第14話 普及の切り札は二千円札大使

「二千円札って、誰が発行を決めたわけ?」

犯人探しが始まった。

「発行した時の総理大臣って誰?」

「亡くなった小渕おぶち 恵三総理。小渕 優子さんのお父さん」

長野 護倫まもるの質問を待っていたように秋田 千穂。

「元号が昭和から平成に変わる時に、平成って毛筆書きの額を持って発表した人だよ。あの時は確か官房長官」

今度は“課長”志摩 耕作。クイズ番組なんかでよく見る映像だ。

「教科書か参考書にも載ってた、その場面」

清水 央司ひろしにも記憶があった。千穂がノートに目を落とす。

「二千円札はさ、小渕総理の肝煎りで発行が決まったの。でも、急に亡くなったから、実際の発行のタイミングは森 喜朗よしろう総理の時。森さんって、2020年の東京オリンピックの組織委員長。よく顔見るでしょ」

「新しい国立競技場の問題でもいろいろ問題発言しているみたいだけど、大丈夫かな」

大丈夫かなと言ってはみたが、広海ひろみ自身何を心配しているのか良く分からない。多分実際には何も心配していない。

「今度はオリンピックを記念して、新しい20円玉作ったりして」

こういう発想では誰も央司に勝てない。

「だから、普及しないって」

「いいんです、普及しなくても。責任取らなくてもいいんです、クーッ」

「博多華丸・大吉って沖縄出身? あれ? 華大はなだいって福岡出身じゃん。博多って言ってんだし」

珍しくツッコミを入れたつもりの耕作だが、生憎あいにくボケになってしまった。

「お父さんの肝煎りって話だったけど、娘の優子さんは二千円札使っているかな」

ボソッと千穂。

「後援会の会費は二千円札でお願いします、とか」

「ブラックだね、コーヒーみたいに苦味が利いているブラック・ジョーク」

今度は耕作が正しいツッコミ。秀才同士のノリツッコミは意味深だ。

「あのさ、せめてグレーって言って、グレーって。って言わないでよ」

千穂がオチをつけた。どこまでもブラックだ。

「私も調べてきたんだけど」

部活帰りにやって来た石川 碧。アイスド・コーヒー片手に涼んでいた。

「おじさんが、銀行に勤めているんだけどね。二千円札を発行したばかりの頃は物珍しさもあって、二千円札に両替を希望するお客さんが多かったらしいの。銀行にもルールがあってね、日銀から券種、お札の種類のことよ。日本銀行券だから、銀行員はお札じゃなくて券種って言うんだけど。銀行の種類や規模によって、一万円札はこれくらい、五千円札はこれくらいって保管する数が決められているんだって。だから、はじめは二千円札もある程度っていうか、かなりの枚数を準備することが、それぞれの銀行に義務付けられていたの。これも流通させるためよね。でも流通しないお札がずっとあっても無駄っていうことで、何年か前からその決まりもなくなったって言っていたわ」


 当初は、日銀が全国の銀行それぞれに一定数の保管を義務付けていたが、人気も需要もないのでその義務もなくなった。結果、それぞれの銀行から日銀へ“返品”されるように二千円札が逆戻りしてしまったという話だ。これでは、二千円札が日の目を見なくなったのも当然だ。

ってことか」

自分用に淹れたコーヒーをすする恭一。苦そうなのは粉の量を間違えたのではなく、のせいだ。

「毎日毎日、動かない不人気の二千円札より、そりゃ流通する一万円札や千円札の方がいいでしょ、銀行にとっても」

と碧。

「そういえば、いつからか気が付かなかったが最近は、銀行のATMコーナーの両替機からも二千円札のボタンが消えている。つまり、二千円札への両替ができないってこと。まあ、在庫がないんじゃ、そうなるわな。内にはまだにはなっていないが…」

