第33話 広がりゆく虚無
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男は
森の中で野宿したり、使われなくなった廃墟を寝床にしたりしていた。
男についていくボクも、もちろん同じ扱いだ。
寝ている時以外はずっと修行だった。
生きるための知恵、人を出し抜く知識、どんな場面でも冷静に思考できる体力と、想像を現実にする身体のばねの使い方。とにかく目の回るような生活だった。
けど共に過ごしている間、一度も男が人を喰っているところを見たことがない。
「俺も生きるならば喰わねばならない。ひと月に一人喰えば十分だ」
「じゃあ、あの時はなんであんな喰ったんだ。バイキング気分だったのか?」
「いいや。普段は喰わないようにして、我慢しているのさ。そして我慢した年月分、いっきに食べる。十年我慢したなら十人。この間は二十年我慢したから、二十人。それ以上もそれ以下も喰わん。君はたまたま二十一人目だっただけだ。わざと生かしたわけじゃない。そういう奴を見つけたら、だいたい記憶を消して置き去りにする」
「なら、なんでボクを拾ったんだ」
「君はイレギュラーなのだ」
ある夜、たき火を見ながら男はそう言った。 「自称千年生きた吸血鬼」。レーゾン・デートルと名乗った男は、闇と攻防を繰り広げる灯りの境目を見つめながら餃子を食べている。
イレギュラーと、そう呼ばれたのはこれで二度目だ。最初の一度は初めて会った時。記憶を消されそうになった時だったろうか。
「イレギュラーとはこの世の神秘を全て受け付けない人間の事だ。魔法、魔術、そして稀癌。それから運命や奇跡、神頼みも神秘の内だな。この世には人間が思うよりも奇跡は多い。だが、君に奇跡は訪れない。君は当たり前を成すだけだ。そこに外側の因子は存在しない。君は全て自分の実力で生きていくしかないのだ」
つまりボクは奇跡の起こりにくい体質らしい。術の類も効かないそうだ。
「特に記憶操作や認識阻害の類は全く効かないと言っていい。物理的な結果を引き起こす術ならば、その影響もうけるだろうがな」
なんとも皮肉な体質だと思った。それでは吸血鬼に身内を殺されたのも、運命でも偶然でもなくただの当たり前の出来事だとでもいうのだろうか。
けれどボクは特に落ち込む姿は見せず、そっけなく返す。
「それは助かる。せっかく実力で勝ち取ったものを『運が良かった』なんてごまかされずに済む」
「ふはっ」
ボクの言葉のどこがおもしろかったのか。レゾンは笑って皿を片付けた。おもむろに立ち上がりボクの頭を撫でる。
「君の思考回路はイカレているな」
それはお互いさまだろうと言いたかったが、心の内に留めた。
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――これは
そんな理屈の不明なことを言われ、私は坂野さんの一件から
一応なにか変わりがあれば報告するように釘を刺しておいたので、荒事になってから私が出動する、という事態は避けられるだろう。ここ数日、更科君から連絡はない。
しかし私が手伝うと言ってあれほど喜んでいたようだったのに、急に帰って休めだなどと、おかしなことを言う男だ。私は疲れてなどいないというのに。
「……ゴールデンウィークも今日で最終日、特に用事は入っていない」
休みだからと言ってこうして何日も家で読書し続けるのも、健康的とは言えない。
それにここ最近、謎の感覚に襲われるようになっていた。胸の真ん中あたりで空気が通るような感覚。先達の言葉に従うならば、これは喪失感と呼ぶべきものなのだろう。
心当たりがないから何とも言えないが。
部屋で寝転がるのはもう十分だ。私は本にしおりを挟んで起き上がった。どうせ頭に内容が入ってきていなかった。これ以上は不毛だ。
玄関で自転車の鍵を取り、ポケットに財布だけ入れて靴を履く。
「……いってきます」
一人暮らしのアパートの一室。なにか意味があるのかいまいち分からない言葉を義務のように呟いて、私は外へ出た。
11
早朝の事だ。射牒さんから呼び出しがあった。
誡を通さずに直接
二十分程度安らかな振動に揺られてたどり着いたのは、同じような高さのビルが所狭しと並ぶ異様な一角だった。
こんな場所、近くにあったかな? そういえば数年前、上城町の近辺でも都市計画の持ち上がった地区が何箇所かあった。ここはその一つだろうか。
指定されたビルが分からずうろうろしていると、射牒さんがビルの入り口で仁王立ちしているのを見つけた。長髪長身美女が鋭い目つきで辺りを見回している。ちょっと近寄りたくなかったけど、目が合ってしまったので仕方なく走り寄る。
「遅かったな」
「すみません。場所がよく分からなくって」
「ああ、このあたりは分かりづらいからな」
それだけ言ってさっさとビルの階段を上がっていく。呼び出された要件も知らぬまま、
この人と知り合ってまだ二か月と経っていないが、正直苦手なタイプだ。
誡はよくこの人と何年も一緒にいられるな。聞けば八歳の頃からの付き合いだという。自分だったらこの人の発するプレッシャーに押しつぶされて逃げ出していたことだろう。放つ威圧感はレゾンとどっこいどっこい…………ん? 今この人いくつなんだ?
