第11話 二千円札なんて知らないわ

 広海たちの溜まり場になっている喫茶店「じゃまあいいか」。やって来たのは、秋田 千穂と小笠原 広海ひろみ。メンズは長野 護倫まもると志摩 耕作、清水 央司ひろしの三人。

「私が調べたのは、コレ」

秋田千穂が封筒から取り出したのは一枚の紙幣。使った形跡がないので、折り目もなく美しい。

「何それ?」

と広海が身を乗り出して千穂の手から紙幣を抜き取る。

「お札だね。キラキラしてる」

と珍しそうに目をやる央司。

「見たことないけど、どこの国のお札?」

広海はお札の裏表を交互に見比べながら、目を丸くして答えをを探している。

「漢字が書いてあるから…」

「書いてるわけないっしょ」

小6男子のように護倫がお約束のツッコミ。

「印刷ですね、ゴリンのアニキ」

ゴリンというのは護倫まもるのニックネームだ。

「そこ、ツッコむかなぁ? もうウチの男子は」

両頬を膨らませた広海。もちろん演技だ。この程度でいちいち腹を立てていたら央司の相手なんか出来ないし、何しろ身が持たない。

「子供みたいなこと言ってないで。ほら」

千穂が大事そうに紙幣を手の中に収める。

「まあまあ」

耕作がなだめるのも、いつもの展開。お笑い番組のコントのようだ。

「漢字がプリントされているからぁ、もしかして中国のお金?」

話を戻した広海。央司に隙を見せなかった。

「でも、中国はげんだよ、エンじゃなくてゲン」

すかさず否定した護倫。

「あのね、これはれっきとしたこの国、日本のお札」

正解を待っていられなかったのだろう。千穂が種明かしをした。

「えー、だって見たことないよ。このお札」

広海が再び千穂の手元の紙幣を覗き込む。

とその時、護倫が千穂の両手からさっと二千円札を抜き取った。

「へー、二千円札だ」

「二千円札なんてあったっけ?」

広海の視線は護倫の手元に移る。

「オレ聞いたことないぜ。もしかして、こども銀行?」

ニヤニヤしながら央司。

「もしかして、偽札?」

耕作も乗っかるが、演技がクサい。

「あのねぇ。ほら、ここんとこ。小さく財務省造幣局ってあるでしょ」

と千穂。指差したのは紙幣の一番下、真ん中の部分だ。

「ホントだ。正真正銘の日本銀行券だ」

目を見開いて、英和辞典のように小さな文字を覗き込む護倫。

「肖像画は誰?」

と尋ねる広海に護倫が答える。

「肖像画っていうか、マンガ。イラストかな?」

「何か違和感あるね。他のお札と比べると」

耕作が自分の財布から野口英世の肖像画がプリントされた千円札を出して、見比べている。

「誰?この人。どこかで見たことあるんだけど」

質問は広海の担当だ。

「紫式部」

当然といった顔つきで千穂。

「相撲の行司か」

護倫と央司の掛け合いだ。タカアンドトシではない。

「それ、式守伊之助。今何代目だっけ」

「『式』しか合ってないじゃん。苦しいなぁ」

いつもはクールで冗談にも付き合いの悪い耕作だが、なぜか拾ってくれる。

「もう少し教養を見せなさい、あんた達。紫式部っていったら源氏物語に決ってるじゃない」

央司も護倫もペースを渡すつもりは毛頭ない。

「そうかそうか、光源氏の彼女の一人ってわけか」

全然悪びれた様子のない央司に、広海がピシャリ。

「あんた、古文勉強しなさい」

「ハーイ」

「裏で、は?」

「裏は・・・裏は、レッズ?」

反応したのは央司ではなく護倫。テンションが上がったままだ。溜まり場の喫茶店というシチュエーションも気分を和らぐ原因かもしれない。

「のわけないっしょ。聞いた私がバカだった」

広海が護倫の腕をつつくと

「もう。話が進まな~い」

護倫にダジャレを先取りされた央司が、何故か女言葉になった。


