第5話 対面


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 誘拐犯の家にお邪魔しますと言って入るのもおかしなことなので、チャイムを鳴らさず無遠慮に扉を開ける。銃を使っての強行突破もやぶさかではなかったが、鍵がかかっていなかったのでその必要はなかった。


 中は外同様に薄暗い。いや、月明りがない分、より暗いはずなのだがそういうわけでもない。よくよく観察してみると、広めの玄関ホールには、ところどころ照明のかわりに蝋燭ろうそくともされていた。


 今のところ突出した危険は無いようだった。後ろ手に扉を閉め中へ入る。人が住んでいるとは考えづらい荒廃だ。床のタイルの間からは雑草が伸びている。とても靴を脱ごうとは考え付かない惨状だった。


 薄明りに照らされたホールは、おとぎ話に出てくる城の入り口に酷似したつくりになっている。正面に大きな階段があり、左右の通路にはそこかしこに扉が存在していた。扉と扉の間には壺や石像などの調度品が置かれ、屋敷の富を一目に表しているようだ。


 今では荒れ果てた廃屋だが、元々は手入れの行き届き、鮮麗された場所だったのだろう。シャンデリアや調度品は依琥乃いこの好みの簡素さだ。つまり、世間一般において趣味が良い、と評される類のものだ。壁や壺に巻き付くつたを無視して考えれば、だが。


 どちらにせよ私に芸術を理解する素養はない。依琥乃から、芸術品は人間同様によく目をらして評価しろと言われていたが、価値も分からないもののために時間を使うのは有意義ではないだろう。


 それに、ここにある物のほとんどは亀裂が入っていたり欠けていたりと、元の価値をすでに失っていた。


 ほのかな明かりで視界を保ち真っすぐ歩を進める。さすがに床に穴が開くほどの老朽化はしていないようだ。


 自分の足音以外、聴こえてくるものはない。この広い屋敷の中を更科さらしな君を探して回るのは骨が折れる。その前に向こうが動いてくれればいいのだが……。


 ――右下方から太もものあたりに熱を感じる。危険察知クリエ


 考えの通り、家主は侵入者を歓迎してくれるらしい。


 右方向へ最小限、跳ぶ。同時に頭上のシャンデリアが落下した。ガラスや金属が叩き付けられる轟音が響く。移動していたために破片すら私には届かない。火はついていなかったので火事の心配はなさそうだ。


 シャンデリアを支えていた支柱を盗み見る。老朽化して壊れたわけでも、天井から抜けたわけでもない、真っすぐな切り口。いつか見た刃物の切り口に酷似している。やはり落ちてきたのは偶然ではない。


 ――後方から右側頭部に微かな断絶感。危険察知クリエ


 首をかしげた途端に風を切る音が耳元を通過する。壁に突き刺さったのは数本のフォークだ。高級そうな銀食器シルバーが鈍く光を反射している。お高いのでしょう、と冗談を言う相手もいないので、私は無言で階段へ向かった。


 上の階からいままではなかった寒風が吹いてきている。もちろん、この閉じた屋敷に実際に風が吹き込んでいるわけではない。この屋敷は完全に外界から切り離されている。場の空気がよどんでいるのがその証拠だ。


 風を感じているのは私の稀癌きがんだった。実際の五感とは似て非なる場所で、私はあらゆる危険を様々な感覚で察知している。その感覚はしばしば実際の五感から隔絶される。それは、より危険が強い時だ。


 外から見た限り、この屋敷は三階建てだ。この階に、人間が発する恒常的な危険はない。危険察知クリエはその瞬間のみ発生している。なら、主犯はこの場ではなく上にいると考えていい。煙と馬鹿と危険人物は、総じて高いところが好きなようだから。


 けれど先ほどから誰もいないはずの所から物が飛んできている。殺気や悪意は危険として感知できるから、人間が物を投げようとすればわかるはずだ。あらかじめ人に反応する罠が張ってあるのかとも思ったが、それならば最初から危険を感知しているはずだった。


 つまり、種も仕掛けもない超常現象。ポルターガイストというやつだろうか。


 予兆のない唐突な危険察知クリエは珍しい。危険とは本来起こるべくして起こるもの。必ず稀癌きがんの目を通して見える前兆があるものなのだが……。


 幽霊と対峙たいじするのは初めてなので、いまいち勝手がつかめない。いつでも行動に移れるように慎重に進むのがよさそうだ。


 階段を上る。手すりのあちこちに埃が積もっている。人が住める衛生状況とは程遠い。案外、本当に幽霊しかいないのかもしれない。つまりここは屋敷ではなく、正しく廃屋なのだろう。


