第3話 化け物の誘い


「なぁ、かい。人間の身体は一つの魂しか受け入れられない。その絶対の前提があるからこそ、亡者は生者に手を出さんのだ。ならばここで質問だ。幽霊たちのあのうつろな目ん玉に更科さらしな奏繁そうはんは、その魂は、いったいどんなふうに映っているのだろうな?」


 どんな風にと問われても、私は幽霊には会ったこともなければ見たこともない。その心象をくみ取ることなどできない。それはレゾンも承知しているはずだ。


 つまり、これは心的問題ではない。レーゾン・デートルは答えようのない問いはしないから。ならば答えはすでに目の前にあるはずなのだ。そしてその答えはおそらく、現在の更科君の状態にも関係がある。


 ……少し真面目に考える必要があるだろう。まずは既出の情報から整理していくべきか。


「……確か、魂は人格を司っている、と」


 いつだったかの依琥乃の講釈でそんな話があったはずだ。私の言葉にレゾンは満足げにうなずく。


「そうだ。魂とは生き物の在り方そのもの。人はそれを俗に『人格』と呼ぶ。まぁ、『性格』や『気質』と呼ぶほうがわかりやすいかもしれんな。

 肉体が滅び、魂が次の肉体へ転生しても、魂の持つ『人格』は変わらん。その人間をその人間たらしめる記憶を失ったとしても同じだ。

 魂は基本、変質などしない。かつて聖人であった魂は次の生でも善人であろうし、人を殺める魂は、また他者を傷つけ不幸にするだろう。これこそ世界を縛る因果の一つ。

 ただし前世が悪人であったから、悪人の魂であるから、今が不幸というわけではない。魂が悪を好むから今生も不を引き寄せてしまうのだ」


 以前にも同じ説明を聞いた。あの時は更科君も一緒だったはずだ。そして、こんなことを更科君は依琥乃に訊いたはずだ。『じゃあ、人間は結局変われないのか』と。それに依琥乃はなんと答えたのだったか。


「さて誡? ここで大切なのは、魂とは人格を表していると定義していいということだ」


 それがクセなのだろう。シャツ越しに胸元の砕けた十字架を弄びながら、白銀の青年レーゾン・デートルは真理を語る。その真理は時として、目を引きちぎり耳を潰したくなるほど残酷だ。……というのは更科奏繁の言い分だったが、得てしてこちらの気分を害するものであることに違いはない。それを好んで聞きたがる更科君は、やはり電球に群がる蛾にも似て、それはそれで無個性なのかもしれなかった。


 思考が脇道に逸れたのを自覚しつつ、レゾンの言葉を考察する。

 魂。人格。そして、更科奏繁という無個性を形成する彼自身の――。


「ん…………、なるほど」


 とりとめのない思考の分かれ道の中から一つ、今までなかった道を見つけてしまった。普通の人ならここで更科君を心配して、もしくは脅えて、喋ることができなくなるのかもしれないが、あいにくと私にそんな繊細な感情の機微を期待されても困る。私に自分の心情をかえりみるような思慮は無い。


 だから浮かんだことは口にしよう。考えて、考えて、それでも駄目なら行動する。とにかく何かしなければ結果は生まれない。結果の是非など説くのはすべて終わらせた後でいい。


「……更科君は、亡霊の目には魂が二つあるように映っていると、そういうことですか」


「その通り! ああ、その様子だとある程度把握したようだな。

 といっても、実際には一つの魂が二つに別れて見えるのであって、正真正銘一つしか存在せんのだがな」


 あっけらかんと言って、レゾンはベッドチェアーの隣に直置きされた戸棚へ向かう。引き出しを漁りながらさらに続けた。


更科さらしな奏繁そうはんは生まれながらの二重人格者だ。数年前まで本人がそのことに気づいていなかったにしても、あれが先天性の異常――稀癌きがんであることに違いはない。そして能力の発現には自覚が必要だ。あの男は俺と出会ったことで自意識の認識を自覚した。二重人格者としての目覚めの決定打だ。そうして魂が分裂した」


