第13話 Y2K問題と¥2K問題
「え~っと、ここから大事なところよ。二千円札が予想を裏切って、この場合、予想というのは“国民の予想”じゃなくて“日本を動かしている政治家や官僚の予想”に反してって意味だけど、二千円札は普及しなかった。私が思うに、日本人ってやっぱ保守的なんだわ。何だかんだ言っても。お札はさ、一万円と、五千円と千円の3種類で何十年も過ごしてきたわけだし。千円札を何枚も持つのに不便を感じていなかったのね。むしろ、お札が4種類に増えることで、区別することに面倒臭さを覚えたのかも。昔は五百円札や百円札だってあったくらいだから、4種類で面倒というのも頭の悪い証拠よね、って母も言ってたわ」
「それに、実際、千円札や五千円札と間違えて使ったりするなんてこともあって一段と評判を落としたらしい。って言うか二千円札が悪者にされたワケ」
と千穂。ちょっとした二千円パニックが列島を席巻した。当の二千円札にとっては責任のない迷惑な話だ。
「要するに、文化が違うってことだよね。2のつく数字に違和感のない外国と5倍と10倍を基本に数を数える日本の違い。そして、新しいものへの拒否感っていうか抵抗感」
“課長”はいつも冷静だ。スマホやゲームなどの新商品には発売日の何日も前から行列を作るほどの新しいモノ好きなのに、思考回路はクールが服を着て歩いているようだ。
「この場合、スマートって意味とは程遠くてさ、頑固一徹っていうか、石頭の方が正確かもね」
「って言うか、頭の切り替えが苦手なだけよ。単純な十進法と時間計算の60進法に固まってしまって、クオーターとか、2×5とかの発想がないのよ」というのは碧の仮説。アメリカで人気のバスケットボールは、アメリカン・フットボウルのようにクオーター制にルールが変更になったので、碧には違和感が全くない。バスケットと言えば、フィールド・シュートは基本2点だ。偶然だろうか。
「物を数える時には、2、4、6、8、10って二つ刻みに数えることも少なくないのに不思議だね。応用力がないのかも」
護倫には「2」の発想を受け入れられない文化の方が理解不能だ。日本人は江戸や明治の昔から、外国の影響を受けて進歩してきたのに。政治や経済だけでなく、科学技術も文学や芸術の分野でも。
「二千円札ひとつで混乱するって、江戸の商人に笑われるな。浦賀にペリーが来た時には“たった四隻で夜も眠れず”だったが、21世紀には“二千円札1枚で夜も眠れず”になったわけだ」
とマスターの恭一。
「そもそも江戸時代は、
「二千円札1枚で混乱するんだったら、インド式数学なんて理解不能だろうな、きっと」
と耕作。ヨガの国だけあって、インドは数学の考え方もユニークだ。西洋式にどっぷり浸かった思考回路には刺激が多い。
「インド式数学って最近ブームっていうか、新鮮な目が向けられているけど、要は柔軟性が欠如しているだけの話。創造力が欠如しているんだわ、私たち日本人は」
常識や先入観にとらわれない碧。
「頑固な国民ってわけね。もしかしたらさ、外国と陸続きで国境を接しない島国っていうのも関係があるかもね。」
広海は仮説を立てる。確かに独立した海洋国であるというのは、大きな要因かもしれない。ヨーロッパでも東南アジアでも複数の国と接した国ならば、否応なく隣国の通貨を使う機会が少なからずあると思う。自国のルールしか適用できないとふだんの生活にも支障が出る。翻って日本の場合。折角、外貨に両替して向かった海外旅行でも、日本人観光客が比較的多い所では日本円が使える現実。便利といえば便利だが、甘やかされ過ぎの現実もある。
「マスターはどう思いますか?」
布巾でコーヒーカップを拭いていた恭一に千穂が尋ねた。恭一はカウンターのペン立てから黒のサインペンを取ると、メモ用紙に走り書きし、
「Y2K問題と¥2K問題だな」
と呟いた。
「Y2K問題?」
聞き返した広海に、恭一は意味ありげに微笑んだ。
「YはYearのY。KはキログラムやキロメートルのKと同じく千を意味するK。Y2K問題というのは、20世紀最後の年の西暦2000年に心配された大問題のことさ。簡単に言うと、コンピュータの誤作動。ほとんどのプログラムは日付の管理に西暦の下2桁を利用してきた。これだと1999年までは何も問題はないが、2000年になったらどうなる?」
