第57話 恵まれない者の行く末


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 私には持論がある。

 この世にはミミズかモグラのように、日に当たっては生きられない人種が確実にいるのだと。


 そいつが悪人だからとか、生まれがそうだからという意味じゃない。本人の意思とは関係なく、なぜか進む道に真っ当は無く、絡みつく空気に清純がない、そんな生き物。


 私はそういう奴らの手助けがしたい。少しでも奴らの住む夜が、闇が、生きやすいものとなるように。太陽と月が、互いに輝けるように。


 そして奴らが気まぐれに、一瞬誰かに向ける善意や好意が、悲劇になってしまわないように。


 簡単に言ってしまえば私は、自分の性質に左右されず頑張ろうと立ち上がった誰かの味方になりたいのだ。そして得てして、そういう奴らは一人ではなかなか思い通りに動けない。そんな誰かの力になりたい。あの吸血鬼と過ごした長い時間の中で私はそう考えるようになった。


 だから私が誡に手を伸ばしたのも、きっと偶然じゃないのかもしれなかった。


 歩を進める私の鼓動は一定のリズムを刻んで命を証明している。無駄に早まらず陰りもせず、常に私を動かす。吸血鬼が私へ一番に教えたのは、己の心臓をコントロールする術だった。思考を手中に収め、筋肉の緊張をほぐし、冷静さを保つ。それが自分のパフォーマンスを最高値で維持する方法だ。


 私に魔法は使えない。魔術の素質もない。奇跡は微笑まず、神の力すら弾いてしまう。そんなイレギュラーである私の武器が私自身だ。それしかない。だから己への研鑽けんさんを妥協しない。常に水準の更新を目指し続ける。


 ゆえに、私は努力を止めた人間をきっと真には理解できないのだろう。もしくは、天から授かった才能というものを謳歌する誰かに、共感できないだろう。


 『何か』を与えられるということは、その『何か』を得なければ送れるはずだった人生を剥奪されるということだ。果たしてその二つの人生は等価値であるのか。失ったものへの感傷は大きくなりがちというが、その感傷を抜きにしても、存在したはずの『普通』は人の心の穴へと変わってゆくのではないだろうか。


 私は幸運だ。私は誰にも特別を与えられたことがない。全て自分の意思と決断で手に入れてきた。常に選択権を握っていたのは私なのだ。曖昧な奇跡に振り回されずに済んだ。私に穴はない。心中を吹きすさぶ寒風を知らない。私の心は私という人間で満たされている。


 だから、だから私は、私と相対したこの男に、冷静に冷め切った言葉をぶつけることができるのだ。


「どうして連盟から逃げ出したんだ?」


 連れられて来たどこぞの事務所で向かい合って、ソファーに座る梶宮にそう尋ねた。梶宮が気を利かせたのか、室内には私と彼と、私の隣に人形みたいに座る誡しかいない。梶宮は誡を私の付属物程度にしか考えていないのか、幼い少女を意識することなく答える。


「逃げ出しただなんて人聞きが悪いです。私達はただ、戦場を変えたんです。誰も私の才能を認めなかったから連盟を捨てた。アヴァールに所属している他の者も同様です」


 物腰柔らかに梶宮は語る。人の上に立つ人間に必要な余裕が垣間見える。しかしあの規格外の吸血鬼と長らく共に時間を過ごした私からすれば、まだまだ足りない。


 梶宮は、私の値踏みする視線に気づかず続ける。


「あなたはお気づきでしょうが、アヴァールは魔術結社です。連盟に認められなかった者が集まり、この社会に私達の優秀さを知らしめるためにある。その基準として、会社の拡大を選んだのです。連盟では認められなかった魔術で、この人間社会に君臨するために」


 自信たっぷりに微笑む梶宮は、自分の言葉に酔っているようだった。それもいけない。指導者は己の言説に踊らされてはいけない。言葉は純粋な武器とすべきだ。そんな私の考えが伝わったはずはないだろうが、梶宮は丁度『武器』という表現を使った。


「自分の持つ武器で、自分の選んだ戦場で、自分の正しさを証明するために手段を選ばず戦う。その何が間違いなのでしょう。倫理や道徳は人を制限しすぎる。私が思うに、あなたは我々の考えに賛同してくれる人間のはずです」


 言って両手を開き、親し気な笑顔を向けてくる。


「どうかあなたの持つファイルを返していただきたい。そしてできれば、我々アヴァールの協力者になってくれませんか? 報告を聴く限り、あなたはとても優秀な人材のようだ」


