ジャンパーたちへ敬礼

障害戦が大好きです。

こう言うと、前はだいぶ驚かれたものでした。今ではオジュウチョウサンというスーパースターがいるおかげで、あまり驚かれなくなりましたが。

それでも、障害戦は未勝利戦が昼休み前か1レース、オープンや重賞であっても平地の特別戦の前。立場としては一段下という感じがぬぐえません。

そこに力を入れて応援してるのには、それなりの訳があるわけです。


わたしが競馬場に通い始めて一年が経とうとしてる頃、平地のオープン特別にワカタイショウという馬が出てきました。

わたしと同じ青森の生まれ。

気になって先輩に話を聞くと、意外な答えが返ってきました。

「ああ、障害で滅法強い馬だぜ。帰ってきたのかぁ……」

障害戦は見てましたが、この馬は見たことがありません。先輩は続けます。

「そりゃそうだ。故障で一年休んでたんだもんさ。暮れの中山大障害を勝った名馬だぜ」

そうなんですか。じゃあ買わなきゃいけませんね。

「いや、今回は買わずにおくんだな。平地じゃスピード不足だ。なにせジャンプのうまさで勝ち上がったんだから」

そうなんですか……。

少しガッカリしながらも先輩の言うことに従い、馬券を買わずに見ることに。


久しぶりの平地のペースについて行けず、ワカタイショウは終始後方のまま。

ゴールしたときには後ろに誰もいませんでした。

「やっぱりな。まあここは叩きだろうから心配すんな」

先輩は事も無げに言います。

「次に障害のオープンをひとつ叩いて、春の中山大障害が目標だろう。まずは無事に帰って来たから良しとするか、だよ」

その言葉通り、ワカタイショウは障害オープンをひとつ使い、春の中山大障害に出てきました。

4月の日差しをいっぱいに浴びて、馬体はピカピカに輝いてます。

「さあ天才ジャンパーの復活だ。勝ったらお祝いせんとな」

先輩はこう言いながら単勝を買い込みます。

わたしもそれにならい、馬券を買ってレースを見ることに。


……ところがです。

いくつめかの障害で、ジャンプし損ねたワカタイショウは頭から地面に叩きつけられ競走中止。

シンボリの勝負服がワンツーフィニッシュを決める中、わたしはワカタイショウが起き上がるんじゃないかと竹柵の方をずっと見ていました。

しかし、彼は二度と起き上がることはありませんでした……。


それから一時期、障害戦から足が遠のいていました。

しかし、そんなわたしに先輩はこう言います。

「障害はな、諦めきれない馬たちが頑張るとこなんだよ」

諦めきれない?

