第7話 銃撃


          9


 これは確かに目の代わりだ。いや、正しくは眼鏡の代わりと言うほうが近いだろうか。


 照準を合わせようと照門を覗き込むと、その先にはいままで見えなかった世界が広がっていた。


 浮かぶ形は人だ。しかし背後が透けて見えるほど、正体が希薄だ。顔の造形が分からないし、身体の各パーツもおぼろげで、輪郭りんかくがピンボケしてしまったように見て取れない。


 およそ人間の個体を識別するのに必要な情報がすべて抜け落ちてしまっているようだった。箱の周りの風景が揺らいでいたのは、彼らがたゆたっていたからだろう。


 曖昧あいまい

 その一言がしっくりくる。あれが幽霊の姿なのだろうか。


 だとすれば、それはなんといういびつだろう。体を持たない魂がそれでもこの世に執着すれば、あのような姿におとしめられてしまうというのだろうか。


 死してなお死を認めぬことは、これほどまでの大罪なのか。


 幽霊の一体が私に気が付いた。思考能力の大半を失っていても、自身に向けられた凶器は判別できるようだ。一人の反応に連鎖するように、白い箱を囲む幽霊の一団から放たれる鋭い殺気がふくれ上がる。


 袖口そでぐちから時計を覗く。若干早すぎるが、ちょうどいい頃合いだ。


 私が考え事をしている様子は、彼らにもよほど隙だらけに映ってくれたらしい。


 最初に突進してきたのは体の大きな亡霊だった。ぽっかり空いた穴のような口を広げ、うなりながら真っすぐ飛んでくる。足があっても足としては機能していないのだろう。まるで空を舞う頭部に身体が付随ふずいしているようだ。全身から力が抜け落ち、浮遊するままになっている。


 あれに触れるのはまずい。亡霊の身体が赤色に点滅して見える。赤色はだいたい『触れるな危険』を表しているのだ。四肢に火花が散るような痛みを稀癌が発する。触れても死にはしないだろうが、血管の何本かは持っていかれるのだろう。


 それは面倒だ。


 私が怪我をすればまた彼は勝手に苦しむのだろう。更科さらしな君の情けない顔はいいかげん見飽きている。これ以上見せられたら心臓の締め付けに耐えられずに、私はうつむいてしまうかもしれない。それは駄目だ。


 だから危険はぎ払うに限る。


 十メートル圏内にまで来ていた亡霊の眉間に銃弾を撃ち込む。途端、亡霊の身体が四散した。ぜた肢体したい蝋燭ろうそくの光を透かし妖しげに波打つ。


『奴らに干渉できる退魔のようなもの』とレゾンは言っていたが、身体が吹き飛ぶとは聞いていない。なんだこの銃は。改めて気味が悪い。


 耳鳴りがして意識を切り替える。十数体の霊達が軒並み私に向って来る。


 ここまでは予想通り。さあ、相手はどう動く。


 左右に転回するものが半数。後はそのまま向かってくるものと、天井へ浮上する二体。最短距離で突進してくる霊へ弾丸を撃ち込む。三体が消失。後方の二体には避けられた。そのまま向かってくる。


 接触しそうになった二体を、飛んでかわしざまに撃つ。私という標的が空中にいる間にかたをつけようというのか、左右からも一息に距離を詰められる。


 合計三体。着地するまえに撃ち抜き、足が付くと同時に全力で前方へ跳ぶ。背後から迫ってきていた二体から離れつつ周囲を見渡すと、それですでに半数が消えていた。


 時計の秒針を追いながら自身の状況を確認。左の銃はもう弾が入っていない。右には一発。一度距離をとらなければならない。危険はいつだって突然だ。保険は掛けておくに限る。触れるだけで人を傷つける相手に、飛び道具を空にするわけにはいかない。


 幸い幽霊の浮遊速度はそれほど速くはない。人が走るのと同程度だ。残りの数の少ない左側に駆け、いや――危険察知クリエ

 重心を微かに落としながらかかとでブレーキをかける。靴底が悲鳴を鳴らす。上空に行った方々の仕業か、前方頭上からはシャンデリアの軋む音。背後には追いかけてきた二体が。


「――――むっ」


 つい眉をひそめてしまう。やはり意思の無い、敵意だけのやからはやりづらい。意識して連携してくれるなら、その考えが殺気として察知できるのだが。


 ……人間の頭部が残っているなら行き当たりばったりで行動しないで欲しい。それとも、それができないのが亡霊なのか。


 しかしこちらとしても修羅場には慣れている。偶然の産物に追い詰められるのはよくあることだ。


 きびすを返し後方から迫る二体に自ら突進する。背後でシャンデリアが床とぶつかり砕け散った気配。残る銃弾で一体をほふるともう弾は残っていない。両の引き金がカチカチと鳴る。その音が聞こえたのだろうか、もう一体の口が歓喜するように歪んだ。なんだ、考える頭、あるじゃないか。


 でも残念ながら君、それは誤算ですよ。


 すでにそれは目前に。


 投げつけたリボルバーが霊の顔面に衝突し、その身体がはじけた。予想通り弾丸だけでなく銃自体にも彼らに対する退魔能力はあるらしい。止まることなく駆ける。弾き飛ばされたリボルバーは諦めるしかないだろう。