 ――足元で微震。危険察知クリエ


 ジャンプすると、敷いてあった紅いクロスが一瞬ぴんと張る。着地時はすでに元に戻っていた。舞った埃が光に透かされて輝いて見える。


 ……転ばせる気だったのだろうか。子供のイタズラのようだが、階段の角に頭をぶつけるのは確かに痛い。転んだのを見計らって上から石が降ってくる、というわけではないようだ。


 幽霊の考えがわからない。生者に死者を理解できないのは当たり前なのかもしれないが。


 先ほどから警戒と歓迎の間に温度差を感じる。これは稀癌ではなく、人間の直感として。


 だが向こうの思惑おもわくがなんであれ、更科君を助けるという目的に変わりはない。やるべきことは一つだ。


 幽霊の相手をわざわざしたいわけでもない。

 






 二階に上がってからも幾度いくどか物が飛んできたが、動きが単調で避けるのは安易だった。

 それから若干、建物内で迷ったところで、少し大きめの扉を見つけた。両開きでひと際豪華な装飾を施されている。危険察知クリエ。風はここから吹いてくる。


 ここは洋館なので大広間というやつだろうか。ダンスパーティーが開かれるイメージがあるが、そのような気軽さはこの扉には存在しない。しっかりと閉じられた入り口には、ありありとした拒絶の意が見て取れる。


 扉を観察して、気づく。私の足元にほこりがない。よくよく見れば、最近扉を開いた形跡があった。そのうえ、扉から廊下には何かを引きずったような跡も残っている。大きさからして、人間一人。


 ……おそらくこの跡は入り口まで繋がっているのだろう。つくづく自分の稀癌が危険にしか反応しないことに不便を覚える。私自身、勘が鋭いわけではない。名探偵と助手の役割は、依琥乃と更科君に任せてきたのだ。


 立ち上がり、扉を軽く押してみるが、やはり動かない。


 鍵がかかっている様子はない。物で開閉が抑えられているような反発も感じられない。

 なるほど。物を動かせるなら、固定することも可能なのだろう。物体を移動させる力を、停止に使用すればいいのだから。

 

 そうと分かればやることは一つ。その停止の力を上回る衝撃を与えればいい。


 扉の正面から数歩の距離をとって、身体の力を軽く抜く。大丈夫ジャンティー。これからすることに危険はない。


 扉へと助走をつける。足の軸を崩さないように体を回転させ、

「フッ――」

 全力の回し蹴りを扉へと叩き付ける。


 蹴りは十分な速度と質量を持って両の扉の境目――中心へと着弾した。木材の軋む音と共に、細かい木片と埃が舞う。扉は衝撃に鳴動めいどうした後、思ったよりも静かに倒れていった。留め具ごと外れたらしい。やはり老朽化していたのだろう。私には師匠のような怪力は備わっていないのだからそのはずである。


 それはそうと、扉がどいてくれたおかげで部屋の中が丸見えになった。これでようやく黒幕さんとご対面でよろしいだろうか。


 土煙のように舞っていた埃もやがておさまった。


 薄暗い部屋の中は、なるほどイメージしたダンスホールに近い。少なくとも小規模な社交ダンスの大会が開かれるには十分な広さを持っているのではないだろうか。


 一つだけ予想と違ったのは、扉の正面、部屋の一番奥にある階段の頂点、そこに王座のごとく鎮座する者があったこと。


 やはり、馬鹿と煙と危険人物は高いところから人を見下ろすのが好きらしい。


「ようこそ、小柄なお客人。ここまでの演出、お楽しみいただけたのなら幸いですがの。――――ところで、本パーティーでは招待状を持たない方の生存権利が剥奪はくだつされるむね、ご理解のほどよろしいですかな」


