればなところもあるけれどね」

冷えた牛乳を紙パックから自分のカップに移しかえる愛香。

「何、ビミョーって。母さん、そういう言い方あんまり好きじゃないな。微妙なら分からなくもないけど、ビミョーって伸ばした言い方が気に入らない。ヤバイっていうのはもっと嫌だけど。もう涙が出そう」

成子は酢豚でも作るつもりなのだろうか、タマネギを刻む手を止めた。

「やーだ、もう。ヤバイなんて言ってないじゃない。一歩じゃあるまいし」

能天気な愛香。まだ成子の真意は理解できていない。

「あら嫌だ。一歩は『ヤバイ』なんて言葉遣ってるの」

茂子が手の甲で軽く涙を拭う仕草。タマネギのせいなのか愛香の言葉のせいなのか分からない。

「ヤバッ。一歩に怒られる」

「愛香、あなた今『ヤバイ』って言ったわね」

誘導尋問に引っ掛かったような愛香に成子が畳み掛ける。

「私が言ったのは、ママと同じ昭和世代ののヤバッね。イマ風の肯定的な意味でのの意味のヤ・バ・イとは違うから安心して。一緒にしないでよ」

愛香はもっともらしい言い訳を並べてピンチを切り抜けたつもりだ。

「ヤバイはどうでもいいの。勉強の話。もう大学受験までそう時間もないのに、広海ちゃん達と一緒に遊んでるっていうじゃない。母さん困るわよそういうの」

成子は包丁を置いて手を洗いながら、本題に入った。

「別にママに迷惑掛けているわけじゃないわ。確かに成績はパッとしないかもしれないけれど、それは今に始まったことじゃないし。そういう意味では順調よ。成績に響くほど遊んでいるつもりはありません。大体、遊んでいるっていう言い方は失礼ね。正確でもないわ。遊んでなんかいませんから、どうぞご心配なく」

よくあるパターンの親子喧嘩だ。ムッとする愛香に成子が駄目だめを押す。

「あなたね、大学受験は内申書だって大事なんだからね。学校の先生の印象だって考えないと」

ちなみに「駄目」というのは囲碁の用語で、打つ意味のないところという意味と、終局面で先手後手どちらの陣地でもない場所を指す。勝負が決した後に交互に駄目を詰めて盤面を埋める作業を「駄目を押す」と言ったのが由来だ。

「ママは、娘の私と学校の先生とどっちを信用するの。もう、信じらんない」

「信用の問題じゃないの。いい、あなた、来年は高校3年生、受験生なの。政治の真似事にうつつを抜かして受験に失敗したらどうするつもり。お父さんだって悲しむわよ、そんなこと知ったら。そんな風に育てたつもりはないんだから。勉強に集中しないんなら、母さんにも考えがあるからね。いいわね、政治になんか関わらないで、ちゃんと勉強しなさいよ」

成子はそう言うと、振り返って下準備の出来たオーブンの扉を開ける。

「真似事なんかじゃないんだからね、もう」

醤油の香りが漂うダイニングキッチンを逃げるように後にした愛香。このまま広海たちとの勉強会に参加できるかどうか一抹の不安を覚えた。


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