第2話 タダほど高いものはない!

 「ハーイ。俺は、映倫のR-18を引き下げてほしいな。十分、判断力もあるし」

よせばいいのに、央司ひろしが茶々を入れる。全然、空気が読めていない。

「そっちかい。大体、オウジお前さ、いっつもR-18の映画こっそり観てんじゃんよ、引き下げとか関係ないし…」

護倫まもるのツッコミに、教室は笑いの渦に包まれる。が、一旦スイッチの入った千穂の勢いは止まらない。

「政府は最初、国民投票権だけを18歳に引き下げようと思ったわけでしょ。5月に大阪都構想をめぐって大阪府民を対象に住民投票があったけど、これの国民版ね。国会議員の多数決では決められない重要案件を、直接国民に判断してもらうという直接民主主義の手続き。憲法改正とかも対象ね。国民投票って基本、そんなに頻度が高くないし、法律改正の手続きも比較的簡単だったから先に決めちゃったの、政府が。『これだ!』って思ったんでしょ、自分たちが有利になるぞって。国民投票権だけが18歳以上で、衆院選挙や参院選挙、知事選挙や市町村長選挙、地方議会議員の選挙を20歳以上って区別するのももったいないし、国民投票法の投票権を18歳以上と定めた時点で、『4年以内に選挙権も18歳への引き下げる』って明文化していたもんだから、今回の公職選挙法の引き下げになったわけ」

ここまで一気にまくしたてると、千穂はペットボトルのお茶を口にした。

「で、安倍内閣って憲法改正に向けて積極的に動いているだろ。その準備っていうか布石っていう意味合いもあると思う。年齢の高い有権者はどちらかというと護憲派というか、憲法改正に否定的な傾向があるけど、年齢が低いほど時代に合わせて変更するのに抵抗感も少ない。後、ネット選挙が解禁になった影響もあるかな。インターネットって若者の方が圧倒的に接触率高いし…。選挙もさ、何となく身近になったような気がするわけよ。全然、錯覚でしかないんだけど。こうした読みもあって、改正を急いだ気がする。さっき『他の狙いもある』って言いかけたのもそういう意味ですよね、先生」

返事をしない横須賀に、なおも耕作が確かめるように詰め寄る。

「先生、さっき言った『選挙権年齢の引き下げはオレたちのため』ってまさか本音じゃないですよね」


予想しなかった質問に、横須賀と耕作の視線が交差する。横須賀の口元が少し緩んだように見えた。

「普通、権利とか自由の獲得って相当な時間とエネルギーが必要なんだ。授業でも習ったはずだよね。洋の東西を問わず、明治時代の自由民権運動も、アメリカの奴隷解放も南アフリカのアパルトヘイト、人種隔離政策も。日本の選挙で言えば、制限選挙から普通選挙への変遷、女性の参政権だって一朝一夕で実現したわけではない。残念ながら日本史や世界史の授業では近現代史は十分な時間を割くことができていないけれど、興味があったら調べてみるといい」

簡単に答えだけを提示しない。横須賀の教え方だ。興味津々に探りを入れてくる生徒に、わざと含みを持たせる言い方をした。歴史の出来事の中では比較的最近起きた冷戦後のソ連の崩壊も、東西ドイツの統合も平成二桁世代の広海たちにとっては、江戸幕府や明治維新と同じ範疇に入る。到底イメージの沸かない教科書の中の一ページの出来事に過ぎない。幸い最近は、アーカイブスと呼ばれる豊富なニュース映像のおかげで、当時を動画で振り返ることが出来る。想像力だけに頼る必要がないのが救いだ。

「何だ、私たちのための引き下げじゃないのね。“課長”の説明ならナットク~って感じ。何か腑に落ちたっていうか。要するに、今の政府にとって都合がいいわけね、「18歳選挙権」って。大体、外国の選挙権だって昨日今日急に18歳に変更されたわけじゃないだろうし、導入の根拠としては怪しいわよね。今回の引き下げについても、ギャンブルやお酒、タバコなんかの年齢制限の議論を棚上げしたままでいることも、何かおかしいなって思ってたのよね」

