第55話 脱出劇



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 誡の案内で三階まで登った私は、その端にある部屋へと足を踏み入れた。音を抑えて室内に入る。割と小さい殺風景な部屋だ。


 抱えた誡を下ろして、静かにするよう身振りで伝えると、誡は両手で口元を覆った。いやそれ鼻まで覆ってないか? 呼吸は確保できているのだろうか。


 部屋は正面に大きな窓があり、左右に別の部屋へ続く扉がある。ずいぶんと埃っぽい。誡は右側を指し、次いで四本指を立てた。右の部屋には四人いる、ということらしい。


 余計な争いは避けたい。ひとまず先に、左側の部屋を確認することにした。


 足音を殺して部屋の真ん中まで行き、扉を開けようと――――


「へっちっ」


 誡が突然くしゃみをした。静かな空間ではその小さく控えめな音も隅まで届く。一瞬肝を冷やしたが、右の部屋から人が出て来る気配はない。私は安心して扉を押し開き――


「おい、誰かいるのか」


 開けたと同時に右側の部屋の扉も開いた。中から男が様子を窺うように顔をのぞかせる。


「だっ、誰だテメエ!」


 ここで警察だ! とお決まりの台詞を吐くにはまだ早すぎる。私は誡を抱えて部屋に飛び込み、急いで扉を閉めた。男たちが追いかけて来る足音がする。私は手近にあった木製の机を抱え上げて、扉の前に置いた。一瞬開きそうになった扉が机の重量で強制的に閉じる。


「あー……しまったな。誡がいるから逃げに転じたが、いっそ秒で殴って気絶させたほうがよかったかもしれん」


 男達が扉を殴る衝撃のたび揺れる机を押さえて舌打ちを漏らす。判断を誤った。応援でも呼ばれたら面倒なんだがなぁ。


 とりあえず手の届く位置に巨大な銅像があったので、手繰り寄せて机と共にバリケードとして活用する。合計で二百キロくらいはあるはずだ。ちょっと重たかったからな。しばらく開かんだろう。


 早急に立ち去らねばならないのに籠城になるとは。顔をしかめてため息を吐くと、横から裾を引っ張られる。こんな時でも無表情な誡がそこにいた。その手には、プラスチック素材の青色をしたファイルを持っている。


 辺りを見渡して気がついたが、壁に並んだガラス戸の棚には同じようなファイルが並んでいた。ここは責任者の仕事部屋だったらしい。ということは、右側の部屋は護衛の待機部屋かなにかだったのか。


 誡が持ってきたファイルを受け取って中身をめくる。そこには資金援助者の名前とそいつらの親族関係が書かれていた。後ろのほうには多額の資金援助や仕事の受領を示す書類と、加えてわかりやすい裏帳簿が綴られていた。


 すごいな。不正の証拠オンパレードだ。


「よく見つけてきたな」


 他のファイルも同じ内容だとは思えない。小学生のくせにこれを選んで持ってきたのなら、誡は良くも悪くも普通の生活などできないだろう。がありすぎる。


「…………それが、一番あぶないので」


「そうなのか」


 またわけの分からん理屈だ。しかしこれさえあれば警察も表立って捜査に踏み込める。わざわざ捕まった甲斐があったというものだ。


 さてこの後はどうするかと思案していると、背中がなんだか熱いのに気がついた。振り向いて原因を知る。閉ざした扉が燃えていた。それも勢いが尋常じゃない。傍に立っているだけで熱気で喉をやられる。


「連中、火炎放射器でも持ち出したのかっ?」


 そうとしか考えられないほどの勢いだった。


 部屋の奥まで後退を余儀なくされた。後手に回るとこれだからいけない。さてこの部屋の中で役に立ちそうなものはないか。


「あるのは書類、銅像、机。他に何か――――どうした、誡」


 辺りを見回しているとまた袖を引かれた。誡が背中から取り出したのは、二丁の黒い拳銃だった。それには見覚えがある。間違いなく私が置いていった拳銃だった。


「持ってきていたのか」


「…………」


 無言で頷く誡の頭を撫でて、私はそれを受け取った。道具は手に入った。


 しかしこれで連中を撃ち殺すわけにはいかない。なんてったって今の私は公務員なのだ。無暗に発砲すると始末書が面倒くさい。いや、これは警察から支給された銃ではなくレゾンから与えられた特注品だから弾痕で足が付く心配はないが。


 とはいえ私がいた痕跡を消しきれていない現場に銃殺死体があったら疑われるよな。……面倒だ。さくっと殺せれば楽なのだが。


「どうしたものか」


 言っている間にも扉は燃えている。立て付けも緩んだようで、そろそろ突入してくるだろう。扉の他に燃え移らないのが不思議だが、なんだかこういうのは見たことがある気がする。


 そうあれは、私が中学生の時。吸血鬼に連れられて行った町でマフィア系魔術師が地元の魔術師と抗争になっていた時に見た火炎と同じだ。燃やす対象を定め、高温でいっきに燃焼させる術式。あれに燃えかたがそっくりだ。


