第63話 彼らの流儀


    9【奏繁 七月十四日 10:06】



「師匠の抱える呪いは一つや二つじゃありません。私が把握しているだけでえーっと……二十はあります。把握できていない分も考えれば、うーんおそらく四十前後」


 ドゥの語る彼らの事情は、自分ぼくの理解の範疇を超えるものばかりだった。そして呪いはそれ以上ありそう。


「そんなっ――。それで魂が無事なわけが」


 呪いは人間の魂をおかす。呪いにまかれた魂は少しずつ摩耗していき、最後は消えてしまうのだ。そうなればその魂の終わり。本来ならば転生して新しい生を歩むはずだった誰かはもう生まれない。


 呪いは程度に差があるが、一つ抱えるだけでも致命的なもののはずだ。そんな自分ぼくの主張をドゥは首肯する。


「ええ。ですから師の魂は壊れかけている。理性的に見えながら、もはや稀癌を蒐集しゅうしゅうすることしか考えることができていないんです。邪魔をすれば――彼の抱える呪いを消そうとすれば――反撃してくるでしょう。そうなれば私はともかく、奏繁さんは死にます」


「軽く言ってくれるよね。でも、うん。今狙われているのは誡なんだろう? だったら誡とそいつが遭遇する前に呪いを消せれば、全て上手くいくってことだよね」


 それがドゥの示した希望だった。災厄の怪物、稀癌喰い。連盟からSランクの災害指定を与えられた捕尾音ほびね宍粟しそうは簡単には止まらない。だから、事が起こる前に全て済ませてしまうのが定石だと。


「簡単に言えばそうなりますね。あなたの魔法は異常を消し去るけれど、幾つかある中から一つを特定して消し去ることはできない。それにどの呪いが忘却の魔法だったかは私にもわかりません。しかしチャンスは恐らく一度きり。ですので数撃てば当たる戦法です。そのためにあなたには人格を増やしてもらわなくては」


 また話が初めに戻ってしまった。


自分ぼくの魔法が二重に発動するのは自分ぼくに二つの人格があるから。だからもっと人格を増やせれば魔法はその分多く発動する。その理屈は分かるし、そうしなくちゃ反撃されてこっちの命が危ないってのも分かる。でも自分ぼくの稀癌は……」


 自分ぼくの稀癌は二重人格の稀癌だ。そう便利なものじゃない。だがドゥはそれを否定する。


「稀癌は成長できます」


「成長……?」


「稀癌はどんな法則にも縛られない能力です。神の威権ですら否定できず、その奇跡に限界なんてない。それも本人の魂願との相性次第ではありますが……見たところ奏繁さんの稀癌と魂願の相性はそれほど悪くない」


 指で窓をつくり自分ぼくを覗いて言う。魂願とは魂が抱く願いのことだ。人は誰しも、過去に己が定めたその願いを追い求め続ける。そして魂願と稀癌が近ければ近いほど、稀癌の安定性や柔軟性が高まっていく。


「魂願が分かるの?」


「はい。師匠からその術を学びました。あなたの魂願は『他者だれかの理解者でありたい』です。そして稀癌は、『他人ひとを知りたい』という前世の願いから生まれたもの。完全な一致ではありませんが、親和性は高い。成長させても十分コントロールできるようになる」


 自分ぼくは思いもよらない願いの内容に少し驚いていた。自分の魂願と前世の願いを同時に知る機会などそう滅多にあるものじゃない。


 他人を知りたい。そんなことを前世の自分ぼくは終始願っていたのか。二重人格になるなんて、いったい前世の自分は何を思ったのかとずっと謎だったけど。こんな形で知ることになるとは。


「奏繁さんの稀癌はきっと、他者を理解するために、自分の中に他人を産んだのでしょう。本来は二重どころかいくつだって人格を産みだせるはずだ」


 彼の語る根拠に自分ぼくは頷いた。


「そうすれば、誡を救うことができる」


「はい。ですが良く考えてください。ここまで語って、他の選択肢を奪ってから言うのは卑怯だと分かっています。でも、自分の中に全く違う他者を飼うというのは相当な負担になるはずです。他の人格を支配下に置けなければ共存も不可能。最悪狂人になる可能性もある。それでもあなたは、誡さんのために危険をおかせますか?」