 広海は集合場所を間違えたかな、と少し後悔した。喫茶「じゃまあいいか」。店の名前は文字通りコーヒーの世界的な産地のひとつで、“世界最速男”ウサイン・ボルトの出身地でもあるジャマイカに由来する。映画好きなら南国の陽気なジャマイカンが冬季オリンピックのボブスレーに挑戦した「クールランニング」を思い浮かべるかもしれない。あの映画の舞台もジャマイカだ。マスターの渋川 恭一によると「ダジャレ」らしい。「Take it easy」と似たようなニュアンス。「気取らずに」「自然体で」くらいのつもりだったという。。外国人にも通用するかも、というのがその理由だが、果たして通じるだろうか。日本語が堪能な厚切りジェイソン(ジェーソン・デイヴィッド・ダニエルソン)やパックンことパトリック・ハーランならウケてくれるかもしれない。

 しかし、“アバウト”な店名とは裏腹にマスターのコーヒーに対するこだわりは強い。何せ苗字がシブカワで、名前がキョウイチ。もちろん、コーヒーにこだわり始める前から名前は渋川 恭一ではあったけれど。豆の渋皮しぶかわには人一倍気を遣い、常連客にコーヒーを出す時には「お待ちどうさま」でも「どうぞ」でもない。一言「きょうイチです」。恭一だからキョーイチ。ネタを知ってる常連はニコニコしている。言葉に偽りがないなら、後に注文するほどおいしいコーヒーが飲めるということになる。

「裏はね、守礼しゅれいの門。っていうか、裏じゃないの。実はこっちが表」

よく通る声で千穂。二千円札は日本の紙幣の中で唯一、表面に肖像画が描かれていない点でも特殊性がある。

「首里城だね。琉球王国の」

耕作が続けると、今度は広海がツッコむ。

「琉球王国? 普通、沖縄のって言わない? “課長”。どいつもこいつも、ひねくれモンばっかりなんだから」

耕作が“課長”と呼ばれるのは名前のせいだ。志摩 耕作。声に出して読んでほしい。漢字こそ違え、弘兼ひろがね耕史こうしの人気漫画「課長 島耕作」の主人公と同姓同名。入学直後の自己紹介以来、ずっと“課長”だ。

「じゃあ、体操の白井 健三クンてさ、ほら一個上の。空中で4回も身体ひねるんだから、彼も相当なひねくれモノだね。きっと」

“ひねり”に反応してきた央司。話の方向性がまた、怪しくなる。

「ずっと世界ナンバーワン、第一人者の内村クンも『ひねり過ぎて気持ちが悪い』って言ってたよ」

負けじと護倫。しかも8つも年上の社会人の世界王者・内村 航平にタメ口の「クン」づけだ。ここはジャニーズ事務所か。

「そういう意味じゃないでしょ」

広海がストップをかける。

「ね、ね、シーサーは? シーサーは?」

央司の関心が、もうお札にないのは明らかだ。

「いません」

広海がシャットアウト。

「それ、使えるの?」

耕作が何気に話題を戻す。

「もちろん、使えるでしょ。私は使ったことはないけどね」

千穂が護倫から紙幣を取り返す。

「実はオレさ、見たことあるんだなコレ。弟が持ってた。切手とかコインとか集めてんの」

護倫には小学生の弟がいる。

「古い切手なら私のお父さんも集めてるわ。古い15円とか7円とか。7円は確か「金魚」の図柄だったかな。同じ図案なのにビミョーに色が違うのもあって、『値打ちがあるんだ』なんて、時々満足そうに眺めてる。値打ちって言ってもせいぜい何十円、何百円の世界。そんなところは、いつまで経っても6なの。でも、整然と並んだ切手って確かにきれいよね。母親なんかは『ねえ、いくらすんの? いくらすんの?』って興味の対象は図柄じゃないんだけど、全然。似たもの夫婦って言うのかしら」

「ニッポンの古き良きお父さん、お母さんだなぁ」

けれど、耕作の呟きに千穂の両親をうらやむ様子があるわけではない。

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