追いついてしまえば

数年前から、地方競馬をインターネットで見る機会がずいぶんと増えました。

本来なら競馬場に行ければベストとはいえ、土日がなかなか休めない仕事の身。

地方競馬なら平日でも遠方の競馬がインターネットで見られるとあれば、見ないわけにもいきません。

もともと関東に住んでた頃は南関東の競馬場によく足を運んでいたものですから、懐かしさもあってよく見るようになりました。


2017年の春のこと。

大井競馬の中継を見ていたわたしは、ある3歳馬に目が釘付けになってしまいました。

頭絡もバンテージも、そして深めのブリンカーも真っ赤な鹿毛の馬。

サウスヴィグラスを父に持ち、名前をサブノジュニアと名付けられた彼は名手的場文男を背に、鮮やかな逃げ切りを決めていました。

聞けばこれが3勝目。

力はありそうだし、この先面白くなるんじゃないかな。

そんなことをふっと思ったりもしました。

翌月のレースで彼は先行集団からの抜け出しであっさりと勝利。鞍上が後ろを見る余裕まであるくらい。

センスもあるし、力は同世代なら一枚も二枚も上。

これはいつか天下獲るんじゃないか。

とんでもない宝物を見つけたような気がして、胸が熱くなりました。

もうこの頃には、彼の大目標は6月の優駿スプリントに決まってました。3歳の短距離王者決定戦です。

そこへ向けて、前哨戦のトライアルレースに彼は出てきました。


パドックで見る彼の馬体はピカピカで、いかにも仕上がってますという雰囲気。

深いブリンカーのせいで表情こそよく見えませんが、前走と同じようにゆったりと歩いてます。

単勝オッズは堂々の一番人気で1.7倍。そんな中でもいつもと同じようにしていられるのはいいねと、彼の振る舞いを好ましく見てました。

レースは中団待機から鋭い末脚を伸ばして圧勝。

これなら大目標は穫れるだろうし、この先も楽しみしかないなぁ。

そう思ってました。


大目標の優駿スプリント。

単勝オッズを見れば1.3倍。

初勝利のあと3着を一度しただけで怒涛の4連勝をした彼への期待としては、十分すぎるものがありました。

パドックの振る舞いも今までと一緒。

よし、行ける。

そう思ったわたし、単勝を山ほど買い込みました。

応援にはいささか度が過ぎていたかもしれません。

それくらいの勢いをジュニアに感じていたのです。


……ところが。

ゲートが開くと、2番手で先行した馬を捉えきれずに2着。

しかも前走で4着に負かした馬に逆転を許してしまったのです。

あれだけの勢いがあっても、なかなか重賞ってのはなぁ……。

勝ち切ることの難しさはわかっていても、目の前のレースを勝てなかったこと。

そして大本命で勝つことの大変さを改めて思いました。

距離は短い方が良さそうだし、また立て直せばきっと重賞を勝てるはずだ。

そう思っていたのですが。


次のレースからは古馬との混走。

3歳の中ではトップクラスのスピードも、歴戦の古馬には敵いません。

オープン特別なら勝ち負けまで行けても、重賞となるとまず勝負させてもらえません。

この頃の短距離戦線には、ダートグレード競走を勝つキタサンミカヅキやソルテなどの強豪がゴロゴロいました。

そんな中で走らなければならないのですから、なかなか勝ちに結びつかないのも仕方のないことではありました。

4歳からの彼はひとつも勝てず。おまけに小さな骨折もあって、戦線離脱を余儀なくされたこともありました。

それでも陣営はブリンカーをつけたり外したり、深さを変えてみたり中にパシュファイアーを入れてみたり。

距離も1200だけでなく1000から1600まで色々と。

出来ることは何だって試しているようにも見えました。


彼と陣営が勝利に向けてもがいている間に、兄のサブノクロヒョウが重賞の東京記念を制していました。

距離適性はまるで違うとはいえ、同じ兄弟です。