 それは本来、すごく悩んで答えを出すべき問いだったのかもしれない。けれど自分ぼくは当たり前すぎる質問に少し笑った。だって自分ぼくは、誡の名前を出されればこれしか言えない。


「当たり前だ。だって自分ぼくは、あの子に惚れてるから」


 力強く断言する。するとドゥは微笑んで、すぐに表情を引き締めた。


「では、これから稀癌を成長させ支配する訓練を行います。少々荒療治になりますから、どうかご自分を失くさないように」



  10【射牒 七月二十四日 14:37】



 不思議と胸騒ぎがしていた。腹のみぞおち当たりが落ち着かないこの感じ。魔術も稀癌も持たない私にとってこれは一種の直感だった。


 何か大きなことがこれから起きる。そんな予感に背中を押されるようにして私は上城町へやって来ていた。先日同僚の代わりに出勤したぶん、今日は平日にもかかわらず休みだった。久々の有給休暇だ。そんな折に生じた予感。


 世間は私を休ませる気がないらしい。


 とはいえ確実に何かが起きるとは思っていない。予感はただの予感に過ぎない。予感とは超能力ではないのだ。ただ自分の周囲に少しずつ現れる違和感を無意識に感じ取っているだけのこと。それを人は胸騒ぎと呼ぶ。いうなれば脳が行う情報処理に少しの齟齬そごが出て落ち着かないということだ。必ず大事件の前触れになるわけじゃない。


 だが超常的な物に頼れない私には、この直感というやつがとても重要だった。


「今のところ変わった様子はないな」


 町の入り口に建てられた『ようこそ上城町へ!』と書かれた薄汚れた看板を見上げて呟く。いちおう県道なのだが車も人通りもほぼ無かった。さてどうしたものか。誡にでも連絡してみるか? 大学の講義中でなければいいのだが。


 そう考えスマホを取り出そうとした時だった。私の耳がかすかな声を拾った。


 誰の物かも分からない。何と言ったかも判別がつかない。だが意識に引っかかって忘れられない響き。林の向こうから聞こえたであろうそれに導かれるようにして、私は草むらに分け入った。


 見通しの悪い木々の間をずんずん進む。クモの巣を避けて奥を目指すと、数分でひらけた場所に出た。


 そこにあった人影を認めた瞬間、私は半ば無意識に引き金を引いていた。


 銃弾に頭を撃ち抜かれた男が地面に倒れる。私は一瞬やっちまったと慌てたが、その男の正体に思い至ってすぐため息をついた。


「レゾン、随分と久しいな」


 伏した身体に声をかけると、脳漿のうしょうを撒き散らしたはずの男がむくりと起き上がった。


 周囲の色を透かす銀の髪に、若々しい顔立ちのくせに老成した目元。間違いない。我が師、我が仇敵きゅうてき、我が友、レーゾン・デートルだ。


 レゾンは血にぬれた前髪をかき上げて苦い顔をする。


「はぁ。なぜ貴様ら師弟は出会いがしらに俺の頭を撃ち抜いてくるのだ。どういう教育をうけている」


「私に教育したのはキサマだがな。成果が出てていて良かったじゃないか」


 皮肉を込めて言うと、男はようやく私のほうを見た。


「顔を合わせるのは数年ぶりだな、祇遥ぎよう射牒いちょう


「十六年ぶりだ、レーゾン・デートル」


「ふはっ、その割には変わっとらんな。少し老けたくらいか?」


「ほう、もう一度頭を撃ち抜かれたいと見える。……お前こそ、変わらんわりに回復が遅くなったな。死期が見え始めたか?」


 私が撃ち抜いた額にはまだ塞がらない傷が残っている。以前ならばあんな傷、数秒で完治していたのに。今も円状の傷口は収縮しつつあるが、やはりその治りは遅い。血が滴っている。