 『千年生きた怪物レーゾン・デートル』を恐れる自分と、興味を持ち惹かれる自分。その乖離かいりが更科奏繁に己のさがを自覚させた。ただの残影と思っていたものが、独立した他者となったのだ。


「……ですがその説明だと、結局魂は彼の中に二つあることになりませんか」


 たとえ己の中で答えに行き着いていても、矛盾を解明するために反論を行う。そうしなければ、得た真実は真実とは呼べない。検証しない推論は確かでないからだ。そして確かでない情報で動けば、誰かの命を危険にさらすことになる。


 私が咬みついてくるのがそんなに楽しいのか、レゾンは「ふはっ」と笑って少し私を見る。


「そうじゃない。そうはならんのだよ。一つの身体に一つの魂。この原則は絶対だ。呪いでも魔法でも、稀癌にすらこの前提はくつがえせん。

 奏繁の場合は、そうだな、軟式のテニスボールを思い切り真ん中で締め上げた状態というか、瓢箪ひょうたんのようというか……。うむ。一番近いのは“無限”だ」


 言って、人差し指で宙をなぞる。芸術的センスが限りなく低い私でもさすがにわかる。

「∞」

 無限大を表す記号だ。


「後天的に人の妄想や思い込みが作り出した人格まがいのものと違い、奏繁のものは独立した別個の人格だ。

 しかし二つは確かに繋がっている。二つに見せかけて一つであり、一つのようで極めて二つだ。それが更科奏繁という男の魂の在り方なのだ」


 己の中に正真正銘の赤の他人を形成する異常。本来はありえないことだが、それを可能にするのが稀癌だ。


 稀癌きがんは不可能を可能にする。そのほとんどが生まれつきの先天性であり、発現者の数も極めて少ないため表社会では存在すら知られていない。稀癌は俗に超能力と呼ばれるものに近いが、その力は種類も効用も様々で、決まった型や法則性はない。


 例えば私の危機感知や更科君の二重人格にも類似性は見当たらない。


 稀癌は罹患者りかんしゃの精神に影響を与える。その歪みは社会的な生活に支障をきたす場合が多い。


 そのため稀癌には「がん」という漢字があてがわれた。私の未感情や奏繁君の無個性も、稀癌に起因しているらしい。だが稀癌は病気と違い治すことはできない。そもそも病ではないのだ。だからといって、魔法や魔術とも一線を画する。生まれ持った性質と考えるのが一番妥当だ。


 まぁ、無理に現代医学の枠組みに入れるなら、精神病の一種ということになるらしいが。


「そう。現状の更科奏繁の稀癌は、正確に言えば『一つの魂に二つの人格を生成する』ことだろうな。しかし亡霊にそんな判別ができるはずもない。故に奴らにはあの男の中に二つの魂が入っているように見えている。

 さて、誡。ここで二つ目の質問だ。二つの魂を持った肉体を見たとき、幽霊たちはどうすると思う?」


 優し気な微笑みを浮かべた吸血鬼が問いかける。


 思考が決定的な言葉へと変わってくれないもどかしさがある。状態を表すにふさわしい表現がみつからないだけで、本当は私はすでに答えに行き着いているはずなのだ。


 しかし、明確な答えは未だ自分の中にはない。胸の中心部でわだかまっているこの不愉快な息詰まりを解消するためにも、とにかく提示された条件を並べていく。


「……一つの身体には一つの人格。一つの魂しか存在しないという前提があるからこそ、幽霊は生者への関心も持たず、生きている人間に害をなすこともない。……そんな幽霊が更科奏繁を目撃するということは、この前提が崩れるということを指し示す」


 半ば独り言のように呟きながら整理する。我ながら小さい声だが、やはりレゾンの耳には届いているのだろう。彼は探し物の手を止めて腕組みをしている。


 戸棚のせいで月光が遮られ表情までは窺えないが、別段危険は感じられない。この思考の流れであっているということだろう。保護者の顔色を窺う子供のようだと頭の片隅で感じつつ、思考を続ける。


