政治的未関心Ⅰ どうせ憲法で保障されない有権者よ

鷹香 一歩

第1話 選挙権は18歳

「選挙権を18歳からって、誰のための法律なんですか? 先生」


 小笠原 広海ひろみは担任の横須賀 みつぐに質問した。

2015年6月17日昼休み。私立剣橋(つるぎはし)高校。選挙権を18歳からに引き下げる法律の改正が国会で正式に決まったことが、校内放送で伝えられた。急に選挙権が20歳から18歳に引き下げられる、と言われても実感が沸かない。

「『キミ達のため』って言ってたよ。国会議員の先生達が」

横須賀は右手に持った弁当の箸を止めて言った。

「私たちの?」

そう言われても、広海には直感的にしっくりこない。少なくても高校生や未成年の大学生が陳情した事実はない。タダ同然、降って湧いたような棚ぼたの選挙権だ。

「少子高齢化や人口の減少問題、積み立て分の蓄えが不十分で当初の設定を保証出来ずに、目先の変更ばかりで不安だらけの年金問題。この国の将来は難題ばかりが山積みだよね」

横須賀は努めて機械的に、それでいて噛んで含めるように説明した。

「それは分かるんですが…」

政治には疎いが、少子高齢化や年金問題くらいは広海にも理解できる。

「そうした将来にかかわる問題を、この先否応なく背負わされることになるキミ達世代にも政治に参加してもらって意見も反映させる、ということらしい。まあ、他の狙いもあるという話もあるが…」

少し含みのある言い方でお茶を濁したものの、無難に説明できたのではないか、横須賀はそう思った。高校の教員は自らの政治活動の制限と共に、生徒への教育についても政治的に中立でなければならない。同じ公務員の中でも、特にナーバスな対応を求められている。

「それって、責任転嫁ってヤツですよね。」

教室の後方の席から響いた大きな声の主は、大宮幹太(かんた)だ。

「セキニンテンカって、明智光秀の三日天下みたいな?」

何とも能天気なボケをかますのは清水 央司ひろし

「オウジ、おマエってホント天下無敵だな。責任転嫁のテンは回転の転。カは花嫁の嫁。自分の責任を棚に上げて、人に押し付けること」

長野 護倫まもるが責任転嫁の意味を説明する。オウジと呼ばれた央司、中央の央に司会の司と書く名前を音読みにしたまんまのニックネームだ。ハンカチ王子でもハニカミ王子でもない。

「へぇー、嫁のせいにするってイジワルな姑の手口ですね、アニキ」

央司には恥ずかしさの欠片もない。漫才かコントのつもりで護倫に絡む。

「でもさ、案外上手いこと言ったかもよ。オウジがもし確信犯ならね」

いつもなら黙って弁当を頬張り、央司達の他愛のないやりとりになんか箸にもかけない秋田千穂にしては珍しい。どういう風の吹き回しだろう。


「何、何、どういうこと」

予想外の展開に、広海が話題を膨らまそうとけしかける。

「将来予想される少子高齢化も年金問題も、そして限界集落って言われるような過疎地の衰退も基本的には、もうこの期に及んでは打つ手なんかないわけよ。言ってみれば末期症状ね」

千穂は現状を達観している。今風に言えば、クール過ぎるJKということか。

「えっ、それってお手上げってこと?」

「っていうか、転んだダルマ。手も足も出ない」

千穂に代わって答えたのは、千穂と並ぶ秀才の志摩しま 耕作こうさく。ラグビー部の新キャプテンでもある。もちろんジョークのつもりだった。

「ふ~ん。確かにダルマって手も足も出ないけど、転ばないんじゃない、普通」

「っていうか、立ってる風にも見えないんですけど」

広海や央司のツッコミに構わず、耕作が続ける。

「で、お国は対症療法的に応急処置を繰り返しているだけ。けど、長年放っておいたツケって言うのかな、所詮はその場凌ぎに過ぎないから、傷口の出血は止まらない」

「コワーイ“課長”」

耕作の言いたいことが分かっている千穂は、大袈裟におどけて見せる。クール・ビューティーが一昔前の“ブリッ子”に早変わり。ちなみに“課長”というのは耕作のニックネーム。漢字こそ違うが、音の響きは人気漫画の主人公と全く同じだ。漫画の方はとっくに会長に出世したが、剣橋高校の耕作は中学時代から“課長”のままだ。


