第12話 二千円札が定着しないワケ

 カランカラ~ン。

 喫茶「じゃまあいいか」のカウベルが鳴る。部活を終えた石川 みどりが入ってきた。バスケットボール部のポイントゲッターで、178センチの長身。でも実際には180センチは超えているはずだ。アスリートはごく普通にプロフィールでを読む。ゲームを優位に運ぶための戦略と言ってもよい。身長を201センチと公表している選手の場合、実測すると2メートルに足りない選手も少なくない。相手を欺く作戦だ。逆に、156センチの男のサッカー選手は161センチとして登録したりする。こちらのケースは相手選手への戦略というよりは自身のイメージアップ戦略だろう。少しでも背は高い方が良いと考える、芸能界でもありがちな工作だ。芸能人やスポーツ選手の身長や体重は疑ってみた方がいい。女性芸能人の場合は、年齢にも注意が必要だし、政治家の場合は最終学歴も怪しかったりする。「文春」や「新潮」のストライクゾーンではないが、テレビのバラエティ番組がネタにしやすいテーマだ。特に「水曜日のダウンタウン」。「お笑い芸人も体重のサバを読む」とか。


 「あー、喉渇いた。マスター、アイス・コーヒーお願い」

雑誌に目を落としていた恭一が顔を上げた。

「アイスド・コーヒーだね。碧ちゃん。将来、アメリカのプロリーグを目指すんなら、英語は正確にしたほうが良い。アイス・コーヒーじゃ通じない」

ダジャレばっかりのマスター。高校生相手に的な知識を披瀝しているだけだろうか。

「で、その二千円札の何を調べたわけ」

耕作が尋ねる。碧の到着きっかけで話が戻った。もう何回脱線したか分からない。

「この二千円札も日本の政治と浅からぬ関係がありまして」

もったいぶった様子で千穂。

「するっていうと姉さん、のっぴきならない深ーい関係ですか?」

ツッコむ央司はなぜか時代劇調だ。ネタのグレード的にはしょうもないけど、条件反射的なスピードの速さには感心する。本人はのつもりだろうか。

「そうよ、オウジ様。政府は『引いたり、退いたり、退っ引きっぱなし』っていうか問題大アリなわけ」

千穂は央司を軽く右から左へ受け流した。ピン芸人のムーディー勝山かつやまのように。

「だって、お札って日本銀行が発行するんじゃないの?」

広海が素朴な疑問を投げ掛ける。答えたのは耕作。

「発行するのは日本銀行だけど、発行を決めたのは政府なわけで」

「で、この珍しい二千円紙幣はいつ発行されたの?」

再び広海。誰にともなく聞く。

「二十世紀のラストイヤー、ズバリ西暦2000年」

答えたのは耕作ではなく千穂。

「オレたちが2歳の時か」

護倫が指を折って数える。

「まさか、2000年だから二千円ってこと?」

という護倫の言葉に、

「ピンポーン、ご名答」

千穂が口で正解のチャイム。

「じゃあさ、千円札は西暦1000年を記念して発行されたワケ?」

「バカだな。西暦1000年って平安時代だろ」

「ブ、ブー。南北朝時代です」

護倫が拾って、耕作が重ねる。

「どんな日本史勉強してんのよ!」

広海のひと言が、図らずもお約束の三段落ちをサポートした。

「DJ日本史。はい、キョーイチです」

ダブルサイズのアイスド・コーヒーを碧の前に置いたマスターの恭一が、コントに割り込んだ。

「あれ、面白いよね。マスター」

意外な共通点を見つけて、うれしそうな耕作。

「松村 邦洋くにひろって、天才的に物真似うまいよなぁ。掛布とかノムさんとか野球関係者だけかと思ったけど、堺 雅人とか津川 雅彦とか芸能人も。」

「鶴瓶とか西田 敏行もクリソツ」

空いたカウンターの上をふきんで拭きながら、恭一もまんざらではない様子だ。でも、松村のネタの中では地声が似ている掛布よりも“浪花の春団治”こと川藤 幸三の方が好きだった。途中から聴き始めた、とあるラジオ番組では、てっきり本人だと思っていたこともある。芸能人では西田 敏行ネタがお気に入りだった。