恭一が店のレジの奥から二千円札を取り出して見せた。7、8枚はあるだろうか。

「沖縄にとってもイメージ・ダウンよね」

と千穂。そうだ、二千円札は沖縄サミットを契機に発行された紙幣なのだ。

「沖縄だって、ある意味被害者だよね。憎まれっ子っていうか、いわれもない厄介者扱いされてさ」

広海は行ったことがない沖縄ではなく、自分の生まれ故郷の小笠原の父島をイメージして言った。


「でもね、沖縄ではちょっと事情が違ってね」

碧が胸を張る。彼女が姿勢を正すと、180センチ近い長身が一層際立つ。

「何が違うの?」

「沖縄ではね、二千円札、ちゃんと流通してるの」

碧の意外な答えに、広海の頭にクエスチョン・マークが二つ点滅する。

「えー、何で何で」

碧の答えは、単純明快だった。

「やっぱ、沖縄サミット開催のタイミングで発行されたお札なわけだし、首里城の守礼門も描かれているわけだから、一言で言えば愛着ってこと」

「愛着ねぇ」

護倫の口から溜息交じりの声。

「もしかしたらで“扱い”というか“なかった物”扱いされているからこその意地みたいなのもあるかもしれないわ。経済界や県民こぞって普及に努めているんだって。ほらこれ」

碧が何気なく口にしたに恭一は反応した。沖縄在住者が県外を指すことが多いが、政治家も無意識に使うこの言葉に恭一は違和感を覚える。北海道や九州、四国に対しては決して使わない。『本土』というのは“”か“”か。返還から40年以上経つのに、沖縄にとって未だに疎外感が残っている。大きな原因は集中する米軍基地問題があることは明らかだ。しかし、ここで話に水を差すのは遠慮した。碧が取り出したのは、一枚のオレンジ色のカード。

大きさは普通の名刺くらいだろうか。

「何?このカード」

「二千円札大使認定証?」

広海が不思議そうにカードを読み上げた。

「そう。叔父さんのなんだけど、二千円札流通促進委員会っていうのがあって、那覇市の商工会議所が力を入れているらしいわ。日銀の那覇支店と一緒に企画して発行した認定証だって」

碧が受け売りで解説する。

「おっ、裏に大使の任務が書いてある。


1. 自ら二千円札を積極的に利用すること。

2. 周囲の人に二千円札の意義、利便性を説明し、広く利用を呼び

  かけること。

3. 二千円札流通の問題点やアイディア、また周囲における二千円札の

  利用状況等について、適宜委員会に報告すること。


 報告先は日本銀行那覇支店になっていて、ファクス番号とメールアドレスも載ってる。これモノホンだよね。平和希求紙幣って書いてあるぞ」

護倫が一気に読み上げた。

「発行当初は、そういう意味づけされた紙幣だったんだな、きっと」

耕作が言うと、何か大切なお札のように聞こえるから不思議だ。

「そんなこと、みんな忘れてしまったんだろうね」

千穂も、手にした二千円札を改めていとおしそうに見つめる。

「みんなって?」

「沖縄県民以外の国民の99.9%。政治家も、官僚も」

どうして耕作は、こうも事務的で客観的な物言いができるのだろう。

「『記憶にありません』というのは政治家のセンセーで、霞ヶ関の官僚は多分記憶力は抜群なんで、忘れたフリなのよね、きっと」

 千穂が珍しく感情的に切り捨てた。がしかし、最近の官僚の記憶力は怪しくなってきた。森友学園をめぐる国有地の格安払い下げ疑惑や加計学園の獣医学部新設を決めた不透明な手続きについて、官僚らは「記憶がない」「記録がない」と一点張りだからだ。

「忘れたフリしても、わがフリくらいは直してほしいけどね」

と広海。一度導入を決めた以上、政治家や官僚には何か改善策を考える責任があるはずだ、と思っている。

「『二千円札にだけ、他の紙幣にはない平和を希求する特別性はありません』とか答弁するわけね。官房長官か財務大臣が。こういう時に総理は答弁しないから」

千穂が皮肉屋になるのは、沖縄に集中する米軍基地問題や地位協定なども調べて疑念を抱いているからだった。

「あ、言いそう、言いそう。官房長官とかが」

碧が相槌を打つ。

「でも認定証の発行元は那覇支店とは言っても日本銀行なんだから、そんな言い訳が通用するわけないんだけどね」

論理的な耕作に一同、相槌を打つ。

「でも、しれっとして日銀と政府は違うとか言いそうじゃん。強弁っていうの、得意だからさぁ。どっちにしても、沖縄とはやっぱ温度差があるんだよ。基地問題だけじゃなくてさ」

「基地問題と同じレベルで論じる問題ではないとは思うけど、温度差があるのは事実だよな」

広海と耕作の脳裏には、かりゆしウェアに身を包んだ翁長雄志沖縄県知事の顔が浮かんでいた。

「誰か、後で基地問題も調べておいてね」

広海は、誰にともなく言った。


※「二千円大使制度」は2020年現在は行われていません。

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