第34話 狂走


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「いいかげんに、その口調は止めにせんか」

 二人旅を始めておよそ一年経った、ある日。レゾンは唐突にそう言った。

 意味が分からず返事をしないボクにレゾンは火を起こしながら続ける。

「いいか人間はな、己の性別にあった一人称を用いなければ初対面の者になめられるのだ。口調も同様だ。今の君は威圧的が過ぎる。もしくはただのクソ生意気なガキだ」

「そりゃ、ガキだからな」

 また年より臭い説教を始めた吸血鬼を無視して、ボクは鍋にスープの材料を投下した。先日スーパーでまとめ買いしたスープの素と、ぶつ切りにした野菜たち。今日の夕食はこれとパンで十分だろう。餃子ばかりだとレゾンはまだしもボクは身体を壊してしまう。

 なおもレゾンは食い下がる。

「だから、ガキ時代の習慣は大人になっても変えられないから言っているのだ」

「そういうもんか」

「そういうものだ」

「ふーん」

 そこまで念を押されれば、さすがに少し考える。だが口調ごときどうとでもなる。レゾンの教育のおかげで、やろうと思えば敬語は完璧だし。

 けど、まあ。ちょっとは譲歩すべきか。

「ボクはどうすればいいんだ」

「うん?」

「だから、ボクは自分をなんと呼べばいいんだ」

 鍋に水を投入しながら言うと、レゾンはなにがおもしろいのか「ふはっ」と笑い、マッチを捨てて火に薪をくべた。

「そうだな。ごく普通に、『私』でいいのではないか?」

 ふむ。わたし。私。……違和感がすごい。

「君の図太さならすぐに慣れる」

「そうだな。お前との暮らしにもすぐに慣れたしな」

「順応性は評価するが……。親族のかたきとの生活に慣れるのもどうなのだ?」

「別に家庭に思い入れがあったわけじゃない。もう家族の声も思い出せないしな。まあ、あれが殺しであったなら、確かに復讐ふくしゅうという道もあった。けれどあれは食事だろ? 食事は生命活動の一種。生きるために必要な物だ。なら簡単だ。彼らは雷に撃たれたのでも、脱線した電車に轢かれたのでもない。ただ彼らの命日があの日だった、それだけだよ。そもそもは薄情なんだ、基本。……それより、どうして今更そんなことを言いだした」

 ぱちぱちと薪を鳴らす火に近づく。レゾンが組んだ木組みに鍋を引っかけた。あとは煮えるのを待つだけだ。

「日本では春から義務教育が始まるだろう。君は学校に行くべきだからな」

「修行が足りないと今日言われたばかりなんだが」

「長期休みには迎えに行くさ」

「長期休みの度に失踪する子供は普通じゃないな……」

 絶対友達なんかできないだろそれ。

「君ならすぐに慣れるさ、イレギュラー」

 微笑みながら紙皿を差し出す化け物を、ボクはおたまで制する。

「だから、その呼び方は止めろと言っている。そんな風にわざわざ誇張しなくても約束は守るよ。お前の命運が尽きればちゃんと殺してやるさ、レーゾン・デートル」

「ああ、その時が来るなら、頼むよ、祇遥ぎよう射牒いちょう

「はいはい。さっさと深皿をよこせこの更年期こうねんきめ」


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 何かを探しに外へ出た。けれどその『何か』は、やはり思い出せない。気の向くままに自転車を走らせると見知らぬ大きな廃墟に辿りついた。


 まだ空は明るい。昼前なのだから当たり前だ。


 更科君からの連絡もなかった。私は適当な所に自転車を停め、廃墟の奥へ踏み入ることにした。


 雑草が茂る道を抜けると二階建ての建物に辿り付く。


 中に入ると、白い壁にはいたるところにカラフルな落書きがされていた。家具の類は見当たらず、天板もほとんど無く、枠組みの木だけがぶら下がっている。水道管かなにかのパイプも姿が露出していた。


 自転車をこいで火照ほてった身体に、冷たい空気が気持ちよかった。


「…………いつか、来たことがあるような」


 なぜだろうか。私はここに来たことがある気がする。それも一人で来たわけじゃない。私は誰かと、ここに来た。


「……思い出せない」


 記憶の奥へ手が伸ばせない。私は誰とここへ来たのだろう。


 歩を進め奥へ入る。狭い部屋が廊下に沿って等間隔に並び、壊れたベッドが残されている部屋もある。まるで病室みたいだ。


 薄暗く床が抜けているところもあったが、稀癌が反応するため危険なく進める。ほどなく階段を見つけて私は二階へ上った。


 階段は欠けているところがだいぶあった。二階は一階ほど落書きはない。外壁が崩れているところもあるためか、日が入り、こちらのほうが明るく歩きやすかった。


「……確か、肝試しに来た……はず」


 そう。ここは昔病院だった。幽霊が出るという噂があって、夏だから納涼にと連れてこられたのだ。


「……誰に」


 更科君ではない。私はまだ幼かった。彼と出会う前だ。確か、小学五年生の夏休み……。


「……そもそも」


 私はどうして今、ここに来たのだ。


 体中から熱が消え、内臓が縮こまる。背筋を冷たい空気が這っていって私は鳥肌を立てた。


 おかしい。どうして記憶を想起できない。私の身になにが起きている。稀癌はなにも反応しない。だから精神攻撃の類ではないはずだ。ならばなぜ。


 どうして。どうして。どうして。…………どうして?


