第35話 全ての始まりは


         13


 ゴールデンウイーク最終日。射牒さんと別れた自分ぼくは、レゾンの居るビルへと向かっていた。


 それはもちろん、射牒さんからの言葉を伝えるためだった。

 

 射牒さんとレゾンとの間に面識があったのは驚きだった。いつ二人が出会い親睦を深めたのかまでは確認しなかったが、少なくともここ最近の話ではないのだろう。


 今まで誡からも、依琥乃からも、射牒さんとレゾンに関する話題は出なかったから。


 バスに揺られながら射牒さんの言葉を思い出す。


「十数年に一度、世界のどこかで起こる謎の事件を知っているか? 特定の箇所に集まっていた十数名が皆、衣服と血痕とを残して突如消え失せるというものだ。

 その人間達は二度と見つからず、また、死体も発見されない。もちろん犯人も特定できない。それが何百年と前から、一定周期で必ず起こる」


 知っていた。それはレゾンの食事だ。レーゾン・デートルは一見普通の人間のように見えるが、その正体は本物の化け物なのだ。

 本来なら月に一度ひとりは食事が必要なのだ。けどレゾンはそれを限界まで我慢して、耐えきれなくなったときに、一息に食事する。その被害者が十数名の生きた人間だ。


 選ばれる人間に規則性はない。ただ、ちょうどいい人数が集まっていたというだけ。それだけの理由で彼らの人生は幕を閉じる。何者の意図も絡まない点だけ見れば、車にかれたり、雷に打たれるのと変わらない。不運な事故のようなものだ。


「あいつはな、我慢した年の数だけ人を喰らう。それ以上でもそれ以下でもない。そもそも人数の足りない場所に奴は現れない。そして、それ以上の人間が集まっていれば、残りは記憶を消して放置する。それがあいつのやり口なのさ」


 そして前回の被害者が漆賢悟の身内たちだった。


「前回が十二年前、喰われたのは十七人。だが、その場所には全部で十八人の人間がいた。親戚間のパーティーかなにかで集まっていたんだろうな。かくれんぼでもしていたのか、漆賢悟はレゾンに発見されず記憶も消されぬままに放置された。

 おそらく恐怖に駆られた漆少年はそこから逃げ出したのだろう。一週間後にパトロール中の警官に保護された時には記憶の混濁こんだくも見られたそうだ」


 稀癌を生まれ持ちもともと不安定だった精神に強烈な死の光景を見せられれば、誰だって発狂しかねない。


 稀癌の副作用は人それぞれだが、基本は精神の疾患のようなものになる。狂っていなければ己の異質さを受け止めきれないからだ。誡のように感情が希薄な場合もそう珍しいことではないらしい。


 稀癌と、レゾン。二つの要素によって、漆少年の精神は非常にもろくなっていた。


 ――――だが、そこに救世主が現れる。

 




 まだ目的のバス停まで時間があったので、自分ぼくはカバンに入れたままだった本を取りだして開いた。

 後から紙を追加できる、リング式のミニノートのようなもの。日付と文章とが書かれているそれは、漆少年の日記帳だった。最初の方はとても古い日付で、日に焼けた紙片を無理矢理じたものだった。


 書かれている日付はほとんど飛び飛びだ。それもそのはずだった。記された内容は全て依琥乃と会った日の出来事だけだったのだから。それが何十ページにも渡って続いている。


 少しだけ最初の方を見てみる。それによると、漆少年が依琥乃と出会ったのは、施設に引き取られてすぐのことらしい。施設の職員達からの質問攻めに耐えきれずに外へ逃げ出したとき、たまたま会ったのが依琥乃だったのだと。


 曲がり角でぶつかった少女。彼女は漆少年を見て悲しそうにした後、笑顔で少年に話しかけたのだという。


 そうして二人は出会った。漆少年は依琥乃と話していると気分が安らぐのだと記している。


 間を飛ばして、最終ページを開く。記された最後の日付は四月二日。依琥乃が死ぬ三日前だ。彼と依琥乃が会ったのもこれが最後なのだろう。後半の内容は字が乱れて読み取れない。なんとなくそれ以上見ていられなくて、日記を閉じた。


 胸に詰まった感情を自分ぼくは深呼吸して取り去った。感情移入は自分ぼくの悪いくせだ。冷静にならなければ、見落としてしまう事実もあるというのに。


 頭を切り替えて情報を整理する。


 つまり依琥乃が死に、精神安定の主柱を失ったことで彼は再び発狂したのだ。そうしてだんだんと依琥乃のことを忘れてゆき、思い出せなくなったことで施設を飛び出した。


 シナリオとしてはこんなところだろう。問題はいま彼が何処にいるかだ。レゾンへの伝言が終わったら、今度はそっちを考えなくちゃ。


 思考のつなぎ目で丁度降りるバス停の前になった。いったん頭を休めて日記帳をカバンに入れ、降車ボタンを押す。


 バス停から十数分ほど歩いて赤井廃ビルに着いた。この調子ならお昼前には用事を済ませてビルを出ることができるだろう。そんなことを考えていると、珍しく屋上ではなくビルの入り口でレゾンと遭遇した。手にはビニール袋を提げている。たぶん中に入っているのは餃子だ。買い出しの帰りのようだった。


