第21話 電話のこちらと向こう側


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 人々の寝静まる深夜。相談があると事前に言うと、彼らは警戒することなく呼び出しに応えた。

 人通りの絶えた場所に、その人間は現れる。

 慣れ親しんだ笑みを浮かべて出迎えて、心の中でただ思ふ。


 あゝ我が友よ、狂乱に、

 君死にたまふことなかれ。

 我が狂気に飲み干されずに、

 抗い、自らの命を勝ち取り給え。


         20


 ぷぷぷ、と電話口から接続音がして、ついで人の声が応答した。


『誡さん? こんな時間にどうしたの?』


 射牒さんに諸々の報告を終えた私が真っ先に連絡を入れたのは、今件の協力者である更科奏繁だった。


 普段なら依琥乃に連絡をとるのだけれど、どうしてか今は彼と話さなければならないと感じたのだ。理由はわからない。稀癌の導きでもない。どうしてだろうか、頭に浮かんだのは、それでも確かに更科君の顔だった。


 こんな時間と言われて携帯の画面を見る。十九時ちょうど。たとえ中学生でも人と通話を試みるのにおかしな時間ではないはずだが。


 ……いや、おそらく彼は、なぜ私が更科君に連絡したのか、という全体像について疑問を呈しているのだろう。今日は用事があると断っていながらどうして、と。


「…………被害者の共通点が見つかりました」


『えっ、ホント? あれ、お世話になった人に挨拶にいったんじゃなかったの?』


 驚きの声。無理もない。


「……昔通っていた精神科に行きました。そこで聞いたのです。今回の事件の被害者が、全員私と同じ病院に通っていた過去があると」


『つまり精神病院? 警察はそのこと――』


「……はい。連絡をとって確認しました。警察はこの事実に気づいていましたが、……重要視してはいなかったそうです」


『どうして。唯一の共通点だろ?』


「……被害者が病院に通っていた期間はばらばらで、お互いに面識がなかったことと、病院関係者全員のアリバイが成立していたからとのことでした。……あの病院に通っている義務教育者が県内の通院者の七割に相当しているのも、理由の一つのようですが」


 義務教育中の子供でも、そういった病院のお世話になる人数は、そうでない人間が思うよりもずっと多い。その人数の内あの精神病院に通っている割合が高いのは、ひとえに先生の評判が良いからだ。多くの医師が手に負えない患者にあの病院への紹介状を書くという。


 けれど今回はそれが悪いほうに働いてしまった。通院者の総数が多すぎるあまり、この共通点は「偶然」の体を装えてしまう。


 そもそも先生も言っていたではないか。不安定な患者たち。同一の事件に巻き込まれることは、そう珍しいことではないと。


『つまり被害者全員の顔を把握しているはずの病院関係者が、全員捜査線上から外れてたってことか。でも警察も調査済みなんでしょ? じゃあ、病院と事件とには関係がないと証明されてるってこと?』


「……いえ。警察が確認したアリバイは、被害者たちが通っていた期間に勤務していた人間と、同一期間に通院していた患者とその関係者、それに近隣住民だけでした」


『だけ? それだけ調べてるなら十分なんじゃ』


 更科君はそう疑問を呈する。そう。普通ならばそれで十分なのだ。たとえ該当の人間達が無実でも、周辺を調べて回っている間に怪しい人物は名前が自然と挙がるのだから。


 けれど足りない。


「……最初は私もそう考えましたが、あの病院の医院長はたくさんの患者から慕われている御仁です。通院が終わった後も、時々顔を見せに来る元患者はたくさんいます。

 ……警察もそのことは把握していたようですが、院長に口頭で確認をとった程度で、関係性を詳しく調べてはいないと」


『そうか……。実際に被害者と通院期間がかぶってなくて、病院とはもう関係が切れてる状態で病院を訪れている人間が複数いるってことか。それは履歴も残ってないだろうね。

 じゃあ、たまたま被害者たちの顔と名前を把握できた人間がいても不思議じゃない、かな? その推測が正しければ容疑者はこれで少し絞られるね。でもどうして病院の通院患者を狙って殺人を?』


「………………そこまでは」


 一般的な殺人の動機として挙げられるのは、恐怖、嫉妬、妬み、激昂、快楽、復讐心などだという。


 だが、射牒さんは死体からそのどの感情も見出せないと言っていた。ここまでくると動機から犯人に迫ることは不可能に近い。病院という共通点が見いだせても、やはり動機は浮かんでこないのだから。