 遠目が過ぎて本人の姿かたちは確認できない。しかし聴こえてくるのは、しゃがれた老人のそれ。屋敷の主はこの人間とみて間違いなさそうだ。

 侵入者の礼儀として、問われたならば返さねばならない。相手が会話を楽しむ人柄ならなおさらだ。


 倒した扉を踏みつけて、私は丁寧にお辞儀をしてみせる。イメージするのは慇懃無礼いんぎんぶれいの申し子だった亡き親友。伊神いがみ依琥乃いこのだ。


「…………ええ、趣旨は十分理解しています。ですが、私はお招きに預からぬ身で参上しました小娘ですので、……多大なご無礼、ご容赦ください。

 ……では、こちらにお招きいただいたはずの私の親友を強奪させていただきますが、よろしいですねご老害」


 闇に隠れた人影に、真っすぐ向き直って宣言した。左手はウエストバッグのホルスターの留め金に固定している。頭上からは、楽し気な男の声が降ってくる。


「ほう、よう口の回る小娘じゃて。しかし、それはお主の言葉ではないな? わかるぞ。言い慣れておらんのじゃろう、そういうセリフは」


「……意地の悪い友人の口上を真似ただけです。気に入っていただけたかと。……むろん、あなたが更科君を無事に返してくれるというのなら、私も手荒な真似はいたしません」


 運よく気が引けたようだ。口上名乗りは苦手なのだが、頑張った甲斐かいがある。……あ、名乗ってはなかった。


 喋りながら少し近づいてみる。距離は直線で20メートルほど。しかし、ステージを覆うカーテンの陰に隠れて、老体の姿はよく見えない。水分の枯れ果てた手元と、薄汚れたローブが見えるだけだ。


 タイムリミットまでまだ若干の余裕がある。そう性急に相手を確認する必要性はあまりない。安全の確保が優先か。これ以上近づくのは得策ではないだろう。


「くかかっ! 乱暴はせんと申すか。それほどあの青年が大事かのぉ。よもや恋人か? いいぞ。うむ。愛する者の幸福を願うのは人の義務だからの」


「……いえ。私と彼はそういう関係ではありません。ただの同級生です」


 そして、共通の友人がいただけだ。


「つまらんのぉ」


 いかにも失望したと言いたげなため息。勘に触る言い方だが、この老人のペースに合わせる義理はない。それにこれ以上自分以外の人間の口調を真似るのも面倒だ。自分らしく、簡潔に要件から済ませよう。


「……ところで、更科君はどこですか。このあたりにいるのでしょう」


「さて、どうかの。そもそもこの屋敷にいるとは限らんぞ?」


 人を試すかのような物言い。いちいちかんに障る。会話する気があるのだろうか。


「……部屋の外に人を引きずった跡がありました。それも最近のものです。……抵抗した痕跡もないうえに引きずったということは、意識の無い人間をここに拉致らちしてきたということでしょう。

 ……この町ではここ最近、失踪者の情報はありません。警察関係者からのリークなので確かな記録です」


 今日の、というかもう昨日のことなのだけれど、昼間に師匠と更科君を引き合わせた時に聞いた鮮度の高い情報だ。つまりこの町この周辺で、昨日の昼までに行方ゆくえの分からなくなっている人間はいないということ。


 ではあれは、その後に失踪した人間のものだ。レーゾンは更科君がこの屋敷に連れ去られるのを見ている。他にも同時に失踪者がある可能性は低いだろう。この世界に人格を製造する稀癌を持つ人間が、他にそうそういるとも考えられない。


「ほう。どうやってこの屋敷に辿りついたのかも謎じゃが、確信があるようだのぉ。ならば隠すのも馬鹿馬鹿しい。

 愛しの彼ならほれ、そこにおるよ」


 左前方向で布のこすれる音がし、同時にカーテンの一部が落ちた。視線だけ向けると、そこには真っ白い、大きな箱のようなものがある。


 若干発光しているその中身はうかがい知れない。それどころか繋ぎ目も見当たらない。人工物ではない。魔術かなにかで作られた代物しろもののようだ。


 更科君は空間と称していたが、まあ、大きさを考えればその呼称にさほど無理はない。中から外の様子がわからないならなおさらだ。


 あの箱自体に脅威はない。安全そのものだ。しかし、その周囲に違和感がある。箱の周囲の景色が稀癌を通すとゆらゆらと歪んで見えるのだ。


 ……なにかが、ある。


 想像していたよりも、事態は切迫せっぱくしているのかもしれない。でも、


「――――更科君。そこですね」


 返事はない。当たり前だ。それでいい。居場所がわかっていれば、それでいい。目の前にいるのなら守れる。この手で、守ることができるから。


 私は箱から目を離し、正面に向き直った。

 さぁ、彼の救いの下準備をしよう。

 私は更科さらしな奏繁そうはんを助けるために、ここにいるのだから。




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