 あくまで相手を肯定する寛大な微笑み。なるほど失意に沈んだ人間なら、ころっと騙されるだろうな。私は梶宮に頷いた。


「目的のために死に物狂いで、何者も顧みず行動することは間違いじゃない。それは確かだ」


「では」


「だがな、お前らはそんな殊勝しゅしょうな人間じゃないだろ」


 パッと明るくなった梶宮の言葉を遮り、私は尊大に足を組む。


「これでもそこらの老体よりは人生経験が豊富でね。見てればだいたいの人間性は分かるんだよ。お前らは死力を尽くした結果ここにいるんじゃない。己の才能の足りなさから逃げ出したに過ぎない。

 どうせ失敗は目に見えている。幸いここには、隣県の開発事業への不正介入に関する証拠がある。大人しく捕まっておけ。そこで自分を顧みてからでも人生は遅くない」


 否定の態度に梶宮は眉尻を一瞬痙攣けいれんさせる。なんとか笑顔を保って、彼は暗い瞳で私の顔を見つめた。


「…………では、ご協力いただけないと」


「私に愚者と共倒れする趣味はない」


 断言すると梶宮はかぶった猫を放り捨てた。その場に立ち上がり、私へ開いた右手を差し向ける。


「ならば無理矢理にでも意思を変えていただく」


 直後、私の頭に衝撃が走った。送り込まれてくる何かが額の直前で弾かれた衝撃。静電気の発露にも似たそれに、梶宮が驚愕きょうがくし信じられないというように口をあんぐりと開けた。


「なっ! どうして私の魔術が弾かれる!?」


 この感覚には覚えがある。倒れた女性の頭に触れた瞬間に感じた静電気のような反発。あれは、彼女に掛けられていた催眠か何かの魔術を私が触れたことで消し飛ばした感覚だったのだろう。


 あんなにか弱い女性に魔術を使っていたことからも分かる。こいつは魔術にばかり頼って今までやってきた。だからカリスマ性を磨けなかった。部下をコントロールしきれなかったんだ。


 私は驚きで間抜けな顔になっている梶宮に、不敵に笑って見せた。


「残念だったな。私に魔術は効かない。そんな奇跡は私に通じないんだよ。お前の得意な魔術は精神操作系のものだな? そんなチートにばかりすがって自分より弱い奴の相手しかしてこなかったから、お前は私を動かせないんだ」


 ゆっくり緩慢な動作で腰を上げた私に梶宮は後ずさろうとして、ソファーに足を取られ尻餅をつく。ご自慢の魔術が弾かれてよほどショックだったらしい。さっきまでの威勢はその身体からすっかり消えていた。


「お前らが真の意味で手段を選ばない人間なら、私は自らお前たちに手を貸したさ。貴様らは自分を弱者だと受け入れられなかった。だからより弱い戦場に逃げてきただけだ。そうやってプライドを捨てきれなかった。他者におもねることができなかった。死に物狂いに他者へ食らいつく牙を育てる気のない奴がこの私に勝とうなんて、思い上がるなよ」


 わざと梶宮に顔を近づけ嘲笑うように吐き捨てると、男の顔は途端に羞恥と激怒に歪んだ。肩を震わせて拳を振りかぶる。


「くっそおおおお!!」


 私は迫る拳を軽く払いのけ、足をひっかけて梶宮を床に転ばせた。梶宮はしたたかに鼻の頭を打ち付け悲鳴を上げる。憎しみ混じりの涙目で私を見上げる彼の首に、呆れ半分で腕を回した。


「なんだ今のは。筋肉ばかりで体幹がぶれている。さては実戦経験は皆無だな? これではそこらのヤンキーの方が強いぞ」


 ため息をついて首を絞め上げる。


「自分に合った戦場を選ぶことは正しい。だが、それだけで人の心を動かせると思うなら大間違いだ。ちょっとは魔術に頼らない人心掌握術でも学んで来い。なんなら一流の詐欺師でも目指したらどうだ。また捕まえてやるから」


 言い終わるのと梶宮の意識が落ちるのとではどちらが早かったか。こっちの意思が伝わっていればいいのだが。あわよくば、この男が将来これをバネに良い方向へ這いあがってくれるのを願う。


「これで終わりだな。――――ん? どうした、誡」


 服の乱れを払っていると、事態を静観していた誡が駆け寄って来て気絶した梶宮の前に膝をつく。するとおもむろに手を合わせ、一言呟いた。


「…………なむ」


「死んでない死んでない」


 仏に祈るようにする誡を梶宮から引きはがす。それが誡なりのユーモアだったと気づいたのは、この一年後、諸事情で隣県に異動になった際、彼女と再会してしばらくのことだった。


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