 レゾンは自分ぼくに気づかずに中に消えてしまったので、小走りに追いかけた。階段まで行くがレゾンの姿はない。仕方なく、そのまま屋上を目指した。


 重たい扉を開くと風が舞い込んでくる。風圧に押されつつ、自分ぼくは屋上に出た。まばゆい光にくらんだ目を凝らせば、レゾンはいつも通りベッドチェアーに座って、小さなテーブルで餃子ぎょうざを食べていた。


 日光浴しながらニンニク多め餃子を食す吸血鬼という異様な光景にももう慣れたもので、自分ぼくに気づいたレゾンに手を挙げて応えながら彼の対面のソファーへと座った。


「いつも思うけど、ちゃんと階段使って上まで行ってるんだよな? 上るの早すぎない?」


「ふんっ、なんのことだか。思いたいように想像しておけ」


 いつものようにはぐらかされる。この吸血鬼はだいたいこうだ。重要な情報以外は適当に流してしまう。そのぶん嘘は吐かない。それがレーゾン・デートルという男だった。


 ため息をついた自分ぼくに、レゾンが思い出したように視線を向けた。


「県内に連盟の人間が入った痕跡がある。どこの所属の奴等かまでは判別できないが、できるだけ魔法の使用は抑えておけ。奴等も無作為ではないが、中には過激派もいる。用心することだ。特に君はな」


「え、どうして? 自分ぼくなにかした?」


 心当たりがなくて問い返すと、レゾンは呆れたように目じりを押さえた。ほんのつい最近、同じ動作を見た気がする。一瞬浮かんだ既視感はレゾンの言葉にかき消された。


「前に連盟についての説明はしたはずだが? そこから考え付かないのか、二人分の記憶力があるとは思えない穴っぷりだな」


「ぬっ……」


 言い返せない。


「もう一度講義してやろう。いいか、術者は基本的に群れることをしない。だが連盟は例外的に、術者の相互補助組織だ。

 群れない人間が群れる理由は一つだ。自分の利益のためさ。術を使うために必要なエネルギーは、いわゆる神秘への信仰心や魔的な物への畏怖から生まれる。だが現代日本でそんなもの本気で信じる者もはやいない。エネルギーの総量が減っているうえに、集まるエネルギーそのものも不純物だらけときた。ならばどうする?」


 服の上から壊れた十字架をいじるレゾンの質問に、自分ぼくは慎重に答える。


「……使う人間を減らせばいい」


「そう。だからこそ奇跡は秘匿ひとくされる。だがそれだけでは術者はやっていけない。だから連盟が作られた。組織は厳密なルールの元に運営される。そのルールの中に入るのが、結局身を守るのに一番適していたということだ。さぁて、ここまで言えば、君が狙われやすい理由はわかるか?」


「…………自分ぼくが、連盟に所属しない魔法使いだから?」


「ふはっ、そのとおり。特に魔法は魔術より純粋なエネルギーの消費が激しいからな。連中にとってみれば、自分たちの管理下の資材の良いところだけごっそり持っていく泥棒に見えるのさ。実際には君にくれてやった十字架の片割れに貯蔵されたエネルギーを使っているが、奴らにそんな判別がつく人間は少ない。

 いいか? 間違っても連中の仲間にはなるな。あれは身内以外をゴミとしか見ていない愚か者共だからな」


 それだけ言って満足したように、レゾンは餃子に意識を戻した。左手でさっさと帰れと扉を示す。だが帰るわけにはいかない。自分ぼくはなにも、レゾンの顔見たさにここまで階段を上って来たわけじゃないんだ。


 単刀直入に用事を切り出した。


「伝言を預かって来た。射牒さんからだ」


 レゾンが箸を止めて顔を上げる。そこには珍しく少し驚いたような表情があった。


「射牒が県内にいることは知っていたが……。まさかアイツから俺にコンタクトを取って来るとはな。少し驚いた」


 そう素直に零すレゾンには、なんだかいつもの毒気がない。それほど祇遥ぎよう射牒いちょうという人物はこの男の中で大きな存在なのだろうか。けど訊いたら不機嫌になりそうだったので、そこはスルーして。


「いま自分ぼくが追っている少年、漆賢悟を知っているか?」


「君たちの事情くらいは把握しているが、その人物に会ったことはないな」


「射牒さん曰くその少年は、レゾン、お前の食い残しらしい」


 言われたとおりに告げる。するとレゾンは餃子を食おうと開けていた口はそのままに、箸を下ろした。


「…………詳しく聴かせろ」


 いつもよりも数段低い声。なんだか威圧を感じつつも、自分ぼくは事情を説明した。レゾンはずっと難しい顔で話を聞いている。一度も口を挟まれずに最後まで説明し終わると、レゾンはサングラスを外して空を見上げた。