きっと共通点があるはずと見ていたら、わたしはあることに気づいてしまいました。


この兄弟、奥手だったのです。

奥手の仔は若い頃は素質だけで勝ててしまうけど、じきに追いつかれて勝てなくなる。

でも、成長の度合いが周りに追いつけば素質の高さで大仕事をやってのける。

そこに気づいたわたし、ひとりでニコニコしてました。

成長が周りに追いつくまではじっと我慢ですが、追いついてしまえばこっちのもの。

その日が来るのが楽しみになりました。

大きな喜びが先にあるとわかれば、我慢も苦にならないものです。

後に生産者の方がこの兄弟は奥手だとネットで教えてくれたことも、自信につながりました。


彼の成長が周りに追いついてきたのは5歳の秋。

夏からコンビを組む矢野貴之と久しぶりの勝利をオープン特別で決めると、次のレースも一番人気できっちりと差し切り勝ち。

続く重賞フジノウェーブ記念も一番人気でしたが、距離が響いたのか4着どまり。

それでも、わたしはニコニコしてました。

ベストじゃない距離でもこれだけやれるんだもの。大一番に向けてはいい出だしじゃないか。

自然とそう思えたのです。


彼にとっての大一番、2020年のJBCは大井競馬場で行われます。

文字通りのホームコース。中央勢が強いにしても勝ちたいレースなのは間違いありません。

そこへ向けて本格化した彼がどう動くのか、楽しみでなりませんでした。


4月のダートグレード競走、東京スプリントは逃げた中央勢のジャスティンを捉えきれずに2着。

しかし地元勢の最上位と力のあるところを見せました。

それから2連勝で臨んだアフター5スター賞を差し切って初めての重賞制覇。

飛び上がって大喜びしたことは言うまでもありません。

とはいえ、大一番まではまだ時間があります。

強い中央勢を相手に勝ち切るには、もっと強くならなくちゃだよな。

そんな思いも持ちながら、口取りの写真を見ていました。


続くダートグレード競走の東京盃。

ジュニアは絶好調に見えましたが、痛恨の出遅れで5着どまり。

いよいよ次が大一番のJBCスプリントなのにとガックリ来そうでしたが、敗因がはっきりしてる分対策はしやすいだろうとも。

ここまで500キロを超えるくらいだった馬体も536キロまでになりましたし、少しのことでは動じないくらい気持ちも強くなりました。

まだ早めに先頭に立つと気を抜くところはあるそうですが、少なくともわたしが見る限り成長は周りに追いついたように見えます。

あとは大一番で結果を出すだけです。


いよいよ迎えた大一番のJBCスプリント。

同じ牧場で生まれ育った大先輩のメイショウアイアンと一緒にパドックを周回する彼は相変わらずゆったりと歩いていました。

馬体重は前走と一緒。人気は前走の負けが響いたのか8番手ですが、出来に不満は何一つありません。

むしろ上位人気がジャスティンやマテラスカイなどの中央勢なのはわかりきったことでもありました。

ピカピカした馬体に気合を内に秘めた仕草はいつもどおり。踏み出す脚にも力強さが見えてます。

大丈夫。まず力は出せる。

画面越しでそう判断したわたし、応援というには少し頑張った金額を単勝に入れました。

前走の出遅れが脳裏にちらついて不安もなくはありませんでしたが、彼を信じることにしたのです。

短距離戦線では大井の総大将になったんだし、今の力なら中央の連中にだって好きにはさせない。

そう信じて、画面の向こう側に声援を送ることに。

ジュニア、頑張れ。


ゲートが開くと、彼は中団の内側に取り付きました。

前はモズスーパーフレアやヒロシゲゴールドたちが速いラップを刻んでます。

釣られた馬たちも続いて前半はかなりのハイペース。

こうなれば差し馬のジュニアにはお誂え向きの展開。

3コーナーからじわっと先行集団との差を詰めにかかります。

少し外目に進路を決めて、馬群をさばく用意は出来ました。


