第9話 校長室の対決
その日の昼休み。
「あなた達、どうしてここにいるか分かっていますね」
赤いセルフレームのメガネをかけた伊豆野が口を開いた。
理由は分かっている。広海たちはおとなしく俯いていた。言い訳はしないと決めていた。話がややこしくなるのが関の山だ。
「今朝、JRの駅前で街頭演説していたそうですね」
丁寧な口調だが、言葉遣いとは裏腹に明らかに責めている。
「誰ですか。政治家の真似事をしていたのは」
「真似事なんかしていません」
幹太がしっかりした口調で答えた。
「大宮!」
横須賀が制する。口ごたえするな、というサインだ。一瞬の静寂の後、伊豆野が追及を続けた。
「誰なんですか」
「私です」
広海が半歩進み出る。
「私もです」
愛香も胸を張った。視線は真っ直ぐ伊豆野に向けている。
「一番しゃべったのはオレです。ご迷惑をお掛けしました」
よせばいいのに。助けてくれただけなのに、幹太は一人で責任を負うつもりだ。反省の色を示すように頭を下げる。しかし、その仕草は幼馴染みの広海の目には、どう見ても
「確かに迷惑ですね。
「倒置法で来たか。強調したいのかな、高校生の本分を」
「チクったのはやっぱPTAか」
「『政治家気取り』だって。𠮟り方がホント、ステレオタイプなんだから」
三人は黙って答えない。怒りが収まるまでやり過ごすつもりだ。下手に口を開けば、火に油を注ぎかねないことぐらい百も承知だ。
「高校生の本分は何か。もちろん勉強です。剣橋高校は都内でもトップクラスの進学校です。まだ2年生とはいえ、大学受験までそうそう時間はないんです。『まさか剣橋高校の生徒が』と世間のみなさんも笑っていますよ。学校の名前に泥を塗る許し難い行為です。反省なさい。大宮クン、あなたは級長じゃありませんか。そのくらいのことは分かっているはずですよね」
「教頭先生、そのくらいでどうでしょうか。三人とも反省しているようですし」
黙って聞いていた校長の藤沢が、伊豆野をなだめるように言葉を挟んだ。まるでテレビの刑事ドラマの取調室だ。役割分担が出来ている、と広海は思った。筋書き通りのはずだった。寛太が口を開くまでは…。
「ご迷惑をお掛けしたことは謝ります。剣橋高校の名前を傷つけたのなら、それも申し訳ないと思います。でも、剣橋高校が特別な高校だなんて思いません。偏差値は少し高いかもしれませんが、それだけです。世間がどう見ているかは分かりませんし、人それぞれ勝手ですが、生徒ひとりひとりは周りの高校の生徒と少しも変わりません。もし先生がそんな風に見ているのでしたら、それは偏見だと思います。安倍総理の言うところの“レッテル貼り”です」
幹太の暴走で筋書きが狂ってしまったが、出たとこ勝負だ。“プランB”に切り替える。もう、“プランC”はないんだからね、カンちゃん。私はテレパシーを送った。
「先生方に恥をかかせてしまってすみませんでした。でも、級長なんだからという理由で大宮クンを責めるのはおかしいと思います。大体、大宮クンは私たちを助けてくれただけで、悪くありません。率先してやったのは私です。特別の学校の特別の生徒ではなく、どこにでもいるフツーの高校生ですし…」
「あなたたち、反省していないのですか」
広海が言い終わらないうちに伊豆野の鋭い言葉が校長室に響く。
「先生は、ゆずをご存知ですか」
「カ、カンちゃん…、ってば」
どうやらテレパシーは届かなかったらしい。分かってはいたけれど。
担任の横須賀が間に入ろうとしたその時、努めて冷静に幹太が話題を変えた。
「ゆずって…」
伊豆野も知っているらしい。50を少し過ぎた齢でもNHKでオリンピックのテーマ曲にもなった『栄光の架け橋』くらいは思い浮かぶのだろう。
「そうです。芸能界で人気の男性デュオです。年代を超えて、特に女性に大人気です。ゆずの2人は
「いきものがかりも知っていますよね。『ありがとう』はNHKの朝ドラの主題歌だったし、『エール』は卒業式や全校集会でも歌ったりしますから。いきものがかりも、ゆずと同じ神奈川県出身です。いきものがかりの三人の舞台は横浜ではなくて相模大野や本厚木、海老名でしたが、彼らもスターになる前のスタートは路上ライブでした」
今度は愛香。路上ライブを強調する。
「僕たちがやっていたのも路上ライブです。政治家を気取ったつもりもありませんし、政治家の真似事をしたつもりもありません。ギターは弾かないで、歌も歌いませんでしたけど正真正銘の路上ライブです」
さすがだ。頭の回転が速く、機転が利く。広海も幹太にかぶせた。
「私、政治活動ってどこからどこまでなのか正直分らないんです。街頭に立って募金活動するのは良くて、自分の考えを訴えるのはダメ。何人も並んで人様に『お金を下さい』って半ば強要するような活動が許されるのに、良かったら話を聞いてください、っていうのが許されないってどういうことでしょうか」
「屁理屈を言うもんじゃありません」
隣りの職員室まで届きそうな伊豆野の大きな声。他人事とはいえ、彼女の血圧が心配になってくる。
「横須賀先生、あなたもあなたです。高校の教師が政治活動をすることや、授業では個人的な主義主張を避けて、公正な態度が必要なことくらい知っているはずですよね」
「誤解です」
「大宮」
反論する幹太を横須賀が止めようとする。
「先生は、関係ありません。何もしていません。授業でも、教室の外でも」
「大宮!」
こんなに大きい横須賀の声は聞いたことがない。
「校長先生、教頭先生、すみませんでした。先生方にご迷惑をお掛けしたことは反省しているようですので。後は私から指導致します。きょうはこのくらいでよろしいでしょうか」
ここが頃合いと見て、横須賀が頭を下げる。黙った伊豆野の視線が広海たち三人を順に移動する。生徒たちにケンカを売られたようで、不完全燃焼でくすぶっている。到底、許しているようには見えなかった。
「いいでしょう。よろしくお願いします」
伊豆野に代わって、校長の藤沢が腰を上げた。
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