第4話 聞こえてくる声


          4


 ――――人は死んだらどうなるのでしょう。魂は消えて無くなるのか、あるいは新しい人間として生まれ代わるのか。

 どちらにせよ、死んで生前の想い出を失った時点で、過去と未来は断絶されるに違いない。

 命の終わりは、文字通り全ての終焉。だから人間はその終わりに抗う。

 失いたくないものがあるから。

 手放したくないものがあるから。

 今を失いたくないから、永遠に生きられたらどれだけいいだろうと。

 ……そうすれば、きっと何も置いて逝かずにすんだのに。


          4


 自分ぼくには魔術を扱う才能がない。ましてや魔法なんて、手の届くものじゃない。


 自分ぼくを弟子にするときに、彼は魔術を中心とする神秘の説明をしてくれた。


『人間が神秘へ向ける感情からなる強エネルギーがよく言う魔力というやつだ。そのエネルギー体に意思はない。ただの力の塊だ。魔術も魔法もそこから力を拝借して異常を起こす技術をいう』


『とはいえ魔術と魔法は厳密には別の系統樹を持つものでな。現代じゃ魔法を使える人間は数少ない。魔術は素質さえあれば、呪文を唱えるだけで誰にでも使える。だが、魔法には相性がある。どれだけの鬼才も相性次第で使えない魔法があるのだ。逆に考えれば、素質のないお前にも使える魔法が一つや二つはあるやもしれん』


 お前には魔術の才能はこれっぽっちも欠片ほども無い。そう断言された時は少し泣きそうになった。魔術という日常から切り離された異常を習得すれば、自分ぼくは自分の存在意義を少しは見出せるんじゃないかと期待していたからだ。


『魔術と魔法の区別? そうさな。魔術は応用が効きやすいが、魔法はその点強情だ。効果が強い代わりに一度の詠唱で一つの効果に絞られる。

 なに、例外は多い。神経質になることでもない。どうせお前にはこの異常のほぼ全てが使えない、関係ないものなのだからな』


 魔術が使えないのなら相性の良い魔法を探そうという方針になった。自分ぼくにはレーゾンのように集中しただけで魔法を使えるような力はない。

 だから来る日も来る日も、気の遠くなるほどの呪文を唱え続けた。なにか一つでも奇跡を成せたなら自分の何かが変わる気がしたから。


 しかし期待とは裏腹に、千年生きた吸血鬼の膨大な知識にある限りの呪文を試したが、


 結局、自分ぼくに発現できる魔法は存在しなかった。


          5


「――――うぷっ」


 到着早々、私は吐き気をもよおしていた。原因はもちろんレーゾン・デートルだ。


 更科君の居場所が分からないと告げると、ならば送ってやる、とあの化け物が言い出したのだ。


 ――……自分の足で、自分で行きます。


 ――それでは時間が足らんくなるぞ? 幸い距離はそう離れていない。場所は津刈の山のふもとにある洋館だ。


 ――……ではなおさら自分で行きます。……場所がわかればもうあなたに用はありません。


 ――自転車では時間がかかるだろう。遠慮はいらん。魔術で補助してやるから怪我の心配もない。このお手軽さはすでに知っているだろう。


 ――……知っているから、お断りしているのです。あれは人間の身体で耐えられるものではありません。……依琥乃いこのですら顔を青ざめさせていたのですよ。


 ――しかしアイツは楽しそうだっただろう。それに実際、時間はもうないはずだ。


 ――……たしかにそうですが。……たしかに…………ええ、間に合いません……。


 そこで折れるべきではなかった。あれは移動というカテゴリーには当てはまらない。ただ目的地めがけて投射されるだけだ。


 どうして人体のえりを掴んで放り投げるという蛮行が彼の中で『移動』方法と誤認されているのか。かつて依琥乃いこのと共に経験した際、もう二度と頼むまいと二人で心に決めたというのに。人間の記憶力とはなんと脆弱ぜいじゃくなのだろう。


