メインディッシュは肉料理
それから数ヶ月が経ち、プロジェクトは無事に終わった。
自分の担当業務を再開するために、青羽は出張で再び都内に行くことになった。
担当の取引先に出向き、打合せを終えると、別の会議室から山本が出てきた。
(前回のお礼を言わなくては……)
そう思った瞬間、リナのことが頭を過ぎる。
「山本部長、前回はありがとうございました」
近付いてきた山本の耳に囁くと、ニヤニヤしながら胸を肘で突かれた。
「青ちゃん、今後とも頼むよ」
笑いながら山本はオフィスへと消えていく。
翌日の昼、青羽は出張で使ういつものホテルのレストランにいた。
プロジェクトが無事軌道に乗ったこともあり、自分へのご褒美に一人でランチへ行こうと決めていたのである。
レストランに入ると、以前座った席よりも室内側の席に案内された。
「メインディッシュにはスズキのオリーブオイルコンフィを下さい」
メニューを閉じて、見覚えのあるマネージャーにオーダーを伝える。
最近では、あっさりとした料理を好むようになってきた。それは味覚の変化だけではない。魚介類が特に好きなわけでもないが、三十代も中盤に入ると、体調や健康状態に合わせて食事を選ぶようになってきた。
青羽はガラス越しに映る庭園と噴水に目を向けた。夏が近付くと日差しも一段と強くなってくる。
そのまま視線を左に移すと、窓際の席には女性が数人でテーブルを囲んでいる。
その輪の中に、白いワンピースと薄い黄色のカーディガンを羽織った女性がいた。
「おや?」
その女性の笑顔には見覚えがあった。
そして、その輪の中で彼女だけが本日のオススメである牛フィレ肉のソテーを食べている。
(まさか、リナ……?)
そう思った。
しかし、リナの顔がハッキリと思い出せない。
そして、目線の先の席に座る女性がリナなのか確かめるスベも無い。
知っていることは、「リナ」という源氏名と魚料理が苦手なことだけで、本名も連絡先も知らない。
窓際の女性達は運ばれてきたデザートを突きながら、楽しそうに歓談をしている。
そのリナとおぼしき女性の笑顔から青羽は悟った。
もし、その女性がリナ本人だったとしても名乗り出ることはないだろうし、リナとの秘密を友達の前で暴露することも出来ない。
リナからすれば青羽は「友人」でもなければ「彼氏」でもない。
不特定多数の客の一人であり、「男と嬢」ただそれだけの関係に過ぎないからだ。
だからリナも「仕事」以外で青羽には会いたくないに決まっている。
リナのことを人よりも深く知っていると思い込んでいた。
しかし、リナが初めて会った人間にあそこまで自分の境遇を話したのは青羽に辛さを共感して欲しかったわけではない。
むしろ、今後一生会わない相手だからこそ気兼ねなく心を開いてくれたのだ。
「――ふふふ……」
青羽は自分自身を笑った。それは、己の自惚れに対してだ。
自分が他の男より一歩抜きに出て、特殊な立ち位置にいると勘違いしていたのだ。
恥ずかしさを誤魔化すように、青羽はグラスに少し残った白ワインを飲み干してレストランを出た。
新横浜を過ぎると、新幹線は徐々に加速を始めた。午後の日差しが座席に差し込む。
周囲から見られないようにシートを浅く倒すと、青羽はブックマークしていた風俗店のサイトを見た。
プロフィールのページには知らない女性の名前と写真しか出てこない。いくら探してもリナの姿はなかった。
(もう辞めたのか……。もしかして奨学金を返す目処がついたのか?)
理由を知りたい衝動に駆られた。
だが、そのことを知るスベは何も無い。全ては謎のままだ。
ただ、夜の仕事を辞めたということは、リナの中で進展があったのだろう。
夜の世界と完全に縁を切り、新しい人生を歩んでいることが伺えた。
嬉しくもあり、寂しくもある瞬間だった。
あの一瞬だけの出会いでリナとは別れ、おそらくもう二度と接点が生まれることはないのだ。
青羽はブックマークからサイトを削除し、スマホを消した。
そして、深呼吸を一つしてから目を閉じて眠りについた。口の中に残るワインの酸味も消えつつあった。
そのうちにそのサイト自体も閉鎖され、その風俗店も無くなってしまった。
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