「根本的な解決策がないもんだから、とりあえずの応急策を提示して国民投票

とかで、『賛成ですか、反対ですか』って迫るわけ」

「それで?」

千穂と耕作の息の合った掛け合いが続く。

「賛成したら、その後立ち行かなくなっても、『みなさん、あの時賛成しましたよね』って、国民に向かってニッコリ微笑む」

「反対したら?」

広海が割って入る。

「『じゃ、何か代わりの解決策を出して』って、国民に開き直るのよ」と千穂。

「じゃ、もし投票しなかったら?」

耕作が二人を値踏みするように言った。

「『権利を放棄したんだから、黙ってろよ』って国民にスゴむわけ」

「えーっ、それじゃどっちに投票しても、投票しなくても同じじゃん」


 広海はウインブルドンのセンターコートでテニスを観戦しているファンのようだった。自分を挟んで斜め左前方の千穂と斜め右後方の耕作。二人の発言に合わせるように首を左へ右へ。少し疲れてきたが、言葉のラリーは終わらない。

「そう。何を出しても勝てないジャンケン。でもってね、どっちを選んでも責任だけは取らされる。しかも、税金の負担が増えたり、年金なら支給開始年齢の先送りや受け取り額が減ったりとか“罰ゲーム”だけはもれなくついてくる」

千穂の喩えは分かりやすい。頭がいいとはこういうことだ。歴史の年号や漢字の読み書き、数学の方程式や微積分に強いという意味ではなく、回転が速いという意味で。“一を聞いて十を知る”と言った類の頭の良さだ。

「何だか、悪いことの片棒だけ担がされているみたい」

黙って聞いていた長崎 愛香あいかが話に参加する。

「みたいじゃなくて、担がされているんだよ。選挙権を20歳から18歳に引き下げることで、責任の所在が、18歳、19歳の人口分だけ薄まって、曖昧になるって話」

耕作は選挙権の引き下げについて、以前から考えを持っていた。

「240万人くらい増えるらしいよ、有権者。比率にすると有権者全体の約2パーセントだってさ」

スマートフォンのインターネットでニュースを検索していた幹太が、退屈そうに画面の文字を読み上げる。

「じゃあ、何で18歳に引き下げるの? 16歳じゃいけない理由はなあに」

広海は挑発的に迫ったが、耕作はビクともしない。

「まあ、結論から言うと、思いつき」

「思いつき?」

耕作が続ける。

「もっともらしい理由のひとつは、高校を卒業するぐらいの年齢になれば十分な判断力が備わるということ。もし就職していれば、実際に税金も払っているわけだしね。納税の義務は負っているのに、社会人としての権利のひとつである選挙権、正確には投票権がない方が不自然だしね。もうひとつの理由は、海外では『選挙権を18歳以上』と定めている国が多数派だっていうこと」

「なるほどね」

「なるほどじゃないの、広海。ここはツッコミ入れなきゃ。納得するところじゃないよ。いい? 高校3年とか、高校卒業くらいの年齢で備わる判断力って、一体何を基準にしてるわけ? 高1、高2とどこがどう違うか、あんた説明できる? 仮に『海外で選挙権を18歳以上としている国』が多数であったとしましょうか。じゃあ日本でこれまで20歳を続けてきた理由は何。なぜ今、このタイミングで選挙権を18歳に引き下げるわけ? そんなに切羽詰った問題なの? んじゃ、お酒はどうするの? タバコは? 競馬は? パチンコは? それぞれに、『これは18歳、こっちは20歳が適当』って、みんなが納得できる説明できる人なんかいるかしら?」

千穂が早口になる。彼女がこんなに感情を露わにすることは珍しい。相当に機嫌が悪くなってきた証拠だった。

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