「……人間の身体は二つの魂を受容できるのだと思い込み、生者を襲い始める……。あるいは、前提が崩れたのではなくイレギュラーが現れたと受けとり、異端者である更科さらしな君を襲うか。

 ……いや、死亡時に確固たる自意識と知能が魂から剥奪はくだつされる。霊体に考えるという、肉体あっての行為はできないと言っていたはず。と、なると……」


 ――──目についた異端かれをただむさぼるだけではないのだろうか。


 視界がかすかに揺れる。体の異常からではないその揺らぎは、私にその考えの正しさを告げていた。しかし、稀癌に依存していない部分はこの推論を否定しようとしている。


 ならばなぜいままで彼は無事に生きてこられたのだ。なぜ今になって――。


 思考の隅ではすでに理解しながらも、私は自分の足元からレゾンへと視線を移した。

 

 レゾンは静かに微笑みをたたえている。白く鋭い牙が口角から見え隠れしていた。


依琥乃いこのは死んだのだ、誡」


 さも当たり前のように化物は言う。あくまで整った笑みを浮かべて。レーゾン・デートルは言うのだ。


 それが全ての元凶なのだと。


「どうして奏繁がいままで亡霊どもに目をつけられずにすんでいたのかなど、それこそ俺が語らずとも瞭然りょうぜんだろう。

 二重人格をあの男が自覚したのは依琥乃と出会った遥か後のことだ。だからこそ、奏繁は闇に囚われることはなかった。だが、守護はもうない。依琥乃は魔術も魔法も使えない。まして、成したことを残す――己が消えた後まで効果を発揮し続ける守護を残すことなどできもせん。

 守りの無い状態で深夜に人気のない場所を徘徊すればどうなるか……。簡単なことだ」


「……自殺行為、というわけですか」


「ふはっ、辛辣しんらつだな」


「……辛辣もなにも、それが真実なのでしょう。なら、それは受け入れるまでです」


 どんなに衝撃的な事実も、壮観そうかんな出来事も、私にとっては等しくただの事象にすぎない。他者に比べ感情の薄い私の揺れ幅は圧倒的に少ないのだから、当たり前だ。そして、だからこそ、いつでも冷静でいられる。


「ふむ。、か。つまり、また救うつもりか?」


 いつの間にか手にしていた小瓶を振りながら、レゾンが私を手招きする。探し物はどうやらすでに見つかっていたようだ。


「……いいえ」


 否定しながらゆっくり彼に近づき、一メートルほどの距離を置いて立ち止まる。これ以上は危険を告げる感覚情報が多くなりすぎて、身体に悪影響が出かねない。


「……正しくは助けるだけですよ。確かに私は、更科君達の周囲の状況を変えることはできます。ですが、それによって救われるかどうかは、彼ら次第です」


「それを俗に『救う』と言うと思うのだがな。まぁ、君がそう考えるのならそれでいいのだろう。ではこちらは君が更科奏繁を助ける手助けをしよう。拳銃を出せ」


 躊躇ためらう理由もないので、差し出された手に大人しく従う。昔から使っている自動拳銃を取り出して手渡した。


 伸ばした手の先に一瞬のしびれを感じる。鳥肌が立つ部類の不快感だ。静電気ではなく稀癌の先走り。これだからあまり化物には近寄りたくないというのに、レゾンは逆の手もこちらに伸ばしている。


「……なんですか」

「もう片方もだ」


 催促さいそくされれば仕方ない。ウエストバックから取り出したリボルバーも手渡す。ついでにサイレンサーも取り出したが、こちらは遠慮された。銃二丁でなにをするというのだろうか。


 しばしの沈黙が場を満たす。私にできることはなさそうなので、レゾンを目で追ってみる。すると、この人外の怪物はこともあろうに、二丁の拳銃に小瓶の中身をかけ始めた。中身とはそう、液体である。


 私の使っている薬莢やっきょうは金属製だ。銃身が濡れていても問題なく撃てる。しかし水気を避けるに越したことはない。なによりメンテナンスが面倒なのだ。やらないと師匠に怒られてしまうし。


