第64話 自分を貫く方法
11【■粟 ■月■日 ■:19】
私はとある村で一人の少年と遭遇した。草原に寝転んで流れる雲をぼんやりと眺めていた時のことだ。村の方から走ってきた少年は、見覚えのある白髪を揺らして私のもとに駆けてきた。
私はその顔を見た瞬間、夢ではないかと疑った。しかしどうやら現実であるらしい。少年は、記憶にある通りの顔と声で私に笑いかけてきた。ただ少しだけ身長が小さく見えたのは、私があの時よりも成長したためであろう。
「初めまして。あなたが今、町に滞在している占い師ですね?」
そう私に尋ねる笑顔はまぎれもなく、最後に見た師の姿そのままだった。
私は混乱していた。確かに私が旅を始めたのはいつかもう一度彼に会えないかという期待もあってのものだ。だが、なぜ師は成長していない。あれからもう四十年以上が経過しているというのに。幼き日に見たまま、十五、六歳の若き姿のまま。まるで彼だけが時間に取り残されてしまったようだ。
師は――少年は私の占い師としての能力に興味を持ったようであった。彼は私を、かつて共に旅をした子供とは気づいていない。私が成長してしまったせいでもあるが……彼は一つの記憶を持ち続けることを得意としていなかった。
それは彼の性分ではない。むしろ記憶力は良い方だった。なのに忘れてしまう。その原因を、私はしばらく後になってようやく知った。
私は少年と共に旅を始めた。一つの村に長く滞在する気は無かったし、少年もそうだったからだ。彼は昔と同様に旅をし続けていたのだった。私は旅の間、彼に魂願を視る術を教えた。素質はあった。この力は血筋でなくても、長い修行を経れば習得できる。彼もそれを望んでいた。いつのまにか彼は、私を師匠と呼ぶようになった。
まるでかつての旅路の映しのようだった。違ったのは、ひっくり返ってしまった立場だけ。
私は自分の正体を明かさなかった。彼に気づいて欲しいという期待があったし、変わってしまった自分に落胆されるのを恐れたからでもあった。結果的に、それは正解だった。
自分は死ねない運命にあるのだと、少年はある日語ってくれた。それは私なぞでは想像も付かない悲劇で、彼の潔白な精神による終わらない結末だった。
神の犯した大罪の被害者。美徳を持って神を戒めようとした罪人。飢饉の中にあってなお自身への
少年は、すでに数百年の時をこの姿で生きていたのだ。
彼が物事をすぐ忘れてしまうのも、すでに数百年の記憶が頭にあるため、一つの記録が薄れてしまうためであった。
それを聴いて私は納得した。彼は無関心によって私を忘れたわけではなかった。私を置いて行ったのも、老いることのない奇妙な人間が傍に居れば、せっかく定住できそうな場所から私もろとも追い出されるだろうという気遣いからだったのだ。
そうして私が師に感じていた怒りは反転し、彼への深き慈愛となった。
私は自分の隣で眠る少年を眺めながら、決意した。
私は彼を殺そう。長き命の束縛から彼を解放するのだ。そのためならなんでもしよう。かつて彼に救われた命と心。彼のために投げ打つことになんの躊躇いがあろう。たとえ彼がそのことを覚えていなくとも。私が忘れてしまう時が来ようとも。かならず、この願いだけは成就させねばならない。
神の威権を打ち破るほどの奇蹟ならば私は知っている。
稀癌を求める旅が始まった。魂願を覗ける私は、稀癌の姿も見出すことができる。稀癌は希少だが見えるのであればいつか巡り合う。長い時間がかかる旅だ。人間の一生では短すぎるほどに。
私は自分の体に呪いをかけた。死を迎えても稼働する身体。強力な呪いだ。それに加え、見つけた稀癌を呪いに貶めることで我が力とした。私は稀癌を集めねばならぬ。集めた稀癌を使ってさらに稀癌を探す。それを繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し…………。
それでも私は続けねばならない。稀癌を探さねばならない。探して集めねば。そうして私は――わたしは――わた――
吾はいつの頃からか稀癌喰いと呼ばれるようになった。稀癌を探し、
自分でも出所の分からぬ衝動によって稀癌を集める怪物。それこそが、吾の正体なのだろう。
11【誡 七月二十四日 14:56】
コンクリートで荒く舗装された道をひた走る。車もほとんど通らないせいか、コンクリートが敷かれてずいぶん経つのに色が黒々としている。この先にあるのは大型商業施設になるはずだった残骸。自称千年生きた吸血鬼が根城にしている廃ビルがあるだけだ。
そんな道を走っている。一人で。
額を流れ落ちる汗を拭って私は背後を振り返った。
五十メートルほど後方に、
太陽の光を吸収する真っ黒なコートを羽織った、乱れた長髪の男。高い
反対方向に走って行ったはずの
私は背後に注意を向けながらまた走りだした。ビルにはもう数分かからず辿り着く。そこに運良くレーゾン・デートルさえいれば、あの怪物から逃げきることもできるかもしれない。
だが、ふと思う。あの怪物から逃げるとして、それはいつまでだ? どこへ逃げるのだ。きっとあの稀癌喰いは、私の稀癌をどこまででも追ってくるだろうに。
嫌な考えを頭を振って打ち消す。今はとにかく走らなくては。
しかし嫌な予感は一部当たっていた。ビルにレゾンの気配がない。中に入って階段を駆け上がる。三階の吹き抜けフロアへ辿りついて、私は降参の意を込めて両手を上げた。ゆっくりと振り返ると、足音もなかったのに、闇に浮かぶような捕尾音の姿があった。
町の
先に沈黙を破ったのは、意外にも男のほうだった。
「いい稀癌だ。魂願と全く同質の願いで形作られている。なんとも上質で、なんとも物悲しい」
「……女性を目の前に品定めとは。……紳士とは言い難い男のようですね」
自分の中心を貫き見通すような視線に私は思わずそう抗議の声を上げた。こういった皮肉は私よりも……もういない誰かのほうが得意なはずなのだが。
男は気分を害した風でもなく、喉の奥で掠れた笑いを上げる。
「くくっ。そうであろうな。ああ貴様、名を何という」
「……
「そうか。
「構いません。……捕尾音宍粟、貴方は私の稀癌を奪いに来たのですか」
「そうだ。吾を知っていたか。その稀癌、十分に熟したと思うてな。だが、吾の見通しが甘かった。貴様の稀癌はまだ伸びる。成長する。収獲はそれからだ」
「……つまり、見逃してくださると」
「いいや。貴様の魂願は『他者を守りたい』だ。稀癌を産んだ願いも同じ。これほどに柔軟な稀癌、見逃すものか。貴様の稀癌は窮地にあって成長する。ゆえに、戦え」
「……そう言われてむざむざ戦うとお思いですか。私には貴方に喰われるために稀癌を強くするメリットなどないというのに」
「メリットは無くとも、戦わねばならない理由ならばあるであろう?」
男が首を傾げ、意地悪く笑う。沈黙する私に捕尾音は無情な宣告をした。
「貴様が戦わないというのであれば、吾はこの町を滅ぼそう。貴様が吾に敗北したのなら、その時もまた町を滅ぼそう」
ふざけた話だった。だが冗談ではないとその目が言っている。捕尾音は舞台上の俳優がそうするように手を広げ、私に選択を迫った。いいや選択などではない。選べるものなど一つしかないのだから。
「さあ
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