第6話 真実の宣告


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 ――――全てを持っていた。

 財産と権力、人脈、そして己を保つ強い意志。それさえあれば時代を生きていくには十分なほど。

 でも、もう足りない。欠けてしまった。

 そうして続けられる研究。命を克服せよ。永遠を求めよ。時間を手中に収めるのだ。

 その先に、きっと君が待っていると。

 ……邪魔するものはお帰り願いましょう。

 この時がずっと続くように。その手が決して汚されぬように。

 

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「……どうして彼をさらったのですか」


 小柄の、まさしく小娘と形容するにふさわしい黒髪の少女は、わたしを恐れることなくそう訊いてくる。


 せっかく探し人を見せてやったというのに、少女はすぐに興味を失ってしまったようだ。


 まるで居場所さえ分かっていればもう自分には関係ないとでも言いたげな反応だった。


 正直、期待外れもいいところだ。もう少しこの状況に狼狽ろうばいしてもいいだろう。もう少しこの場を恐れてもいいだろう。もう少し、感情豊かな反応を見せてくれてもよいだろうに。


 人と話すのは久しぶりだった。この屋敷から人が遠のいてひさしい。いつもならば追い返すところだが、今日は気分がいい。わたしは人間と話がしたい気分なのだ。


 だというのに、この少女はどうだ。この部屋に入ってきてからというもの、終始無表情で反応も薄い。


 声には最低限、言葉の意味を判別できるだけの抑揚よくようしかない。常に冷静を気取っているともとれなくはないが、それにしても感情表現が少なすぎはせんだろうか。


 しかし相手がどれほど面白味に欠けていようと客人であるという事実に変わりない。質問には、この屋敷の主人として答えてやるべきだろう。


「誤解しないでもらいたい。別にわたしが命じてさらわせたわけではないぞ? 確かに亡霊を放ったのはわたしだ。しかし、その青年に特定して攫って来いとは言っておらん」


 そうですかと少女は呟く。目線で続きを促している。眠たげな瞳がわたしを見つめていた。


「使役していた亡霊を放ったのは、わたしの目的を成すためじゃ」


「目的……」


 少女が小首をかしげる。どうやら彼女は話すことよりも聞くことのほうが得意なようだ。本来、口数の多い娘ではないのだろう。


 わたしは相槌あいづちに促されるまま、語りを続ける。


「わたしは不死の研究をしておるのだよ。そして同時に術師でもある。わたしが亡霊を使役しているのはただ手足として使うためではない。魂の研究を行うために飼っておるのだ。

 人は死んでも魂が残るじゃろう? ならば、彷徨さまよえる魂に入れ物さえ提供してやれば、人は蘇り、結果的に不死を手に入れられるはずなのじゃ。

 今までは成功しなかった。それは入れ物が悪かったからじゃて。やはり人間には、新鮮な肉体が必要なのじゃ。死体では駄目だった。では生きていればどうじゃ? これも駄目だ。生者の肉体には生者の魂がすでにある。

 一つの身体には一つの魂しか入らないと言われた。ではどうすればいい。どうすればわたしは、永遠の時を手に入れられる?」


 少女は応えない。きっと彼女は永遠など望んだことがないのだろう。真っすぐ突き刺さる視線のように、きっとこの少女は現在いましか見ていない。


 その若さが羨ましくもあり、妬ましい。今を生きている人間がどうしようもなく憎らしい。自然とわたしの言葉は強く、荒々しくなっていく。


「簡単じゃ。いくつもの魂を受け入れられる身体を見つければいい! わたしには心当たりがあった。この青年だ。顔は知らぬ。名前も分からぬ。だから亡霊を放った。ただ器を持って来いとな。亡霊が欲望のまま見事青年を連れ帰れば、その結果自体が、わたしの考えの正しさを証明する!

 そうして、わたしは賭けに勝った。この青年の身体を使い、わたしはわたしの命を支配するのだ! 短すぎる人生を超越し、必要な時間を手に入れる!

 残念だが少女よ、青年は二度と君の元へは帰らない。君はここに来るまで散々死にかけたじゃろう? これ以上命を危険にさらしたくなければ、今すぐ一人でお家へ帰るといい。わたしは機嫌が良いからの。命だけは見逃してやってもよいぞ?」


 自らの言葉に陶酔とうすいする快感がこみ上げる。全ては私の思い通りに事が運んでいるのだ。無性むしょうにこの喜びを誰かと分かち合いたい気分だ。

 しかしその相手はこの少女ではない。では誰じゃろう? わからない。わからないが、まあそんなことはどうでもいい。


 今見たいのは、この少女が絶望に暮れ、感情をさらけ出しながら逃げ帰る姿だ。


 少女がうつむき、片腕を抑える。わたしが勝利を確信した、瞬間だった。


「――――あなたの言葉は間違いだらけです」


 取り出されたのは、突き付けられたのは、一丁の拳銃だった。薄暗い部屋の中、銃は微かな紅い光を放っていた。銃はまるで生き物のように拍動を刻んでいる。銃身に浮き出るくだの中を輝く血液が廻っているのが、ここからでも嫌というほどよく見えた。


 あれはなんだ? わたしはあんなもの知らない。


「……まず前提として、更科君はそんなに度量の大きな人間ではありません。自分のことに手一杯で、あなたたちを受け入れる余裕など、あるはずがないのです。……ですから、その男は器たり得ません」


 いつのまにか、もう片方の手にも銃が握られている。右手でわたしを、左手で青年の閉じ込められた箱を狙っている。視線はどちらを見ているともうかがい知れぬ。存外、彼女の眼は何処どこも見ていないのかもしれなかった。


「……次に、私は一度も死にかけていません。シャンデリアが落下したとき、私は頭上ではなく足元に危険を感じた。……あれは割れたシャンデリアの破片が足に刺さるという意味です。食器が飛んできた時もそう。

 ……私が避けなくても、あれらは私の命を脅かしたりしなかった。せいぜい皮膚を軽く切ったり、あざができたりする程度のものです。

 ……あなたは亡霊を使役できていない。あなたが魔術だと思っているものはただのポルターガイストや呪いではないのではないでしょうか。

 ……私は魔術に詳しくありませんが、性質上、呪いの類には敏感なのですぐにわかりました。……その証拠に、あなたに銃を向けても、亡霊たちは更科君にご執心で振り向きもしませんよ」


 やめろと、全神経が告げていた。

 それ以上言うな。

 なにも喋るな。

 やめてくれ。


 その真っすぐな瞳で、わたしの誤魔化ごまかしを、まやかしを、あやまちを、もうそれ以上暴かないでくれ。


 ……? 過ちとはなんだ? わたしが何を誤魔化しているというのじゃ。この小娘は、わたしは、一体何を言っているのだ。いいや、そうじゃない。知っている。わかっているとも。これがわたしの罪と罰。


 叫びたいのに声が出ない。動けない。違う。動かないのだ、なぜならこの体は、とうの昔に――。


「……最後に。あなたの願いは自身の命の永遠ではありませんね。それはただの手段でしょう。あなたの言葉には、呪いを生み出すほどの強い願いが感じられない。

 ――本当の願いには、あなたの死体を守る、背後の女性が関係しているのではないですか」


 入れ替わっていた手段と目的。呪いによって摩耗していた記憶と意識。全てを正しい場所へ。


 少女は無慈悲むじひな宣告をしながらしかし、すでに私のことなど見ていない。


 とどろく発砲音。


 撃ちだされた左の銃弾が何かに刺さり四散する。


 照星しょうせいを覗き込む少女は両手の武器を構えて、襲い来る何かの迎撃を開始した。





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