 そもそもあの液体はなんなのだろう。毒々しいほど赤黒い。どう見ても銃に悪影響が出そうなのだけれど、不思議と危険な感じはしないのが唯一の救いだろうか。


 言うべき文句が多すぎて実際なにもできないでいると、レゾンは謎の液体滴る銃を床に置いてしまった。まだ返してはもらえないらしい。


 いつまでかかるのかと気を緩みかけた刹那、鋭い柏手が鳴った。あまりの圧力に数歩跳び退すさる。音が物質的な衝撃を伴って広がっていく。空気はまだ震えている。震源はもちろんレーゾン・デートルだ。


「神ならざる御業みわざにてうたぐり申す」


 呟かれるのは奇跡を冒涜ぼうとくする箴言しんげん。レーゾン・デートルは魔法を使用する際、かならずこの独自の詠唱を使う。曰く、自らの意識を切り替えているらしい。


 魔法は魔術のさらに上位の力と聞く。使用するには極度の集中状態や長い呪文が必要となる。


 人外の化け物、自称千年生きた吸血鬼にですら、呪文は省けても、集中なしでは扱えない。


 片膝をつき左手を銃へかざしたレゾンは、ただ銃だけを注視している。


 空気の振動は気流を生み、気流はやがて風へと変わる。よって、レゾンから――、正確には銃の下に浮かび上がった魔法陣のような紋様から微風が吹いてくるのは、まだ神秘とかそういう理由で納得できる。


 だけれどなぜだろう。私の銃がさきほど撒かれた赤い液体を吸収しているように見えるのだが。あの銃にそんな雑巾な機能は搭載されていなかったはずなのだけれど。


「………………………葬送」


 液体の吸収が終わったのか、陣が薄れ消えていく。それに合わせてレゾンが儀式を締めくくるかのように呟きをもらす。同時に風も止んだ。あたりは元の静けさを取り戻す。


「誡、持っていけ」


 掛け声とともに飛んできた銃を受けとる。予想に反し銃身は濡れていない。しかし、もとのままとは到底言えそうになかった。


 なんだか脈打っている。気持ち悪い。


 黒い二丁の銃。その表面には血管のような筋が浮き出て、中を先ほどのものと思われる赤黒い液体が循環している。

 それこそほのかに発光する血管のようだ。冷たいはずのグリップがやけに生暖かい。銃それ自体が生きているかのようだった。


「……なんですこれは」


「お前は霊が感じ取れんのだろう。それを使えば奴らに干渉できるようになる。退魔というやつだ。その銃で哀れな霊魂共を成仏させてやれ。それと、これはお前の眼のかわりになる。

 なに、日が昇る頃には効果も切れる。見た目に関しては気にせずともいい」


「……あの液体はなんだったのですか」


 そしてこの銃身を廻る液体は。


「血だよ。ただのな。俺のものではない。退魔の役割を付与するのに必要だっただけだ」


 では誰の、とは聞いてはいけないのだろうか。いけないのだろう。SUN値チェックの機会はあまり設けないほうがいいと依琥乃いこのとのTRPG大会でかつて学んでいる。が、いぶかしく銃を見てしまうのは仕方ない。


 しかし見た目こそ変わっているが、稀癌を通して見ればいままでと何も変わらない、普通の性能の銃だ。少なくとも使用者を襲ってくるような類のものに変質したわけではなさそうだ。まあ、最悪危険がなければそれでいい。


「……よくわかりませんが、役に立つならありがたく使わせていただきます」


「ああ、そうしろ。あの男を助けにいってやれ」


 一仕事終えたというようにベッドチェアーに腰かけるレゾン。しかし私は、まだここを立ち去るわけにはいかない。本来の用事が済んでいないのだ。


「……ところでデートル」


「なんだ?」


 一呼吸おいて、彼の背後に再び現れた黄色い月を眺めながら言う。


「…………更科君の居場所をご存知でしょうか」


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