『少し前進できたけど、やっぱり犯人は特定でないってことか』


「……はい。ですが、次の被害者に心当たりがあります」


『へ?』


「……先日話した、私の友人です。彼女も同じ病院に通い、先生の所に頻繁に顔を見せに来ていたらしいのです。それに――――」


 彼女と初めて会ったあの日。一瞬だけ感じて、消えてしまったあの脅威は。


「……あの殺意が犯人のものと仮定するなら、なにも起きずに消えてしまった説明がつきます。……あの危険が私ではなく仕種さんを狙ったものなのならば、辻褄が合う」


 少しの沈黙。彼は私の意見を肯定してくれた。


『確かに、誡さんの稀癌がそう告げるならそうなんだろう。その人が被害者たちと同じ病院に通ってたんなら条件に合ってる。けどそれは君も同じだ。『友人ができると死ぬ』と噂は言ってるんだ。確かにその湯苅部ゆかりべさんには誡さんっていう友達ができたのかもしれないけど、それは君も同じじゃないか。

 誡さんには湯苅部さんっていう新しい友達ができてしまってる。条件は合ってるんだから。その危険が本当に狙っていたのは、誡さんかもしれない。もしくは彼女が犯人だってこともあり得るだろ?』


 言われて初めて気が付いた。確かにその可能性はある。でも、


「……仕種さんは、犯人ではありません。まして私を狙っているはずがない。……彼女は安全な人です。稀癌がそれを証明している」


 彼女が私を危険にさらそうとしたことはない。私の稀癌は他人の思考回路にまで反応する。彼女が一瞬でもそういったことを思い浮かべていたなら、稀癌が反応しないはずがないのだ。


 私の言い分に更科君は一瞬なにか言いかけたようだが、それを飲み込み、続ける気配がした。


『分かった。これからどうするの?』


「……今日中に仕種さんと会おうかと。忠告と、それに詳しく話も聞かなくてはなりません」


『じゃあ自分ぼくも同伴するよ。たぶんこの後は電話に出られないから、場所と時間が決まったらメールして。こっちの要件が済み次第合流する』


「……了解しました」


 彼の要件とはなんだろう。浮かんだ好奇の感を抑えつつ、私は通話を切りアドレス帳を開いた。


 夜の帳が空を満たす前に、彼女に連絡をとらなければならない。


 殺人鬼はいつその刃を向けるか分からないのだから。


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 先に生まれし者なれば、父は刃をにぎらせて、人を殺せとをしへしや。

 人を殺して生きよとて、八つまでをそだてしや。されど母はつゆ知らず。ただ優しき人と記憶する。

 駆け落ちだったと聞いている。しかれど母は、父の仕事を誤認せし。長女として生まれし者こそが、父が選びし後継者。幼き身に叩き込まれたは、他者を害する体運び。


 募る衝動を、悪だと知っていた。

 故にか、初の実戦は、家族の身体。


 妹はただ隠れることしか許されず。

 母は驚き泣いて首を落とした。

 歓喜すべし父は、怒声を上げて死に急ぎ。


 静かになった我が憩い家で、ようやく気付いたのはその事実。

 握った刃が床へと落ちる。


 これは、出してはいけない本性である。


         21


 通話を切って、ため息をつく。


 上城町の繁華街、そこで自分ぼく有巻ありまき兄さんの用事に付き合っていた。先日、休日を潰して付き合ってもらった代償のようなものだ。


 殺された被害者の通っていた高校から特に収穫もないままの帰り道にたまたま会い、そのまま流れで付き添わされていた。


 用事といってもただの荷物持ちだ。ただし荷物の中身がなんなのかは分からない。強面のお兄さん達から旅行用のキャリーバッグ三つ預けられたときは心臓が止まるかと思った。逃げよう。その四文字が脳内に即浮かんだほどだ。


 けれど昔は勝気な笑みが似合っていた有巻兄さんの、スーツの大人にへらへらと媚びるように笑う姿を見て、どうしてか抵抗も失せた。今の兄さんの笑顔は嫌いだ。見ていて胸がもやもやしてくる。


 当の兄さんは少し離れた所で地図を片手にきょろきょろしている。はた目から見ればこれから旅行に行くために知り合いとの待ち合わせ場所を探している学生にしか見えない。

 実際はそんな微笑ましい光景ではないけど。


 もう一度ため息が漏れる。


 見た目よりも重たいバッグを持ち直し、有巻兄さんから視線を背ける。脳裏に浮かぶのはやはり誡さんの顔だ。


 少しずつ事件の核心に近づいている気がする。彼女は大丈夫だろうか。手早くこの用事を終わらせて合流できればいいんだけど。


 道が分かったのか、有巻兄さんが自分ぼくに向かって大きく手を振る。電柱に預けていた背中を離して彼の方へと歩を進めた。


 兄さんの後ろをぼんやりと歩いていると、ズボンのポケットが低く唸った。取り出してみると誡さんからのメールだった。


『本日二十時 上城中学校グラウンド』


 簡潔なメールだ。誡さんらしい。それだけ確認して返事も打たずに携帯を仕舞った。


 あまり時間がない。早急に終わらせよう。


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