 「えっと、2000年には沖縄サミットが開かれたんだよね。先進国首脳会議」

マスターを目で制するように、広海が折れかけた話を本筋に戻す。

「そう、そのサミット開催を記念して、発行されたのがこの二千円札」

と千穂。みんなに見えるように、再び両手で紙幣を広げて見せる。

「そうか、記念紙幣なんだ」

と得心がいったように央司。それなら見たことがなくてもおかしくはない。

「ううん。きかっけはサミットだけど、記念紙幣じゃないの」

大げさに首を振る千穂。

「だって使われていないじゃん」

納得がいかない央司。

「そこが目論見違いなわけ。政府の」

「『』ってわけね」

意味ありげに広海。政府や官公庁をはじめ、大手企業でも問題が発覚した時、原因を説明するワードとしてかなりの頻度で使われる「不具合」「想定外」という表現。「不具合」というと、製品やシステムが勝手にトラブルやエラーを起こしたような印象が強い。「想定外」も人知を超えた手の打ちようがない状態を想像させる。よく考えると錯覚でしかないのだが。人為的なミスや想像力の欠如、予測可能性の読みの甘さを棚に上げた上に、念入りに布を被せて隠しているような表現だ。広海は、責任逃れの言い訳の言葉だと誰かから聞いたことがある。

「思慮が足りずに、読みが甘かっただけ。想定外でも何でもないよ」

耕作は役人の発想を厳しく批判した。

「もう、大甘もいいところ。政府は景気浮揚策のひとつ、低迷している経済の起爆剤って名目で二千円札を発行したわけ」

千穂の口調が一層、滑らかになる。

「バブル崩壊後の“”だったわけだ」

と央司。


 「だってね、外国ではさ、“2”の付くお金って珍しくないんだよ。っていうか、普通なの。ドルでもユーロでもね。20ドル紙幣とか、20ユーロの紙幣とかは一般的だし」

アイスド・コーヒーを飲みながら話を聞いていた碧が話に参加する。高校選抜で海外遠征も経験しているアスリートらしい。

「20ユーロっていくらよ」

「まぁ、日本円に換算すると2.300円から、3.000円くらいだね」

護倫の素朴な疑問に耕作が難なく答えた。使ったことがない外国の紙幣のレートも分かりやすく置き換える。

「お札だけじゃなくて、2ユーロとかのコインもあるわ。クオーター硬貨だって当たり前。私、家族でグアムに行った時、お釣りでクオーター硬貨をもらったから、ジュース買うのに使ったわ」

と碧。コインは帰国しても日本円に両替できないので、お土産にするのでなければ現地で使い切るのが一般的だ。

「クオーターって1ドルの四分の一。25セントね」

全員分かっているが、千穂が解説した。

「っていうか、20ドル紙幣や20ユーロ紙幣とか、とってもポピュラーで、むしろ100ドル紙幣なんか持ち歩く人の方が少ないらしいのね。だから、普通に財布に一万円札が入っている日本人は国際的には少数派ってこと」

「良かった。オレ、多数派だわ。安心したぁ」

「オウジの場合は、千円札だって入ってないじゃない」

「オレ、カード派なもんで」

「そうなの。欧米は高額な買い物は大体カードで決済する文化だから、100ドル、100ユーロなんかの高額紙幣は持ち歩く必要がないってこと」

「ということは」

「つ・ま・り、そこが目論見違いなのね。欧米では“2”のつく紙幣やコインが何の抵抗もなく極々一般的に流通しているから、日本でも二千円札が普通に生活に馴染むと思ったのね。政治家も官僚も」

千穂の分析だ。

「同じ一万円なら、千円札だと10枚でしょ。五千円札と千円札なら合わせて6枚。でも、二千円札だと5枚で足りるからはずなんだけどな」

マスコミや官庁などで使い古された表現で護倫。

「ゴリン、日本語おかしいよ。別に財布が悲鳴上げるわけじゃないんだから。物理的に言ったら普通に一万円札1枚の方がずっと財布に優しいでしょ」

と広海。もちろん本気で非難しているわけではない。周りに流されることに気がついてほしいだけだった。

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