 この男の怪物性が以前より薄まっている証拠だ。


 私の問いにレゾンはかぶりを振る。


「さあてな。それは今日の成果次第だろうよ」


「どういう意味だ?」


「我が観測者の企みが今日、結末を迎える。お前に会いに来たのはその手伝いを頼むためだ」


 それはつまり、と訊こうとして私は口をつぐんだ。聞かずとも分かる。知っている。


 レーゾン・デートル以外の原始の幻獣たちは、人間から忘れられることによって存在を薄れさせ消えていった。日本に残っていた奴らも平安時代を境に消滅したという。レゾンが現代にまで残っているのは、ひとえにこいつを思い出し続ける人間がいるからだ。


 それこそが『全知・不全能』。今世で伊神依琥乃という名で生きていた人間だ。彼女は転生する度にレゾンのことだけは必ず思い出す。他の幻獣のことを思い出さなくなった後も、必ず。


 だからレゾンはその魂を持った人間のことを時折こう呼んだ。観測者、と。つまり、伊神依琥乃が仕込んだ一連の出来事に今日、終止符が打たれるのだ。


 こいつは私にその手伝いをしろと言う。私はひとまずレゾンの説明を聞くことにした。


「そろそろ、怪物の成り損ないが暴れ始めるはずだ。その力に引き寄せられて町の外からアレが押し寄せて来るだろう」


「何が来るというんだ」


「悲壮に漂う哀れな彼ら。己が終焉を認められずに肉体を求めて彷徨さまよう連中のことさ」


「なるほど霊魂か」


「そうだ。個は無害でも、集まれば現実に影響が出る。君にもその狩りを頼みたい。俺だけでは手が足りないからな。町に一本特殊な霊道を引いてある。奴等はそこを通って入ってくるだろう。俺は東側をやる。君には西側を頼む。町中のやつは先んじて払ってあるから、そこは安心しろ」


「それはいいが……。私には霊なんて見えないぞ? その怪物の成り損ないを殺しに行く方がいいんじゃないか?」


 対処療法より元凶を潰すべきでは? そう提案するが却下される。


「いや、俺はあれに手を出さん約束だ。俺ですら主義を変えて喰ってしまおうかと思う程度には愚かで痛ましい男だが、君にも手出しはさせない。これは誡たちの試練だ。との約束通り、俺は見守るだけさ。こうして露払いくらいはするがな」


 立ち上がったレゾンは全く悪びれる様子がない。これは決定を曲げないパターンだ。

 私は呆れて目頭を押さえた。わざとデカデカとしたため息をついて指の隙間からレゾンを睨む。


「で? 見えない私でも霊は倒せるのか」


「限界まで集めて実体化させる。そうすれば銃弾も拳も効く。厄介な怪物になるだろうが……君なら敵じゃなかろう」


 男は不敵に笑う。レゾンが厄介と言うからには相当な怪物だ。なるほど。そういうことなら他人には頼めないな。わざわざ私の所に来た理由が分かった。そういうことならば。


「了解。場所を教えろ。任されてやる」


 レゾンを真似て笑ってみせると、またふはっと笑って、私に霊の集合ポイントを教えた。


 これ以上レゾンと語ることはない。そう互いに背を向けてそれぞれの場所へ向かおうとしていると、珍しく別れの言葉があった。


「では達者でな、祇遥ぎよう射牒いちょう。今度会う時は、俺を殺してくれ」


 振り返るとそこにはもう誰もいない。私は苦笑しつつまた歩き出した。


「何度も言わずとも分かっている。貴様の命運が切れたその時は、必ずこの手で殺してやるさ、レーゾン・デートル」


 あいつをこの世に繋ぎ止める「全知・不全能」。それがレーゾン・デートルを思い出さないまでに弱まれば、それがあいつの終焉だ。きっとその時は近い。私は私が生きている間にその終わりが来たのなら、あの時交わした約束を履行せねばならない。


 ――幻獣は消滅が近づくと、理性を失った獣に堕ちる。


 だから絵巻に描かれる怪物たちはみな退治されるものなのだ。あいつがこの世を亡ぼす正真正銘の吸血鬼となった時、引導を渡してやるのがイレギュラーたる私の役目。


 その時は近く。だがまだこの銃弾は届かない。


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