第53話 自己流の正義


         9


 翌日の夕方、私は繁華街の裏側にあるホテル街を歩いていた。もちろん誡を連れてだ。今日はずっとアヴァールとその社長についての聞き込みをしていた。結果を言えばすべて空振り。黒い噂は一つも立っていなかった。


「収穫は無し、か。ここまで徹底していると情報操作を疑いたくなるな」


「…………むだ足ですか」


「いやまあ、最初からこうなるのは分かっていたさ。だからこれは、どちらかというと釣りだな」


「…………」


 隣を歩く誡が、訳が分からないという眉の形で沈黙する。説明するのも良いが、どこで誰が聴いているのか分からない以上、私も同じように口を閉ざした。


 互いに無言のまま裏道に入ると、誰かが跡を追って来る気配がする。振り返ると、そこには息を切らした中年の男が立っていた。


「あっ、あんた射牒さんだな!?」


 男は息も絶え絶えに叫ぶ。私は誡を後ろに隠しながらそれに頷いた。


「その通りだが。どちらさまかな」


「俺はっ、あんたならこういうことでも力になってくれるって聞いて」


「こういうこと?」


「俺、ちょっとだけさ、借金しちまって。そしたら娘を借金のかたに連れてかれちまったんだ。金が払えなきゃ今度は俺の番だ。頼むよ。あんたは俺らみたいな日陰者の力になってくれるんだろう? この先にあるY組の事務所なんだが――――」


 勢いでこちらの協力を得ようとまくしたてる。私は片手を上げてそれを遮り、男の眼を見つめた。瞳孔が揺れ一所に留まる気配がない。こいつはただのクズだとそれだけで分かる。


「借金の理由はなんだ」


 言葉に重みをつけて問う。すると男の動きがピタリと止まった。口が歪に引き吊った笑みを作り、対照的に瞳はあらぬ方向を見ている。冬だというのに額に汗が浮かぶ。極度の緊張状態。さぞや喉が渇いていることだろう。必死になって誤魔化しを考えた様子で、男は諦めて真実を口にした。


「…………ちょっと、ちょっとだけ、クスリをさ。けど、あんたは捕まえたりしないだろ? そう聴いたんだ。なあ、そうだよな!?」


 叫んで、すがるように膝をつく。私は男の言葉を一部だけ首肯した。


「確かに私は不良刑事だからな。クスリ程度で逮捕はしない。だが、生憎と力にはなれないな」


「なんで……っ」


「この辺の事務所は以前にガサ入れで逃げられてる。十分な証拠がなければ警察は動かせない」


「ならあんた一人でも助けてくれよ!」


「お前が十割被害者なら、その選択肢もあったがな。この辺りのクスリは高額だ。お前、借金つむ前はどうやって資金調達をしていた?」


 男の顔色が変わる。嫌な所を突かれた人間の顔だ。それがすぐに屈辱に耐える表情へ変わっていく。奥歯を食いしばり表情の変化を隠す男に、私はさらに追い打ちをかけた。


「お前がどんな人間か、目を見れば分かるよ。お前は娘の心配なんかしていない。自分の心配ばかりだ。娘の話は私の気を引くために持ち出しただけだろう? ああそうか、そもそもお前も娘も、積極的に堕ちて行った人間なんだな」


 人間の心理など顔と手の動きを見ればある程度予測がつく。大方、娘の方も非合法なやり方で金を集めてクスリにおぼれていたのだろ。図星を突かれた男は私の眼光を見て汗を垂らす。そこに反発はなく、私の語った推測が正しいことを告げていた。


「私は確かに、日陰者でも関係なく、這い上がろうとする人間は助けるよ。だがな、弱いだけの人間に同情するほど暇でもないんだ。薬物乱用で逮捕されたくなければ私の前から消えろ。私を利用しようとした度胸への情けだ。見逃してやる」


 近づいて見下すように睨みつけると、男は腰を抜かして尻餅をついた。それから慌てて逃げるように走り去っていく。


 こうやって裏の人間と付き合いを持つと、たまにああいった手合いが湧いて来る。私を慈善活動者と勘違いした馬鹿共は、己の罪も顧みず救いの手を引きずり込もうとする。


 そんな奴の相手をするほど私はお人よしではない。呆れてため息をつききびすを返すと、そこには立ち尽くした誡がぼんやりと私を見つめていた。


 ああ、コイツのことを忘れていたな。教育に悪い場面を見せてしまったやもしれん。


「なんだ。私を責めているのか?」

「……いいえ」


 誡があまりに私を見つめてくるので、冗談交じりにそう言うと、誡はすっと視線を逸らした。そこは私の背後。男が逃げて行った方角だ。


「なら、何を考えている」


「……なにも。…………わたしには、かんじょうがないので」


 誡は色の無い瞳でぽつぽつ話す。本当に感情が無い人間はそうやって言葉を選び他者へ関心を示したりしない。そう思いながら、私は胸ポケットからボールペンを取り出した。


「なに、感情があれば人間というわけでもないだろう。今の私はお前から見ればよほど非人間だろう? 感情の有無などたいしたことじゃない。問題は周りにどう見えているかだよ。……ほら」


 私の背後を見続ける誡にメモ書きを渡した。住所と電話番号。それと私の名前が書いてある。誡はそれを受け取って、不思議そうに私とメモとを見比べた。


「そこに連絡して私の名前を出せば、いくらか力になってくれるだろう。渡しに行きたければ行け。待っていてやる」


 頭をぽんと叩いて言うと、誡はもう一度メモと私を見比べた後、男の消えた方向へ駆けて行った。


 まったく、何が感情が無いだ。まだ胸の内の衝動に名前を付けれていないだけだろうに。


 とはいえ、誡の無表情は確かに同世代の人間に比べて鉄面皮だ。意識的にできるものでもない。……屋敷の前で誡を待っていたあの少女のこともある。誡はもしかすると、何か特殊な事情を抱えているのかもしれない。


 そうやって眉間をさすりながら考え事に思考を巡らせる私の後ろに、その気配は迫っていた。足音を殺していても私には分かる。恐らくは男。それも三人。道の奥にはそいつらの乗ってきた車が停車しているはずだ。


 あまりに都合の良い展開に、私はこっそりほくそ笑んだ。上着の中身に手を入れて両手に拳銃を握る。


 直後、私の視界は誰かの手によって覆われ、拳銃は虚しくコンクリートの上を跳ねた。腹部に走る鈍い痛みに私は身体から力を抜いて眠るに任せた。


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