第8話 それは深い愛であったはず


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 ――――泣きじゃくる貴方の顔を覚えています。

 何度、大丈夫と呟いても。

 幾度いくど、満足でしたとささやいても。

 貴方は首を振って、決してわたしの手を放さなかった。

 嬉しかったのです。孤独の中に漂うような貴方に、それほど想われていたことが。わたしはずっと、貴方に嫌われているとばかり思っていたから。

 だからつい本音をこぼしてしまったんです。ずっと胸の内に隠してきた言葉を。それが罪深いことだと分かっていたのに。最後だからと気が緩んでしまったんです。だって、貴方がそんなにもわたしのために涙を零してくれたから。

 わたしも、何か本当を残していきたかったのかもしれません。

「死にたくない。ずっと、貴方のお傍にいたかった…………」

 それはきっと愚かな呪いに似ていました。このたった一言のためにどれだけの不幸が貴方を襲うかなど。

 考えも、していなかったのですから。


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鈴鹿すずかはわたしの妻だった。お互い家の決めた縁談だったが、わたしは彼女を愛しておった。わたしは不器用で、いつも黙ってしまって、愛の一つも語れなかったが。鈴鹿もわたしを憎からず想ってくれていたはずじゃ。

 六年、ともに連れ添ったよ。幸せだった。ただただ幸福だった。金があるところには他者の思惑が否応なく混じり込む。だがそれを鈴鹿の存在が全て癒してくれた。彼女がわたしの全てだった」


 静かに、ゆっくりと、何かを手繰るように老人は語る。すでに危険の去った空間で、私は話を聞くことしかやることがなかった。響くのはしわがれた声と私の靴音だけだ。


「鈴鹿が居なくなったのはいつだったろう? 白と黒の垂れ幕がやけに歪んでいたのを覚えている。だがわたしは確信していた。鈴鹿はわたしと共にある。ただ、肉体を失っただけ。彼女はわたしを置いて逝ったりはしないのだ。

 だからわたしは研究を始めた。最初は医学。次に錬金術。そして魔術と魔法。鈴鹿と会うために、そのためだけに、わたしは研究に没頭した。しかし駄目じゃった。この世の奇跡は、わたしに微笑まなかった」


 すでに世界に神秘は薄い。そう語ったのはレゾンだったか依琥乃いこのだったか。魔術や魔法の才を持つ人間は限られている。更科君ではなくても、術者の素養など持たない人間の方が多い。


 階段の下から玉座を見上げる。そこに座る身体に一切の生気はない。干からびた口元は、乾いて固まったまま、動かない。


 ただの死体だ。


「それでも、どこかにあるはずなのじゃ。鈴鹿ともう一度会う方法がっ。もう一度あの優しい声を聴く手段が! 柔らかな髪をでてやれる瞬間が!

 時間だ。時間だけが圧倒的に足りない。よみがえりの研究は、人間の一生などでは到底足りん! 永遠を。わたしに不死を。命の超越を!」


「…………そうして、あなたは呪いに侵されたのですね」


 稀癌きがんとは、人間が死の間際まで想い続けた願いの名残なごり

 しかし呪いは、なにかが狂ってしまった想いのくさびだという。

 この老人は目的を忘れ、手段のみを幻想してしまった。その自己矛盾が願いを呪いへと変貌させてしまったのだろう。


 ……稀癌は希少だという。本来この世の願いのほとんどは霧散して消えるか、歪んで醜い呪いへと堕ちる。


「鈴鹿は、そう。他者を思いやれる女性だった。ならばわたしの毒牙から他者を守ろうとしても不思議ではない。

 わたしはまた、君の意にそぐわぬことをしていたのだね。そしてわたしは、ずっとそのことに気づかずにいた。見捨てられて当然だ。――――だから君は、わたしに姿を見せてくれんのだろう?」


 すがるような声。他者に否定されても、奇跡に拒絶されても、それでも諦めきれずに救いを求める声。


 ああ、見えていないのか、この人は。最愛の人が目の前にいるのに。触れることも感じることも出来ずに。


 この人はそれでも彼女の存在を信じて、ずっとこんな風になるまで、己の死にも気づかずに、


 ……一人の女性を思い続けた。


 なんという執着。ああ、やはり、


「……私には決して真似できませんね」


「――――そうでもないよ」


 卵にひびが入るような音がした。


 出どころはあの白い箱。生じた亀裂は終わりを知らないように大きく広がっていく。箱全体がひび割れに覆われるのに、幾分の時間もかからなかった。


「君って案外、好き嫌いがはっきりしてるから」


 白い破片が舞い散る中で、微笑みを浮かべた青年は私を見つめて立っていた。


「それってきっと、誡にはちゃんとこだわりがあるってことだよ」


 電話を切ってからちょうど一時間。

 更科奏繁さらしなそうはんは己の魔法で自らを救ってみせる。


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