広海は何となく18歳選挙権の導入について、アウトラインだけはつかめたような気がしてきた。

「大体さ、国会議員が何かする時には、ウラがあるっていうか“”があるのよね」

もっともらしく首を突っ込んでくるのは愛香。しかし、言ってることは母親の受け売りだ。

「で、今回の『選挙権は18歳以上』も、『だって多くの外国で採用されているんだもん』ってしれーっとしているわけね。仮に失敗しても、『主だった先進国で採用されている年齢ですから。遺憾です。想定外でした』ってシラを切れる。信念を持って『日本は16歳で十分に物事の判断力がある。外国は外国、日本は日本。選挙権は16歳以上』とか言い切るリーダーはいませんかね」

食べ終えた弁当を片付けながら、千穂が断言した。

「残念ながら、いませんね。少なくても今の日本の国会議員には」

 公職選挙法の改正で選挙権が20歳以上から18歳以上に引き下げられたこの日、全国各地の高校でこのニュースが伝えられた。剣橋高2年1組の昼休みは思いのほか盛り上がったが、時間も短く不完全燃焼に終わった。昼食の消化にとっても、あまり良くなかったかもしれない。で、午後のホームルームは予定を変更して「公職選挙法改正で何が変わる」をテーマに話し合うことに決まった。

「昼休みの話の流れでは、選挙権年齢が18歳に引き下げられることについて、直接対象となる僕らにとっては、あまりバラ色の改正ではないような意見が多かったわけですが、みなさん、ここまでは異論はないですか」

級長の大宮幹太が進行する。


「ハイ」

吉野さくらが静かに手を挙げて立ち上がった。ポニーテールにまとめた髪が揺れる。野球部の美人マネージャーだ。

「昼休みの話では、消極的な改正というか、私たちのための改正というより政府にとって都合のいい改正という声が多かったと思います。私も基本的には同感です。だけど、決まってしまったからには、私たちにとってというか国民全体にとって、政治に参加できる年齢を18歳に引き下げて良かったな、という形にすることが大切だと思います」

さくらの予想外の強い意思表明に拍手が起きる。

「積極的な意見だね。じゃあさ、具体的にどうしたらいいんだろう?」

幹太が教室を見渡すが、急に妙案は浮かばない。しばしの沈黙。体育の授業だろう。午後の日差しが差し込む窓の向こうのグラウンドから教官の吹くホイッスルが響く。

「自分のことは自分で決める!」

広海が意を決したように立ち上がりながら言った。

「何それ? ちゃんと挙手してくれる? 大体、指してないんだし」

級長の立場を忘れて、つい幹太のいつもの口調が顔を出す。

「だから、自分たちの将来は自分たちで決める。逃げ腰でやる気のないオトナたちには任せていられないってこと」

広海は昼休みの耕作や千穂の意見に刺激されて、自分の考えをまとめていたようだ。

「どういうことだよ?」

思わぬ展開に、幹太は完全にペースを失った。

「あっちが『18歳以上のみなさんは、政治に参加しましょう』って言ってるんでしょ。良く分からないけれど、何か思惑があってね。だったら、売られたケンカは買ってやろうじゃない。こっちも同じ土俵に乗ってやろうじゃないのって言ってるの」

「言っておくけど、相撲はケンカじゃないから」

幹太のツッコミなんか聞こえていない。広海の顔は晴れ晴れとしている。固い意志が感じられた。

「いよっ、白鵬!」 

「親方、どこの部屋っすか?」

「もち、宮城野部屋でしょ」

「白鵬だもんな」

「いよっ、音羽屋!」

「それ、歌舞伎っしょ。部屋じゃなくて屋号だし…」

「ん~、玉屋たまや~、鍵屋かぎや~」

 「おや綺麗な花火だね~、って今度は花火師かい」

教室のあちこちで応援とも野次とも分からない声が上がる。脱線はしかし、広海たちの教室では日常茶飯事で、難しい話題への拒否反応ではなかった。

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