「ゼロゼロ」
と千穂。
「そう。コンピュータが00を1999年の99の次にどう認識するか。2000年と1900年を区別できるかどうかが懸念されたんだ。もしかしたら紀元ゼロ年なんてことも心配された。これがきちんと識別できないと、膨大な量のデータが混乱してしまうからね。実際、2000年直前には至る所でプログラムの修正が行われ、2000年直後にはそれぞれの端末で確認作業が行われた。幸い、大きな問題は起きなかったけどね」
「なーんだ。そのY2K問題に引っ掛けて、¥2K問題か。マスターらしいダジャレってことね。外国人にも通用する…」
「いいえ。“2のつくお金”に抵抗がない諸外国の人に、日本人の感覚はアンビリーバブルよ」
「やっぱり、厚切りジェイソンだ。Why Japanese peopleってね」
「外国人にも通用する。“じゃまあいいか”と同じね二千円札の存在が分かってもらえれば、だけど」
好き勝手に言い放題の広海たちに構わず、恭一は続けた。
「¥2K問題の中身については、君たちの指摘は間違ってないと思う」
「可愛そうな二千円札」
千穂が二千円札に目を戻す。
「紫式部が不憫だね」
二千円札はこの15年間、印刷されていない。千円、五千円、壱万円が毎年印刷されていることを考えるといかにも寂しい。平成24年~平成28年だけを見ても、壱万円札が10~12億枚、千円札が15~18億枚、五千円札だって2~3億8000万枚発行されている。二千円紙幣がいかに失敗だったかを物語る数字であり、政府が既に二千円紙幣の普及を諦めていることの証明でもあろう。普及しないから刷らないのか。刷らないから普及しないのか。発行を続ければ、徐々に普及するという考え方だってあるはずだが、発行しなければ普及しないのは、火を見るより明らかである。
「“景気浮揚の期待のエース”っていうのには、まだまだ続きがあって、“日本を動かす政治家や官僚”は二千円札を発行すれば、いわゆる関連産業、例を挙げると、間仕切りを多くした財布の買い替え需要や飲料やタバコの自動販売機、駅の切符や飲食店などのチケット販売機などの切り替え需要なんかも期待したわけ。ところが、二千円札対応の販売機も登場したのは最初だけで、あまりに評判悪いもんだから今はさっぱり。誰か知ってる? 二千円札に対応してくれる健気な販売機?」
千穂が調べた範囲では見つからなかった。
「それってさ、誰の責任?」
切り込む護倫に、間髪入れず広海が答える。
「トーゼン、お国の責任でしょ。政治家とか、官僚とか」
「でも、オレオレ詐欺みたく、誰か損したわけじゃなさそうだし・・・」
釈然としない護倫だが、碧が否定する。
「でも、普及を当て込んで新しい財布デザインしたり、二千円札対応の自動販売機作ったメーカーや導入した店にとっては結果的に不必要な投資だったわけだよね。結局踊らされただけで」
「メーカーだけじゃないわ。国民も損をしてるの。お札を印刷するするのにもエラくコストがかかっているわけだよね」
広海の言葉に千穂がノートのメモを見ながら続ける。
「偽造防止のためっていう理由で、具体的な費用は非公表だけど、特殊の印刷技術を使っているんだから、相当な額だろうっていう話。結局は税金の無駄遣い」
耕作が話を膨らませた。
「コストを非公開にしているのも方便だよね。だってさ、どうせ偽造するなら二千円札より単価の高い一万円札を選ぶでしょ。闇の組織っていうか、シンジケートだってコスパは考える。しかも流通量が少なければ“アシ”のつくリスクも高い。ハイリスク、ローリターンってこと。高校生のオレらでもそのくらい分かる」
「その“ムダ”の多くが日銀の金庫の奥に眠っている」
千穂の推理だ。
「案外もう焼却処理とかシュレッダーで裁断されていたりして」
護倫の皮肉だ。官僚は隠したいものはすぐ廃棄する。
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