 これで弾は無くなった。片手が開いたので走りながらでもウエストバックから弾倉を取り出しやすいのはいいことだ。しかし、チャックを開いて閉じる隙がない。だからマグネット式の物にしようかと悩んだのに。けれどそれでは銃身に磁石がくっ付いてしまわないだろうか。


 こうして思考している間にも霊は私の周囲を旋回している。さっきのようにバラバラに向かってきてくれるほうが倒しやすいのだが。そう甘くもないらしい。寄ってたかって人の周りに密集して細かく突撃してくる。が蚊か蠅のようだ。


 だが、それだけ。


「なんて……生ぬるい脅威」


 走る足を止めずに霊の攻撃を避け続ける。

 幸い彼らは直線か、ゆるやかな曲線でしか動けないらしい。稀癌に映る軌跡を避け、銃身で軌道をずらす。


 霊体に干渉できるのは銃だけだ。先ほどのように銃を捨てる覚悟で殴れば、あるいは弾を装填そうてんしなくても霊は倒せるかもしれない。しかし、そんな危険な賭けをするわけにはいかない。この場にある生命は私一つではないということを、忘れてはならない。


 よそ見走りはやはりよくない。正面衝突しそうになった霊体を後方にわざと倒れてやり過ごす。バク天の要領で回転し、両足を思い切り地面に叩き付ける。広い部屋にダンッという音が木霊こだまし、衝撃で宙に浮いた私の身体の下をもう一体の霊が通過していった。


 着地と同時にまた走り出す。そろそろこの膠着こうちゃく状態を脱し、銃弾を補充しなくてはならない。立ち止まれば恐らく四方から霊に押しつぶされるだろう。


 必要なのは常に逃げ場をつくり、安全を確保すること。自分にできることを確実にこなしチャンスを待つ。


 そして私がやるべきことは、恐らくもう一つある。


「……そこの彼女は誰ですか」


 いつのまにか喋らなくなった、干からびたミイラへと呼びかける。銃を向ければ、やはりその背後に変わることなく女性の姿があった。私を襲う霊達よりも若干輪郭が確かで、性別どころか年のころまで判別できる。


 明らかに他の霊とは何かが異なる。その在り様から、彼女がなのだと私ですら分かってしまった。迫る亡者の猛攻を避けながらさらに言葉を重ねる。


「……ここに来るまでに私を狙った攻撃は、おそらくその女性の力によるものですね。

 ……しかしあなたに霊を操る術はない。

 ……となると、私を追い返そうとしたのは彼女の意思、ということになる。

 ……彼女は私の命を狙ってはいませんでした。脅して屋敷から遠ざけようとしたのでしょう。

 ……もしかすると、いままでもそうだったのではありませんか。

 ……屋敷の調度品は皆ぼろぼろでした。人に荒らされた形跡はないのに、です。

 ……私を狙うとき、いずれも物が飛んできました。いわゆるポルターガイストですね。

 ……それで物が傷ついていた。殺すこともできたでしょうに。

 ……やはり、これまでも私の時と同様に、人を脅して帰らせていたのでしょう。

 ……その証拠に見て回った範囲で、この屋敷には、死体は一つしかない。

 ……そして、今も更科君を閉じ込めている箱。あの箱はまるで彼を守るかのように、この場に居る霊達を通していませんでした」


 たどり着いたのは部屋の端だ。壁めがけて床を蹴る。できるだけ高く、早く跳び、壁に垂直に着地。足の裏に電撃のように走る衝撃を膝を折り曲げて軽減する。


「……――それがなにを示しているか、あなたにはわかりますか」


 問いかけと反転は同時に。私を見失った霊達の頭上を越しながら、ウエストバックから新たな銃弾を取り出した。照門は覗けないので目視で危険の光を確認する。残りの霊は恐らく五体。

 着地と共に装填そうてんを終え振り向くと、霊達はまだ私を探して壁際を彷徨さまよっていた。


 照準を合わせ無駄な周回を繰り返す霊を一体ずつ四散させる。レゾンは退魔と称していたが、ならば彼らは、成仏という救いを得ているということだろうか。生にしがみつく亡霊にとってこれが救いとは言えないのかもしれないが。


 それでも私にはこうするよりほかに術がないし、死してなお居残り続けるその執着に、私は理解を示さない。私はいままで何かに執着したことがなかったような気さえするのだから。


 銃声を聞きながら、そういえば、と思考が移る。さっき言った通りこの屋敷に死体はあのミイラ一つしかない。ではこの霊達はどこからこの場所へ引き寄せられてきたのだろう。あるいはそれがあの老人の呪いの正体か。


 つまり、魂を縛り付ける呪い。


 もし本当にそうであるならば、彼らがこの場に居る理由も、老人があの場から離れないことも、あの女性の霊がミイラを守るようにたたずむわけも、一息に説明できてしまう。


 だが本当にそれだけだろうか。私にはわからない。もし私の推測が正しいとして、どうしてあの女性が自分を縛り付けている存在を守るのか。


「――――ず、か」


 最後の一体が消えるのと、声が聞こえてきたのはほぼ同時だった。銃声にかき消された老人の声は、さっきとは打って変わって弱弱しい。拳銃を向け意識を集中しなければ聞き逃してしまいそうだった。


「――すずかは、わたしの妻だった」


 一言。


 その一言で、私は理解してしまった。


 これは私に内に存在しない、強烈な感情の物語なのだと。


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