満月が見ていた。

白玉

満月が見ていた。


 道行く人など誰もない夜道を、ただひたすらに走る少女の姿があった。そんな少女を、満月が追いかけ照らしている。

 少女は、頭の中にひびく「そんなに急いで、どうしたんだい? どこにいくんだい?」という問いにはいっさい反応しなかった。荷物を抱えもった腕は不自由で走りにくかったが、ただただ走った。

 目的のススキ野原に混ざり込み、しゃがんでススキの背丈にすっぽり収まったところで息を整えた。大切に抱えてきた唐草模様の風呂敷は赤黒いシミで汚れていた。そっと風呂敷を広げ中を確認する。綺麗にまとめてきたはずが、ここに着くまでに三度ほどつまずいたせいで、少し崩れているようにも見えた。

 どこにいるんだい、どうしたんだい、なんでかくれているの。男のような見知らぬ影がじわじわと近づいてきているような気がして、少女は息をひそめた。



 ——それをするときは、決して気づかれてはいけない。

 ばぁばにそう言われて、少女は育った。

 厳格だが優しいひとだった。幼い頃からばぁばに育てられていた少女にとってばぁばは、親であり、師匠だった。師曰く、「人に見られたら、願い事が叶わなくなる」んだそうだ。だから、決して見られてはいけない。

 ばぁばがその頃一体なにをそんなに熱心に願っていたのか、幼い少女にはわからなかった。しかしそれに向かう姿を見るたびに、そして帰ってきたばぁばのすこし嬉しそうで安堵した頬を見るたびに、「ばぁばはなにをしてきたの?」「ねぇそれはなんなの?」と問わずにはいられなかった。ばぁばの答えはいつもおなじだった。



 身体が震えているのは、寒さか、或いは緊張か。震える声をどうにかしぼり出し、「大丈夫。ココには誰もいない。大丈夫、誰も見てない」と自分に言い聞かせた。恐る恐る立ち上がり、左右を見渡す。足が震えていた。声の主の不審な影は、もうどこにもなかった。安心した少女はふたたびしゃがみ、風呂敷から例のものをつかみあげると、持ち直して今度はやさしく両手に乗せた。満月に顔をむけると、眩しいくらいの月明かりが目に刺さり、一瞬怯んだ。今宵は満月であり、中秋の名月だった。


 ——満月の夜にススキ野原で、だれにもばれないようにお願い事をすると、叶うんだよ。


 少女の頭の中は、いつもおなじことしか返ってこないばぁばの言葉と、おととい車に轢かれて死んだ飼い猫のジャムのことでいっぱいだった。

 さっきちょっと躓いちゃって、ちょこっとだけ苦しそうな体勢にさせちゃってたから、生き返ったら、苦しかったよーバカーって、ジャムは怒るかもしれない。でも、もうちょっとだからね。いま少し雲が邪魔してるから、もうちょっとだけ、まっててね。


 雲が流れ、むき出しになった満月に辺りは青白く照らされる。少女はまん丸な月に向かって両腕をめいっぱい伸ばした。ぐったりと垂れ下がる尾が、少女の腕に絡みついていた。


 おねがいします、ジャムを生き返らせて。


 儚くも美しい姿だった。少女のその目からひとすじの涙が流れ落ちたことは、満月以外、誰も知らない。



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満月が見ていた。 白玉 @srtm_

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