「ああ。だいたいが平地で頭打ちになった馬ばかりで、平地じゃ無理だと諦めをつけたのが来る」

「だけどな、平地は諦めても競馬を諦めてないから障害に来るのさ。だからあの馬たちは必死に跳ぶ」

わたしは黙って聞いていました。先輩は続けます。

「障害はそんな簡単にポンポン跳べるもんじゃない。騎手や助手がつきっきりでイチから跳び方や走り方を教えるんだ」

「その中でも障害の跳び方を覚え、怯まず立ち向かえるのだけが出てくる。そしてつきっきりで教わるから人間の言うことをよく聞けるのが多い」

つまり、障害馬は賢くて勇敢で人間を信頼してる。こういうことですか。

「そういうことだな。そして諦めない馬たちばかりだ。だから障害戦は辞められんのさ」

先輩はそう言って、手に持った缶コーヒーを飲み干します。

「ま、そういうわけだ。これで見るかどうかはお前に任せるよ」

それだけ言うと、先輩はどこかに行ってしまいました。

そうして、わたしはまた障害戦を見ることを決めました。


それから数年。

秋の府中で、わたしはある障害馬に目が止まりました。

その日行われた東京オータムジャンプステークスに、彼はいました。

8頭立ての少頭数ながら、中段で気持ちよさそうに黒鹿毛の馬体が障害を跳んで行きます。

そして4コーナーからは豪快な加速を見せてスピードアップ。直線では前を行く馬を薙ぎ払うような末脚で差し切ってしまったのです。

すごいのがいるなあと馬名を確認すると、ゴーカイとあります。

名は体を表す、か。

わたしはこっそりと微笑みました。

ちょうどこの年から障害戦にもグレード制が導入され、ゴーカイの勝ったこのレースはJ・G2の格付けがされた重賞となってました。

もしかしたら、大障害もいけるんじゃないか。

豪快な末脚に、そんな気持ちも抱いてしまいました。


しかし、暮れの中山大障害はゴッドスピードの2着。

いささか落胆しましたが、先輩の言葉を思い出しました。

「障害はな、若けりゃいいってもんじゃない。場数踏んで強くなるからベテランでもやれるんだ。一度や二度の失敗にもくじけないのが真の障害馬さ」

……そうでしたね。

気を取り直し、彼の応援を続けることにしました。


年が明けて、前哨戦の障害オープンを勝ったゴーカイは春の中山グランドジャンプを制したのです。

それだけではありません。晴れてGIホースとなった彼は悪くても3着と堅実に走り続け、翌年の中山グランドジャンプにやってきました。

一番人気こそ外国の馬に譲りましたが、パドックで見る彼の顔には自信と闘志が漲ってました。

連覇に不安はありません。

これならと思ったわたし、単勝を山ほど買い込みに走りました。


ゲートが開いて、淡々としたペースでレースは進みます。

ゴーカイは後方の内側。相変わらず気分良く走れているようです。

しかし、彼の目の前で数頭が立て続けに落馬。

わたしは一瞬覚悟を決めました。

落馬したのに躓いて自分も落馬という光景を何度も目にしています。

彼にもそうした瞬間が訪れるのでは……。


ところが、彼は落ち着いて前の騒ぎを交わし、レースを続けます。

そうしてまた豪快な末脚を繰り出し、後続に8馬身の差をつけてゴール。

見事に連覇を達成したのです。

わたしは彼の強靭な精神力に拍手を贈りました。

彼はその後も跳び続け、翌年の6月のレースを最後に引退。

そして、関係者の尽力により種牡馬となることが出来ました。

それから数年が経ち、彼の仔が障害を跳んでいるのを目にしたわたし。

なんだか微笑ましい気持ちになってしまいました。


「障害のうまい血統というのがある。それを見つけたら逃さず買うんだ」

先輩はこうも言ってました。

「距離の長い短いは関係ない。跳びがうまくて勇敢な仔が出る血統ってあるからな」

この言葉を思い出したのは、三年前の9月にある牡馬を目にしたから。

上に障害で活躍したのがいるその馬は、名前をサーストンコラルドと言います。

1000万下で苦戦していた彼は平地に見切りをつけ、障害戦にやって来ていました。

上がいい跳びしてたし、もしかしたらこいつもうまいかも。

そう思ったわたしは単勝を買いに走りました。


……しかし、レースは牝馬のアツコに敗れて2着。

それでも跳びは安定してましたし、じきに勝ち上がれるだろう。

そう思って、彼を追いかけることにしました。


その後も馬券圏内を外さない堅実さを見せた彼は、年が明けた4月に福島で勝ち上がりました。

途中から先頭に立った彼は、なんとも軽やかに障害をクリアしていました。

それからひとつオープン戦を使った彼は、6月の府中の東京ジャンプステークスに挑もうとしていました。

人気はさほどありませんが、跳びのうまさでなんとかなるかもしれない。

そう思ったわたし、G3の重賞で勝負をかけることにしました。


道中は馬群の後方を跳んでいた彼。

直線に入ると豪快な末脚を繰り出して前に迫って行きます。

先頭でゴールに飛び込んだ彼の後ろには、5馬身もの差がついていました。

もうこのときはオジュウチョウサンの天下。アップトゥデイトの巻き返しはあるだろうが、わたしとしては新星の誕生を心待ちにしているところもありました。

そこへ、生産者さんからは障害のうまい血統だからとコメントもいただき、もしかしたら、こいつが新星なのかもな。

そう思わずにいられませんでした。


夏休みをたっぷり取った彼は、東京ハイジャンプに駒を進めて来ました。

G2と格は上がりましたが前走と同じ舞台、同じ距離。

やれるはずだと自分に言い聞かせ、やはり大勝負をかけることに。

パドックの画像を見る限り、出来に不安はありません。


ゲートが開いて、彼は先行集団につけます。

前はタマモプラネットが軽快な逃げを見せていますが、彼も確実に障害をクリアしていきます。

あれ、このまま逃げ切られるかな。

そんな不安がだんだんと募ります。


4コーナーから彼はスパートをかけました。

残る障害はあとひとつ。みるみる差は詰まりますがタマモプラネットの脚色は衰えません。

逃げ切られても仕方ないか……。

そんな気持ちになった途端のことでした。


最終障害でタマモプラネットが脚を引っ掛けて落馬。

サーストンコラルドはこれを横目に交わし、先頭でゴール。

G2ウィナーになった彼を見ながら、わたしはこう思ったのです。

これでオジュウチョウサンに挑戦状を叩きつけられるな。

勝ったらすごいことになるんだろうなぁ……。

その日が来るのが楽しみでなりませんでした。


しかし、その日は訪れることはありませんでした。

彼は脚部不安を発症。復帰へ懸命な治療がなされたのですが、それも叶わず。

だいぶ経ってから、彼の引退が発表になりました。


平地を諦めても競馬を諦めない馬たちが挑む障害戦。

落馬してそれっきりの馬も少なくありません。

でも、諦めずに挑み続ける彼らの姿は、この先もしっかりと見届けていきたい。

わたしはそう思うのです。

そして、彼らにもっと光が当たるようになってくれたら。

そう願ってやみません。

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