 意地でも自転車をこいでいればこんな苦しみは味わわずにすんだのだ。

 これも全て余計な手間をかけさせた更科君のせい、ということにしておこう。


 吐き気を堪えながら視線を彷徨さまよわせる。街灯もない道の途中に一軒の大きな洋館がたたずんでいた。


 無人なのか、分厚いカーテンが閉まっているのか。中に明かりはどこからも確認できない。それが余計にこの場の肌寒さを助長しているようだった。


 道の両脇を木々が深く生いしげっているため周囲には他に家屋はなく、人口の明かりは見えない。月明りだけでは歩くことも困難だ。稀癌きがんの力でに歩けない場所が分かる私でも、若干の不確かさまでは拭いきれない。


 この屋敷がレゾンの言っていた洋館に間違いないだろう。中には更科君がとらわれているはずだ。腕時計を確認する。更科君から連絡があってからすでに四十分程度が経過している。万全を期すなら、あまり悠長ゆうちょうにしている暇はない。


「――待っていてください、更科君」


 吐き気が、おさまったら、いきますから……。


 ――結局、行動可能な身体状況まで回復するのに三分の時間を要した。


          6


 まるで白い悪夢だ。

 自分ぼくは自分の置かれた状況を確認して、改めて、そう感想を口にする。


 四方を白い壁に囲まれた出口のない空間。広さはちょうど真っすぐ立てないくらいの正方形だ。


 おそらく結界の一種だと思われるから魔法か魔術による現象だという推測は立てられる。でも確定はできない。まあ、確定できてもできなくても、自分ぼくには意味のない話だけど。


 呪文をただ呟き続けるのは慣れてしまえばただの暇な作業にすぎない。小一時間ほどの長い呪文も暗記しきっているから、ただ噛まないように気を付ければいいだけの話だ。


 ようするに自分ぼくは今、とてつもなく暇なんだ。いかに周囲にたくさんの気配がしようとも、だ。


 この部屋の周囲には何十という気配がある。人間のものじゃない。おそらく亡霊のものだろう。


 この異常な部屋にいるせいか彼らの存在は際立って感じられてしまう。本来の自分ぼくには幽霊なんて見ることも感じることもできないのに、無理やりアレらが亡霊なのだと理解させられているようだ。時々聴こえるうめき声の意味までは、さすがに分からないけど。


 きっと自分ぼくをここまで運んだのも彼らなんだと思う。なぜなら後頭部を殴打される瞬間まで、あの路地に響く足音はなかったんだから。


 感じる気配の倍の眼玉が自分ぼくを注視しているのを肌で感じる。片時も目を離すことなく、ずっと。


 恨み、妬み、羨望、憎悪、虚栄心。薄暗い感情の籠った視線は呪いにも近い。


 空気は冷え切り、身はこわばってうまく動かない。関節が固まってしまったみたいだ。この部屋の壁がなかったら、それら全てを直に受けて、自分ぼく矮小わいしょうな肉体はさらに悲鳴を上げていたことだろう。


 だからこそかいに連絡をとった。携帯が使えたのは行幸ぎょうこうだった。自分ぼくじゃこの壁は崩せても亡霊の相手はできない。亡霊の視線のおかげで意識が時々朦朧もうろうとする。あまり明確に覚えてないけど、うまく、明るく話せただろうか。


 自分ぼくに壊せるのは異常だけ。亡霊が存在するのは別に異常なことじゃないから、彼らを否定することは自分ぼくにはできない。


 自分ぼくが使えるたった一つの魔法。それは、異常を消滅させることなんだから。


 ……ああ、退屈を紛らわすものは一つだけあった。声が時々聴こえてくる。亡霊の判然としないうめき声じゃない。意味のある、人間がつむいだ感情だ。


 聞いていても内容はあまりつかめない。これは語りではなく、おそらく独り言のようなものなのだろう。誰にも伝わらないことを前提とした支離滅裂な日記のような。


 何かの名残なごりのように響く声は、遠く、もう発した者すら忘れたもののようだった。




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