4コーナーでジャスティンが躓いたようにバランスを崩し、ジュニアはそれを避けてさらに外側へ。

行った先は2頭が並んで壁のよう。

しくじったかとわたしは覚悟しました。

しかし、この状況がジュニアの闘志に火をつけたようです。

僅かしかない隙間に鼻先をこじ入れ、弾き飛ばさんばかりの勢いで上がってきました。


直線に入ると先行集団との脚色の違いは歴然としてます。

馬場の真ん中を物凄い勢いで駆け上がってきます。

わたしは机を叩きながら声援を送ってました。

前を行くマテラスカイやモズスーパーフレアを並ぶ間もなく差し切り、1馬身4分の3の着差をつけて先頭で飛び込んできました。

その瞬間、画面がにじんで何も見えなくなってしまいました……。


大きなブリンカーでゆったり歩くんで、いつもしょんぼりしてると言われてたジュニア。

早めに先頭に立って気を抜いてしまい、勝ち星をさらわれてたジュニア。

出遅れて懸命に追い上げてたジュニア。

そんな過去の思い出が一気に浮かんできて、泣けて仕方がなかったのです……。


かくして、サブノジュニアはJBCスプリントを制覇した3頭目の地方所属馬となりました。

移籍をしていない地方馬としては初めてのこと。

叩き上げの地元勢が勝ったとあって、ネット中継のコメントはお祭り騒ぎ。

快挙だ偉業だと持ち上げてくれてます。

その快挙を成し遂げたのが3歳の春から見てた仔だったことを嬉しく思いました。

思い入れと思い込みで信じてただけなんですが、ずっと応援してきてて良かったなあ……と。


彼はその後も走り続けました。

しかし、GIと同格のレースを勝った彼には、それ相応の斤量が余分に課されます。

それでも中央の重賞に二度も挑みました。カペラステークスでは中山の急坂で59キロの斤量に泣かされましたが、府中の根岸ステークスでは直線の入り口で一瞬差し切る態勢に持ち込み、夢を見せてくれました。

大井に戻ってからは若いライバルの挑戦を受ける立場となりましたが、彼らより重たい斤量を背負って戦い続けることに。

ダートグレード競走の東京スプリントではリュウノユキナの2着、アフター5スター賞はワールドリングの3着。

東京盃をはさんで迎えた金沢のJBCスプリントでは、初めての競馬場、不得意な1400メートルでレース中に蹄鉄がずれるというアクシデントに見舞われながらも6着に来てくれました。

つまり、大井で行われたJBCスプリント以降はひとつも勝てませんでしたが、十分に存在感を示したと言えるでしょう。

たとえ勝てなくとも、彼が精一杯の頑張りを見せてくれたことは明らかでしたから。


そうして、彼の引退が発表になりました。今後は浦河で種牡馬生活を送ることになったと聞いて、わたしが大喜びしたことは言うまでもありません。

サウスヴィグラスがいない現在、跡取りとしてサブノジュニアの存在は大きなものがありますし、彼のように短距離で長く走ってくれる仔が出てきてくれるなら、需要はあるはずです。


そして2024年の秋、ジュニアが軽種馬協会の種牡馬として青森にやってくることが決まりました。

青森にはウインバリアシオンやオールブラッシュ、アニマルキングダムがいますが、短距離だと少し不向き。そこを埋める大事なピースとしても、ジュニアにかかる期待は大きなものがあります。


浦河にいた頃に種付けをした仔たちは2025年に2歳になりますが、数としては決して多くはないそうです。青森に来たからと言って爆発的に数が増えることはないかもしれません。

ですが、いつの日か、少ない中からJBCスプリント親子制覇を成し遂げてくれる仔が出ると、わたしは信じています。

成長は遅いかもしれませんが、追いついてしまえば大仕事をやってのけるはずですからね。

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