 身体を掻き抱き、若干のパニックへとおちいっていたために、私はその音と危険に気づくのが遅れた。


 階段を上る音が階下から近づいてくる。危険察知クリエ。それは明確な危険を伴っている。死の香りを乗せたざらつく風。


 頭が混乱したまま私は自分の腰元へと手を伸ばした。だがそこにはなにも無い。ウエストバッグも、その中に入れるはずの拳銃も、今日に限って自宅に置いて来てしまっている。


 どうする。逃げるか。それとも――――。


 思考が詰まってなかなか行動を起こせない。そうしているうちに、音は目の前へとやってきた。


「――――っな」


 ふらふらと頼りない歩調で角から身を覗かせたのは、つい最近写真で見た人物。


 最後にいつ洗ったのかわからない、乱れた黒髪と汚れた上着。生気の薄い目元は落ちくぼみ、唇はなにかを口ずさみ続けている。いや、誰かと話しているのか。けどこの空間には私と少年以外誰もいない。


 普通の神経をしているならば入りたがらないであろう廃墟に現れたのは、現在更科君が行方を追っているはずの少年、うるし賢悟けんごだった。


 まさか調査から降りたこちらが当たりを引くとは……。


 少年はなぜかまだ私に気づいていない様子だった。いや、当たり前か。私は稀癌によって彼の来訪を事前に感じ取っただけだ。漆賢悟は恐らく稀癌罹患者だろうと更科君は言っていた。けれどその稀癌が、私と同質のものとは限らない。というよりもある程度予測はついているのだ。


 少年の稀癌は『切断』だろう。得物の鋭さ、切るものの硬度、力、全てを無視して斬り伏せる、まさに奇跡としか言いようがない能力。精神の不安定さは稀癌の副作用に違いない。


 そのような相手と丸腰で戦うなど不可能だ。


 気づかれないうちに逃げるべきだろう。私は一歩後ろへ下がろうと――。


「ねぇ」

「――っ」


 稀癌はまたたかなかった。だからそれは私に対する呼びかけではなかったはずだ。だが反応してしまった。唐突に脅威が膨らむ。


 気づかれた。


「だれ、そこにいるの」


 声をかけられ、観念する。


「……こんにちは」


 そう言いつつ私は身体の陰でスマホを取り出した。更科君か、射牒さんに連絡を入れるために。


 けれどその目論見は失敗した。先ほどから頭が痛むせいだろう。私はもう少し慎重になるべきだったのだ。


「ああ、こんにちはぁあ!」


 少年は私へ突進してきた。手元にきらりとナイフが光る。


 私は少年の斬撃をすんででかわし、そのまま跳んで距離をとった。手からスマホが零れ落ち少年の足元に落ちる。


 避けた私の代わりに背後にあった壁が切り裂かれる。そんな小さなナイフじゃ発泡スチロールだろうとこれほど真っすぐ切れないだろうに。そしてついでにスマホも踏まれた。画面の割れる音がする。あれはもう使い物にならないだろう。


「っ、出費が」


 つい本音が漏れたが、少年は聞いていないようでただにやにやと笑っている。


「は、ははは。よけた! やっぱり! あの子だぁ!」


 どうやら昔会ったことを覚えているらしい。確かにあれだけわめいていたから、忘れていないのは納得するが。


「……人違いでは」


 私は少年に背を向けて走りだした。

 あんなものと真面目に対峙たいじしていられない。


 相手して初めて稀癌という存在の物理法則を無視したズルさを痛感する。


「あっ、待ってよ!」


 建物の見取り図がないため正確な逃げ道が分からない。そのためとりあえず少年から離れようとしたが、気になる言葉が聞こえて足を止めた。


「君に会いたかったんだ!」


「……?」


 少年から感じる危険は模擬戦時の射牒さんより少し弱い程度。つまり素手で向かえば大怪我をするが、死ぬほどではない。話を聞くくらいは許容範囲か。


「……あなたが探していたというのは、私なのですか」


 問うと少年は首を傾げた。説明が足りなかったか。


「……あなたは何かを忘れ、それを探しに出たのではないのですか」


 再度問う。すると少年は私ではなく、壁を見た。もちろんそこには誰も居ない。けれど少年は気にせず喋りだす。


「そう、そうだよ。思い出せないんだ。でも、君を見て思いついたんだ。ボクと同じ血の匂いのする人。お姉さんを殺せば、きっとなにか思い出せる!」


「……理屈が分からないっ」


 少年が動いたので私はまた走り出した。狭い通路を全速力で駆ける。階段はどこだ。早く外へ逃げねば。


 しかしその考えは甘かった。

 私よりも少年のほうが、純粋に足が速かったのだ。


「追いついたぁあああ!」


 背後で振り上げられるナイフ。

 それは、的確に私の心臓を狙っていた。


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