「まさかあいつら術師か? はっ、上手く足跡を消すわけだ。なおさらここから逃げないとな」


 なんかサイレンの音も近づいてきているし、このままだと正面からは出られないな。裏口を探す余裕があればいいのだが。


 今にも蹴破られそうな扉に視線を注いで目じりを押さえる。すると誡が私の正面に回ってきた。


「……いちょうさん」

「ん? どうした?」


「…………言うとおりに、してくれますか」


 それは作戦の提案だった。告げられる荒唐無稽な話に思わず眉をひそめる。


「それは上手くいくのか? タイミングをどうする」


「……わたしが」


 どこで覚えたのか、親指をぐっと突き上げて誡が言う。表情と仕草が合っていないのが妙に笑いを誘った。


「よし、やってやろうじゃないか」


 愉快な気持ちになった私は彼女を背負う。普段ならこうして他人を頼ることはしないのだが……。まぁ、この少女なら賭けてみてもいいだろう。誡の腕がしっかり私の首に回ったのを待って銃を構えた。


 耳元で誡の声がする。

「…………よん、さん、に、いち――クリエ」


 カウントと同時に火がさらに燃え上がり、扉が消し炭に変わる。その向こうには指先に小さな火を灯す男たちが下卑笑いを浮かべて立っていた。


 しかしその顔は直後、驚愕に変貌した。


「んなぁ――!?」


 扉が消えた瞬間、私が先頭の男の顎に膝蹴りを叩き込んだからだ。


「あっ兄貴ー!」


 顎をやられ倒れる男に、他の男たちが動揺する。その内に私は大窓の前まで走った。


 誡を脇に抱えて、私は拳銃を頭上に向ける。発砲は三発。ちょうどそこを通っていたガス管が壊れ嫌な臭いのする気体が噴き出す。


 男達が追撃しようと再び指先に炎を灯す。その時すでに、私は窓に向かって駆けていた。


 ガラスを割って外へ飛び出す。背後でとどろく爆発音。炎がガスに引火し爆発が起きたのだ。その爆風が私の背中を押した。


 六メートルほど向こうに、隣のビルの屋上が見える。普通に飛べば少し届かない。だが突風のおかげで手が届く。


「よっとっ!!」


 身体が重力に導かれて落ちて行くのを感じながら、抱えた誡を放り投げる。誡は上手く転がって屋上に着地した。よし、後は私だ。


 伸ばせるだけ左手を伸ばした。間一髪で屋上の淵に指が引っかかる。片手の力で頭部まで引き上げ、もう片方の手で屋上へと身体を押し込んだ。


「成功した……」


 全身をコンクリートに投げ出し天を仰ぐ。雲ひとつない真っ青な空が広がっていた。


「ふはっ、はははははは! すごいな、誡。お前の言った通りになったぞ!」


 寝転がって腹を押さえて笑った。全体重と落下の勢いが乗った左腕が痛むが、そんなことは気にならなかった。今はとにかく、窮地を無事に乗り越えたことがおかしくてたまらなかった。


 空を仰ぐ私を誡が無表情で見下ろしている。転がって屋上から頭を出し下を見ると、到着した消防隊がビルに駆け込んでいくのが見えた。遅れてパトカーがやって来ている。


 危なかったな。非番のくせに現場にいたとなると、今後の身動きが取り辛くなるところだった。


「よくやったぞ、誡。しかしまるで未来でも見てきたような作戦だったな。どうしてあそこにガス管が通っていることを知っていたんだ?」


 誡の服についたガラス片を取りながら尋ねると、誡は少し顔を傾け、おもむろに呟いた。


「…………くろくて、あつい光がみえたので」


「見えたって……。お前、魔術でも使えるのか?」


 比喩ではない気がしてそう訊く。しかし誡は首を横に振った。


 私は少し考えて、もう一度尋ねる。


「では、稀癌きがんというものを知っているか」


 どうやら当たりを引いたらしかった。誡の身体がぴくりと揺れる。表情はそのままに視線だけちょっと下に向けて、再度私の顔を見る。


 なにか言いたげに口を開くが、そこから音が出ることはない。自ら打ち明けることを躊躇っているのだろう。


 レーゾン・デートルと世界中を廻っている間に、何人か、稀癌きがん罹患者りかんしゃと会ったことがある。その全てが特異な能力を持ち、まるでその代償であるかのように、精神に問題を抱えていた。


 ああ、どうして今まで気がつかなかったのか。感情の欠落、異常なまでの無表情、どちらも稀癌罹患者にはよくある症状だとレゾンが語っていたのに。


 私は己の不甲斐なさを噛みしめながら、誡を安心させるようにその頭を撫でた。


「私は稀癌を知っている。お前たちの苦悩も、少しは理解してやれるさ。しかし誡よ、お前はどこで稀癌の呼び名を知った?」


 不思議だった。稀癌罹患者の数は少ない。表社会では認知さえされておらず、裏社会でも魔術などに通じた者くらいしか、その存在を知らない。名を把握している者などさらに少数だろう。それなのにこの小さく無口な少女がなぜ稀癌を知っているのか、私には疑問だった。


「……いこのが」


「お前の友だちか」


 それで分かった。あの少女のことだろう。思えばイレギュラーを知っていたのだ。稀癌も知っていてもおかしくはない。


「そうか、あの子どもか。なるほどな。それで? その友だちは、私に何をさせようとしているのだ?」


 わざわざ稀癌持ちの友人を私へ引き合わせたのだ。思惑あってのことだろう。本人は否定していたが、が無意味なことをするタマには見えない。


 だが誡は私の質問に沈黙してしまう。記憶を探るように眼玉を右から左に彷徨わせ、やっと言葉を発する。


「……なにも、聞いてません」

「そうか……」


 いよいよ何をしたいんだろうな、あの少女は。


 ……まあいいか。利用したいならすればいいさ。そう思える程度には、私は誡を気に入り始めていたから。


「さて、逃げるか。行くぞ誡」


 無言で頷く誡の手を引いて、私は屋上を後にした。


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