こんど誡に確認を取ってみようかなどと考えていると、射牒さんが立ち止まり
射牒さんの前には、管理人室とプレートの下がった扉があった。どうやら最上階だけはワンフロア全てが管理人の部屋らしい。
「ここだ」
そう言ってノックもせずに扉を開ける。土足のままリビングを突っ切る彼女に続いて
ゴミが散乱した部屋を抜ける。電気は消えており、つけっぱなしになったテレビの明かりに照らされ、使用済みのティッシュや空のペットボトルが闇に浮かび上がる。
何かが爪先に当たり、足元を見る。そこには中学生ぐらいの少年がストリップしている表紙のDVDが数枚落ちていた。
なんだこれ、なんだこれっ。下手な路地裏より怖い。なんで
一番奥の扉、射牒さんは、そこはきちんとノックして、「入るぞ」と一方的に言い放ち中へ入った。
そこは小さな部屋だった。やはり中は真っ暗で、細長いテーブルの上に三台のパソコンが置いてある。
ディスプレイにはビルの入り口と屋上らしき場所が映し出されている。おそらく監視カメラの映像だ。その映像を見ているのは、少し中年太りしましたといった感じのお兄さん一人である。
困惑する
「こいつはここのビルの持ち主だ。危ない仕事もしているから、顔は覚えないほうがいい。――――おい、準備を頼む」
「うぃ~っす」
男は机の下をごそごそとやり始めた。事態を飲み込めない
「見てもらいたい映像がある。三か月前の監視カメラに映った映像だ」
射牒さんはそれだけ言って、男に視線を送る。男は顔も上げずに事情を喋り始めた。
「この一年位前からイタズラが酷くて、監視カメラ付けた。ガキ共来なくなって安心してたが、三か月前の始めくらいに、不法侵入者が映った。屋上には隠してるモノもある。だから映像保管して
ぶつぎれに話す男の言葉は端的だった。つまり
ほどなく男はセッティングが終わったらしく頭を上げた。それからマウスを少し動かし、三つあるディスプレイの内、真ん中の映像が切り替える。入り口の映像のようだ。
「これをみろ」
射牒さんが指差した先には少年らしき人影があった。画質は若干荒いが、なんとなく顔もわかる。これは間違いなく
「次はこっちだ」
左側の映像が切り替わる。今度は屋上の映像だった
屋上の端にいるのは漆少年だ。日付はさっきと同じ。二月七日、十九時二十二分。
少年は動かない。何かを待っているようだ。
画面の端に何かがちらついた。顔を近づけて見ていると、現れたのは髪の長い未成年の少女らしき人物だった。
「これって……」
どこかで見た覚えのある少女だ。カメラの位置からは顔が見えない。けれど不思議な既視感がある。
「驚いただろう。
「――え?」
思考が停止した。
ああ、そうだ。これは、この少女は、確かに依琥乃だ。言われてようやく気がついた。
ぐらりと、
漆賢悟と伊神依琥乃は知己であった。
そんなこと今初めて知った。
言葉を失った
「映像を確認したのはだいぶ前だったんだがな。お前たちから伊神依琥乃の交友関係を調べてくれと頼まれて、この少女の正体を知った。
昔会った時は幼すぎてな。成長していて分からなかったんだ。この少女はいったいなんなんだ? あの時といい、この間の幽霊屋敷といい。それに加えて今回だ。背後に必ずこの少女がいる」
……そういえば、あの幽霊館のミイラの処理は射牒さんにお願いしたんだった。しかしあの館の背後に依琥乃? どういうことだ?
「あのミイラが死んだのは約五年前だ。その前後に伊神依琥乃らしき人物があの屋敷に複数回出入りしていたのが確認できた。老人の日記にも書かれていたからな。あそこの主人にお前のことを伝えたのも、伊神依琥乃だぞ」
そうだ、誡は言っていた。老人の言葉に違和感があったのだと。老人は言ったそうだ。「一つの身体には一つの魂しか入らないと言われた」と。誰かがその情報をあの老人に伝えたとしか考えられないニュアンスだ。
よほど術やこの世の仕組みに詳しい人間でないと、そんなこと知らないはずだ。伝えたのが依琥乃だというのなら納得できる。
だって依琥乃ほど知っている人間はいなかったから。
「おい更科、大丈夫か。調子が優れないようだが」
「平気です。それで、どうしてこれを
顔を覗き込む射牒さんに無理矢理笑みを作り、そう問いかける。
射牒さんは肩を
「お前ならこの因果が分かるかと思ってな。いいか、漆賢悟が発狂を始めたのはひと月ほど前。その頃にお前らの周囲であった出来事いえばなんだ」
言われて、ようやく思い至る。
「依琥乃の葬式……」
「そうだ。無関係とは思えない。……ここを出よう」
男の手の平に何かを握らせた射牒さんは、そのまま何も言わずに部屋を出た。
見送りもないのか、と考えて、
階段を下りる間、お互い無言だった。
そうして歩いている間に、
ああ、確かにここまで情報を出されれば、
「あなたは、どこまで何を知っているんですか」
後姿に問いかける。振り向いた彼女は少し呆れたような顔をしていた。頭痛でもするように目じりを押さえる。
「それはこちらのセリフだ。お前はどこまで把握している」
「…………」
「言いたくなければ今はなにも問うまい。ただ、一つ伝言を頼む」
「伝言?」
クエスチョンマークを浮かべた
「ああ。――――――レーゾン・デートルに伝えろ。これは、お前の食い残しだとな」
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