「二連続で失敗するとはな……」


「?」


「いや、君には関係ない話だ。忘れろ。……そうだな、確かにこれは俺の責任でもあるようだ。協力する。というわけで、まずは君にも有意義な話をしよう」


 そうして向けられた視線は、いつも通りのレゾンだった。太陽に透かされた銀色の髪が光の束のように輝いている。それが少し眩しくて、自分ぼくは頭を下げた。食べかけの餃子が視界に入る。それを見ながら、自分ぼくは降ってくる声を聴いていた。


「その漆賢悟なる少年の居場所ならば、ある程度予測はつく。昔からそうなのだ。依琥乃と精神的に強く結びついた人間は、アイツの死後、その喪失感に襲われる。依琥乃は忘れられやすいからな。アイツが残した物どころか、依琥乃の名が書かれた用紙すら、死後には意識に上らなくなる。

 どれほど共に過ごした人間でも思い出すことが減れば必ず忘れてしまう。しかも依琥乃に関する情報の忘却は加速度的だ。いきなり記憶に穴が開けば精神に不調をきたすのは当然の自明だろう。だからなのか、そういった人間はその穴を埋めようと無意識に行動することがある」


「どんな行動だ?」


「依琥乃を思い出せないからな。依琥乃との時間を疑似再生しようとするのだ。例えば、ひたすら引きこもって思い出そうとしたり、思い出の場所をまわったり。俺の役目は、そういった奴等の動向を見守ることでもあったからな、ある程度傾向は分かる。漆賢悟は後者だろう。

 つまり、漆賢悟が依琥乃と行ったことのある場所を探せばおのずと見つかるはずだ」


「あ、じゃあ、日記を見れば」


 レゾンが頷く。光明が差してきた。これで漆少年の居場所を射牒さんに伝えれば、有巻兄さんの疑いも晴れるだろう。


 さっそくカバンから日記帳を取り出そうとした瞬間、レゾンが急に立ち上がった。影が動いたので自分ぼくもつられて視線を上げる。レゾンは険しい顔をしている。


「…………一瞬だが、稀癌と稀癌がぶつかる気配がした」


 呟かれたのはそんな言葉だった。いったいどういうことだ?


 のんきにあくびをしている自分ぼくへ、ハッと何かに気が付いたらしいレゾンが鋭い声を上げた。


「おい、陽苓ようれい誡は今どこにいる」


 一瞬質問の意味が分からなかった。だが、頭が理解するよりも先に、心臓が鳴った。


 レゾンの説明によれば、喪失感は共に過ごした時間が長い者ほど大きい。そして依琥乃のことを考えなくなった瞬間から、忘却は強まっていく。


 依琥乃の調査を中断してから数日が経った。なら誡は今、どれくらい依琥乃のことを覚えている? どうして誡はあの時、依琥乃のことが書かれた日記帳を手に取らなかったんだ。


 自分ぼくはスマホを取り出し誡に連絡を入れた。続く呼び出し音。


「――駄目だ、繋がらない」


 稀癌罹患者はこの世の人口の一パーセントもいない。それが出遭う確率など計算するまでもない。


 それでも。喪失感を埋めるために思い出の場所を周る人間が二人。その二人がかち合わないと、誰が決めた。


 自分ぼくの言葉にレゾンは舌打ちしてサングラスをかけなおした。そして、周囲を見渡す。


「……少なくともこの町の中じゃないな。どこにもいない。今日は誡の動向を見ていなかった。どこに向かったのかは分からん。その本を貸せ」


 日記帳を渡すとパラパラと高速でめくっていく。


「ほとんどが市街地。郊外が数か所だな。よし、俺が市街地へ行く。君は今から書き出す場所を確認して来い」


 そう言って、ほんとに紙に数か所の住所を書きだした。これほどレゾンが協力的だったのは初めてだったし、焦っているのも初めて見た。


「なんでそんなに急いでるんだ。そんなに漆は危険のか?」


「漆賢悟の実力は分からん。だが下手すれば、陽苓誡はそこで死ぬ」


 レゾンが力強く断言する。だが誡の実力を知っている身としては疑問を呈せざるを得ない。


「どうしてそう言い切れるんだ」


 答えはとてもシンプルだった。


「誡の部屋には拳銃が置き去りにされていた。二丁共だ。何でも切り裂く稀人まれひと相手に飛び道具なしで挑むのは無謀だ。、勝てないかもしれない。

 ――――くそっ、俺の失敗で結果的に誡が死んでみろ。次アイツに会うとき、どれだけ嫌味を言われるか分かったものじゃないぞ!」



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